ダバオ雑感−近代化をめぐって
2017.1.25−記
1. はじめてのダバオ ダバオ市内へ 交通事情
2. 市庁舎付近 夜店にて
3. 庶民の生活 大きい貧富の差    
4. 男たちの盤上ゲーム 世界同時的
5. フィリピーノが妻! フィリピンの英語事情    
6. サマル島にて ダバオ公共市場 最終日  
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ダバオ雑感−3  
庶民の生活
 街の構造がだんだんわかってくる。
広い道路から脇道に入る。
舗装はされている。
幅3メートルくらいだろうか、車1台が通れるくらいの細い道がつづく。
いわば路地といった道が続き、その両側には庶民の暮らす家がびっちりと建ち並んでいる。
突然に立派な家があらわれることもあるが、ほとんどは戸締まりもあやしく、窓もキチンと閉じないような作りである。
その路地では子供たちが走り回って遊んでいる。machi

 路地へ生活がはみ出している。
道路端で身体を洗う女性もいる。
おそらく室内にシャワーがないのだろう。
着衣のまま水道の水を身体にかけて洗っている。

 タイなどで田舎にいくと、川で洗っている女性を見かけるが、都市部では川がないから道路際の水道ということになるのだろう。
ダバオの気温は30度くらいあるから寒くはないだろうが、慣れているとはいえ道路際で身体を洗うのは何と言うべきか。
そういえばインドでは消火栓の水で身体を洗っていたっけ。
銭湯でも作った方が良いのだろうか。
しかし、子供たちに皮膚病が少ないようなので、衛生面は充実していると判断して、銭湯など不要か?

 フィリピンではバスケット・ボールが盛んなようだ。
路地の隙間のようなところに、突然にバスケット・ボールのコートとゴールポストが現れる。
コートを区切る白線はなく、何となく広場があるだけだ。basket
ここにはドーム状の屋根がある。
コンクリートのコートでは大人に近い若者たちが、汗をかきながら必死にボールを追っている。
おそらく仕事にあぶれた若者なのだろう。

 コートの端は生活の領域と重なっており、小さな店が開かれていたり幼児があやされている。
時とすると人を乗せた軽トラックが、コートの中を堂々と走っていく。
若者たちは近くを走る軽トラックにチラッと目をやるが、それでもプレイを中断しない。
カメラを向けると、両手を挙げて自己アピール。
写真を撮れと笑顔をみせる。

 路地を歩いて行くと、生活が丸見えになってくる。kids
室内のテーブルが見えたり、土間にしつらえられた竈には、鍋がかかっていたりする。
子沢山の家族が多いだろうから、狭い室内は大変な人口密度だろう。
芋洗い状態で寝ているに違いないが、それでもなお子供が生まれている。

 外に面して光が入るところでは、母親が娘の髪の毛からシラミを取っている。
タイやベトナムではシラミ取りは、山間部に行かないとなくなってしまった。
ダバオでは水道こそ引かれているようだが、水量がほそく飲料用だけで、頭や身体を洗うにまでは賄えないのだろう。
それでも人々は笑顔を見せて、とても気が良い。

大きい貧富の差
 貧富の差ということで言えば、街の風景から見る限り、とても大きいと言わざるを得ない。
庶民の住まいは、路地から路地へと続く街並みに密集しており、狭い部屋に大勢の人たちが住んでいる。
それに対して、裕福な人たちはゲーテット・ヴィレッジに住んでいる。machino

 フィリピンでのガードマンの普及は、他の東南アジア諸国よりも多い感じがする。
立派な店構えの商店には、ほとんど銃を持った警備員がおり、出入りに目を光らせている。
ちょっと高級なホテルなどは、タクシーをはじめすべての車の車体下に鏡を差し込んで検査し、乗客は手荷物検査とボディチェックが強制される。

 ボクの泊まったホテルもご多分に漏れない。
まず門のところでタクシーの内外が調べられる。
そして、玄関のところで再度の検査がなされる。
バックなどの手荷物は、開けて中を見られる。
タクシーから降ろした大きなトランクは開いて検査せずに、警察犬のような大型犬が鼻をつけて嗅ぎ回していた。

 物の値段もひどく差がある。
外資系のカフェは高い。
ダンキンドーナツではドーナツ1つ40ペソ(100円)くらいするが、地元のパン屋さんでは3〜4ペソである。
すべてがこうで、マクドナルドなど外資系のレストランというか、中産階級以上を相手にした店はほとんど日本と同じ値段である。
スタバのコーヒーが100ペソ(250円)くらい。
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 パブリック・マーケットなどにある食堂では、食事をするにも30〜40ペソ(75〜100円)もあれば充分である。
とある外資のカフェでは、注文を待つ客にデジタル武装のコースターを渡された。(右の写真がデジタル・コースター)
注文したのができあがると、コースターが光を発しながら音を立てるのだ。
ここではギンギンにクーラーが効いている。
もちろん地元の食堂にはクーラーがなく、テーブルに木の椅子である。

 ダウン・タウンからちょっと離れると、立派な門構の中には静謐な空気が流れた環境がある。
ダバオ博物館はそんなゲーテット・ヴィレッジの中にあって、タクシーは門の前までだった。
ゲーテット・ヴィレッジの中は清潔に手入れされ、街の喧騒はまったく聞こえてこない。
ガードマンが普通の社会では、ゲーテット・ヴィレッジも抵抗ないのだろう。

 現地の人たちは物乞いに喜捨している。
喜捨する人がいるから、物乞いたちも生きていける。
ボクの乗ったタクシーの運転手も、そっとドアを開けて老女にお金を渡していた。

 物乞いについて言えば、物乞いは店に入れてもらえない。
ベンチを備えたセブン・イレブンでは、両親と子供3人の物乞いがガラス戸の外で元気に活動している。
すると店でビニール袋入りの大きな食パンを買った人が、物乞いにさりげなく手渡していた。
おそらく彼らにプレゼントするために、わざわざパンを買ったのだろう。

 福祉のない途上国のほうが、人々は心優しいのだろうか。
喜捨は物乞いのためにするのではなく、喜捨するもの自身のために行うのだ。
喜捨というのは、喜捨する者の心を安らかにしてくれるものだと、ボクも思う。
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