7時に1階のロビーに集合して、すぐに建国市場に向かう。
すでにピークは過ぎているようだが、それでもまだまだ活気は残っている。
生きた鳥が籠に入っていたり、鳥肌状態の鶏がカウンターから直角に首を下げて、何羽も並んでいる。
黒い鶏も、同じように鳥肌状態である。
大通りから直角に2本の細道が走り、それに細い道が何本か直行している。
建国市場ではその両側に小さな店がひしめき合い、どこまで行っても店が続いている。
アジアの市場らしく、肉、魚、野菜と生鮮食品が所狭しと並んでいる。
狭い通路には、陳列棚が店からはみ出している。
そこへスクーターが割り込んでくる。
まさにアジアである。
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建国市場の内部 |
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魚の頭だけが… |
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1センチ角のサイコロ状になった肉や、小さく素材を加工した店があったり、飲食店の素材らしきものを売っている店もある。
あれは火鍋の具だろうか。
素材が多いので、そのまま食べるものは少ない。
しかし、広い。
行けども行けども店は続く。
屋根のある市場から、屋根のないところへ出たが、そこにも店は並んでいる。
芋らしきものを買い食いしてみる。
思った通り芋で、味は大学芋といった感じである。
10時くらいになったのだろうか。
さあこれから、どこへ行くのだとなって、宝覚寺でしょうということになった。
金色の布袋様が座っているのだとか。
ここから歩くのは遠い。
そこでタクシーなのだが、なかなか来ない。
やっと来た定員4人のタクシーに5人で乗ろうとする。
運転手は苦笑いをしながら、5人を運んでくれた。
ソウルでも定員オーバーで乗ったけど、でも、これって大人のやることじゃないよね。
宝覚寺に着いた。
朝食を充分に食べなかったことも手伝って、お腹も空いてきた。
参詣する前に、食事をしようと言うことになったが、近所にはレストランがない。
やっと見つけたレストランは、開店は11時だと言って、仕込みの最中である。
おかずは何品かあるが、今ご飯を炊いているので、ご飯がないという。
それでも良いと、強引に店に入ってしまう。
店の真ん中のテーブルに5人が座り、おかずを5皿ばかり頼む。
仲間の1人が、なんと缶ビールを買ってきた。
誰も客のいない店で、はや酒盛りである。
店の人たちは呆れて笑っている。
片言の言葉で、辛うじて意志疎通ができている。
これこそ自由な旅の醍醐味だろう。
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金色の布袋様 |
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昨日とうってかわって、暖かい陽光の中を、あらためて宝覚寺にむかう。
道路からも塀越しに金色の布袋様が見える。
我が国の仏様と違って、微笑んでいるから何となく長閑なのだ。
門をはいると、ビックリするくらい大きな寺院である。
しかし、鹿港で見たような極彩色の寺院ではなく、鉄筋コンクリート製の新しいものだ。
しかも参詣者は誰もいない。
のんびりと歩く。
黒衣の老女が寺院から出てきた。
黒い帽子をかぶっており、なかなかシックなファッションである。
近くへ来たので挨拶すると、日本語が返ってきた。
膝の手術をしたとかで、ちょっと足が不自由だが、数えでは100歳だという。
とてもそうは見えない。
日本人に対してとても親切で、いろいろと説明してくれる。
蒋介石たちに対しては悪感情を持っているらしく、中国から来た外地人にたいして、<チャンコロ>と言っていたのには驚いた。
いまでは日本ではとても口に出来ない言葉だ。
中国人は恥知らずだが、日本人は養親だという。
良くも悪くも、戦争の影響は大きい。
この宝覚寺には台湾で死んだ日本人の共同墓碑があった。
南国の太陽の下、孔子廟まで歩く。
大した距離ではないのだが、朝が早かったのと、さっき飲んだビールのせいで、皆さんお疲れモードである。
もちろんボクも怠い。
やっとのことで孔子廟に辿りつき、中に入る。
大きな建物で、前庭に続いて、広い中庭。
本堂と同じく日の字型の構造である。
中央の本堂には孔子、両脇の回廊には弟子たちが安置されている。
ここも人がいない。
母親と小さな子供がいただけだ。
それに若い女性とすれ違ったかな。
孔子廟はどこにもある。
孔子という人はスゴイ人だったんだ、と改めて感心する。
しかし、皆様一行は、階段に座って動かない。
何だか、元気がない。
次にどこへ行くかを相談する。
台中の原宿があるというので、そこへ行くことになった。
まったく場当たりである。
歩いて行くには遠い。
バスは路線が判らず、タクシーで行くことになった。
定員4人のタクシーに5人で乗り込んだら、こんどは乗車拒否された。
6人乗りはあまり走っておらず、仕方なしに2台に分乗する。
先発のタクシー運転手には、全国大飯店へ行ってくれといって、ボクは後発のタクシーに乗る。
しかし、そごうデパートの話をしていたので、先発組はそごうデパートへ行ってしまった。
これはボクのミスだったが、同行者の携帯電話がつかえて無事に合流できた。
台中港路一段の中ほどにある全国大飯店は、1980年に創建されたときには、台中で一番の高級ホテルだったという。
今ではもっと高級ホテルが出来たらしいが、2人もドアーボーイがおり、ロビーもゆったり。
ちょっとレトロな良い雰囲気。
ここでお茶をする。
ケーキにコーヒー、それに中国茶、優雅な時間である。
5人の料金があわせて1122元。
同じメンバーで行ったペニンスラでのお茶が、8000円近かったのを考えると、おおよそ半額である。
ここからバラバラに自由行動という話も出たが、結局、一緒の行動になった。
そして、台中の原宿を目指して歩き始めた。
台中港路一段という中央分離帯のある広い道路に、合流する道路もきっちりと直角に交差する。
このあたりは新市街と言ったらいいのだろうか。
道路に面して新しく大きな建物が目立つ。
しかし、ちょっと入ると二階建ての建物が建ちならび、あたりは長閑な雰囲気である。
精明一街と精明二街という街路が、台中の原宿なのだ。
ゆるく南に傾斜した街路は、300メートルくらいの長さだろうか。
精明一街は歩行者天国になっており、道路にはテーブルや椅子がおかれている。
お洒落(?)なお店が並んでいる。
北端には春水堂-台中本店があり、優雅なお茶が楽しめる。
我々も入ってみる。
春水堂-台中本店は内部が2フロアーになっており、モダンな感覚でレトロな雰囲気を演出したといった感じ。
1階のカウンターで注文を入れると、2階のテーブルまで運んでくれるというシステム。
一度テーブルでメニューを見てから、またカウンターまで行かなければならず、ちょっと面倒なシステムでもある。
メニューは珍しいものがズラッと並んでいる。
お茶だけではなく、果物のジュースに香辛料を混ぜたものとか、お菓子というかケーキのようなものもある。
あれこれとって、少しずつ味見してみる。
微妙な味。
しかし、アルコール類は一切ない。
どうも、台中人はあまりお酒を飲まないようだ。
お昼にビールを飲んだせいか、いささか元気がない。
一度ホテルに戻ろうかと言うことになった。
今度は最初から2台のタクシーに分乗してホテルへ戻る。
ホテルでちょっと休憩である。
夕食をどうするか?
ホテルで聞くと、何と全国大飯店を薦めてくれる。
受付のお兄さんが、以前、全国大飯店に勤めていたのだとか。
飲茶だと言うが、それも良いではないかということになった。
ふたたびタクシーに乗って、全国大飯店へと向かう。
全壽楼というVIP用の広東料理レストランと、全福楼という本土浙江省の伝統的な味を伝えるレストラン、それに花園珈琲廳というバイキング・スタイルのレストランがあったらしい。
らしいというのは、真っ直ぐ行ってしまったのが地下の花園珈琲廳だったのだ。
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全国大飯店のロビー |
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バイキング・スタイルの食べ放題で、追加の料理もとれる。
花園珈琲廳はすこぶる大衆的で、大きな丸テーブルには若い人がにぎやかである。
中央には回転する丸テーブルもある。
かつては高級ホテルだったのが、いまでは庶民も入れるよう、グッと敷居が低くなったのだろう。
やっぱりビールだろう。
生ビールはないというので、大瓶ビールの台湾ビールをもらう。
まず乾杯。
台湾ビールは日本のビールと変わらぬ味で、軽く喉を通りすぎていく。
中央のカウンターに足繁く通う。
やがて飲茶がワゴンで運ばれてくる。
蒸籠を開けて蒸し物をもらう。
香港に比べると、味のほうはちょっと物足りない。
白酒を頼もうと思ったけど、同行者たちの反対にあい、紹興酒になってしまった。
ここでも台中の皆さんは、お酒を飲まないようだ。
やれビールだ紹興酒だ、といっているのは我々だけ。
しかし、皆さんお疲れのせいか、お酒の減りが遅くなり、紹興酒は半分くらい残ってしまった。
紹興酒はお持ち帰りである。
と言いながら、全員が満腹。
仲間の1人は食べ過ぎて、あとで困っていた。
台中最後の夜だもの。
まだ夜は早い。
ということで、いよいよ逢甲夜市へと向かった。
地図で見ると近いので歩きだしたが、それらしき場所になかなかお目にかかれない。
近くの店に入ってオバサンに聞くと、逢甲夜市は遠いからタクシーで行けという。
また定員4人に5人乗りで行く。
確かに遠い。
なかなか着かない。
やっと煌びやかなネオンが見えてきた。
逢甲夜市だといって降ろされた。
小さな雑貨屋さんがびっしりと並ぶ。
衣類を売るファッション関係が多い感じ。
1時間ばかり自由時間と言うことにして、2組に分かれる。
特別に買いたい物があるわけではないから、ブラブラと人混みを歩く。
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