初老人たちの台中旅行
2011.3.23−記
第1日目 台北に到着 台中に到着
第2日目 鹿港へ遊ぶ 鹿港の市内探検
第3日目 建国市場から市内へ
第4日目 台鐵で台北へ 雨中居のトップに戻る


第3日目−1   建国市場から市内へ
 
 7時に1階のロビーに集合して、すぐに建国市場に向かう。
すでにピークは過ぎているようだが、それでもまだまだ活気は残っている。
生きた鳥が籠に入っていたり、鳥肌状態の鶏がカウンターから直角に首を下げて、何羽も並んでいる。
黒い鶏も、同じように鳥肌状態である。

 大通りから直角に2本の細道が走り、それに細い道が何本か直行している。
建国市場ではその両側に小さな店がひしめき合い、どこまで行っても店が続いている。
アジアの市場らしく、肉、魚、野菜と生鮮食品が所狭しと並んでいる。
狭い通路には、陳列棚が店からはみ出している。
そこへスクーターが割り込んでくる。
まさにアジアである。

建国市場の内部
魚の頭だけが…

 1センチ角のサイコロ状になった肉や、小さく素材を加工した店があったり、飲食店の素材らしきものを売っている店もある。
あれは火鍋の具だろうか。
素材が多いので、そのまま食べるものは少ない。
しかし、広い。
行けども行けども店は続く。
屋根のある市場から、屋根のないところへ出たが、そこにも店は並んでいる。

 芋らしきものを買い食いしてみる。
思った通り芋で、味は大学芋といった感じである。
10時くらいになったのだろうか。
さあこれから、どこへ行くのだとなって、宝覚寺でしょうということになった。
金色の布袋様が座っているのだとか。
ここから歩くのは遠い。
そこでタクシーなのだが、なかなか来ない。
やっと来た定員4人のタクシーに5人で乗ろうとする。
運転手は苦笑いをしながら、5人を運んでくれた。
ソウルでも定員オーバーで乗ったけど、でも、これって大人のやることじゃないよね。

 宝覚寺に着いた。
朝食を充分に食べなかったことも手伝って、お腹も空いてきた。
参詣する前に、食事をしようと言うことになったが、近所にはレストランがない。
やっと見つけたレストランは、開店は11時だと言って、仕込みの最中である。
おかずは何品かあるが、今ご飯を炊いているので、ご飯がないという。
それでも良いと、強引に店に入ってしまう。

 店の真ん中のテーブルに5人が座り、おかずを5皿ばかり頼む。
仲間の1人が、なんと缶ビールを買ってきた。
誰も客のいない店で、はや酒盛りである。
店の人たちは呆れて笑っている。
片言の言葉で、辛うじて意志疎通ができている。
これこそ自由な旅の醍醐味だろう。

金色の布袋様

 昨日とうってかわって、暖かい陽光の中を、あらためて宝覚寺にむかう。
道路からも塀越しに金色の布袋様が見える。
我が国の仏様と違って、微笑んでいるから何となく長閑なのだ。
門をはいると、ビックリするくらい大きな寺院である。
しかし、鹿港で見たような極彩色の寺院ではなく、鉄筋コンクリート製の新しいものだ。
しかも参詣者は誰もいない。
のんびりと歩く。

 黒衣の老女が寺院から出てきた。
黒い帽子をかぶっており、なかなかシックなファッションである。
近くへ来たので挨拶すると、日本語が返ってきた。
膝の手術をしたとかで、ちょっと足が不自由だが、数えでは100歳だという。
とてもそうは見えない。
日本人に対してとても親切で、いろいろと説明してくれる。

 蒋介石たちに対しては悪感情を持っているらしく、中国から来た外地人にたいして、<チャンコロ>と言っていたのには驚いた。
いまでは日本ではとても口に出来ない言葉だ。
中国人は恥知らずだが、日本人は養親だという。
良くも悪くも、戦争の影響は大きい。
この宝覚寺には台湾で死んだ日本人の共同墓碑があった。  

 南国の太陽の下、孔子廟まで歩く。
大した距離ではないのだが、朝が早かったのと、さっき飲んだビールのせいで、皆さんお疲れモードである。
もちろんボクも怠い。
やっとのことで孔子廟に辿りつき、中に入る。
大きな建物で、前庭に続いて、広い中庭。
本堂と同じく日の字型の構造である。

 中央の本堂には孔子、両脇の回廊には弟子たちが安置されている。
ここも人がいない。
母親と小さな子供がいただけだ。
それに若い女性とすれ違ったかな。
孔子廟はどこにもある。
孔子という人はスゴイ人だったんだ、と改めて感心する。
しかし、皆様一行は、階段に座って動かない。
何だか、元気がない。

 次にどこへ行くかを相談する。
台中の原宿があるというので、そこへ行くことになった。
まったく場当たりである。
歩いて行くには遠い。
バスは路線が判らず、タクシーで行くことになった。
定員4人のタクシーに5人で乗り込んだら、こんどは乗車拒否された。
6人乗りはあまり走っておらず、仕方なしに2台に分乗する。
 先発のタクシー運転手には、全国大飯店へ行ってくれといって、ボクは後発のタクシーに乗る。
しかし、そごうデパートの話をしていたので、先発組はそごうデパートへ行ってしまった。
これはボクのミスだったが、同行者の携帯電話がつかえて無事に合流できた。

 台中港路一段の中ほどにある全国大飯店は、1980年に創建されたときには、台中で一番の高級ホテルだったという。
今ではもっと高級ホテルが出来たらしいが、2人もドアーボーイがおり、ロビーもゆったり。
ちょっとレトロな良い雰囲気。
ここでお茶をする。
ケーキにコーヒー、それに中国茶、優雅な時間である。
5人の料金があわせて1122元。
同じメンバーで行ったペニンスラでのお茶が、8000円近かったのを考えると、おおよそ半額である。

 ここからバラバラに自由行動という話も出たが、結局、一緒の行動になった。
そして、台中の原宿を目指して歩き始めた。
台中港路一段という中央分離帯のある広い道路に、合流する道路もきっちりと直角に交差する。
このあたりは新市街と言ったらいいのだろうか。
道路に面して新しく大きな建物が目立つ。
しかし、ちょっと入ると二階建ての建物が建ちならび、あたりは長閑な雰囲気である。

 精明一街と精明二街という街路が、台中の原宿なのだ。
ゆるく南に傾斜した街路は、300メートルくらいの長さだろうか。
精明一街は歩行者天国になっており、道路にはテーブルや椅子がおかれている。
お洒落(?)なお店が並んでいる。
北端には春水堂-台中本店があり、優雅なお茶が楽しめる。
我々も入ってみる。

 春水堂-台中本店は内部が2フロアーになっており、モダンな感覚でレトロな雰囲気を演出したといった感じ。
1階のカウンターで注文を入れると、2階のテーブルまで運んでくれるというシステム。
一度テーブルでメニューを見てから、またカウンターまで行かなければならず、ちょっと面倒なシステムでもある。

 メニューは珍しいものがズラッと並んでいる。
お茶だけではなく、果物のジュースに香辛料を混ぜたものとか、お菓子というかケーキのようなものもある。
あれこれとって、少しずつ味見してみる。
微妙な味。
しかし、アルコール類は一切ない。
どうも、台中人はあまりお酒を飲まないようだ。

 お昼にビールを飲んだせいか、いささか元気がない。
一度ホテルに戻ろうかと言うことになった。
今度は最初から2台のタクシーに分乗してホテルへ戻る。
ホテルでちょっと休憩である。

 夕食をどうするか?
ホテルで聞くと、何と全国大飯店を薦めてくれる。
受付のお兄さんが、以前、全国大飯店に勤めていたのだとか。
飲茶だと言うが、それも良いではないかということになった。
ふたたびタクシーに乗って、全国大飯店へと向かう。

 全壽楼というVIP用の広東料理レストランと、全福楼という本土浙江省の伝統的な味を伝えるレストラン、それに花園珈琲廳というバイキング・スタイルのレストランがあったらしい。
らしいというのは、真っ直ぐ行ってしまったのが地下の花園珈琲廳だったのだ。

全国大飯店のロビー

 バイキング・スタイルの食べ放題で、追加の料理もとれる。
花園珈琲廳はすこぶる大衆的で、大きな丸テーブルには若い人がにぎやかである。
中央には回転する丸テーブルもある。
かつては高級ホテルだったのが、いまでは庶民も入れるよう、グッと敷居が低くなったのだろう。

 やっぱりビールだろう。
生ビールはないというので、大瓶ビールの台湾ビールをもらう。
まず乾杯。
台湾ビールは日本のビールと変わらぬ味で、軽く喉を通りすぎていく。
中央のカウンターに足繁く通う。
やがて飲茶がワゴンで運ばれてくる。
蒸籠を開けて蒸し物をもらう。
香港に比べると、味のほうはちょっと物足りない。
白酒を頼もうと思ったけど、同行者たちの反対にあい、紹興酒になってしまった。

 ここでも台中の皆さんは、お酒を飲まないようだ。
やれビールだ紹興酒だ、といっているのは我々だけ。
しかし、皆さんお疲れのせいか、お酒の減りが遅くなり、紹興酒は半分くらい残ってしまった。
紹興酒はお持ち帰りである。
と言いながら、全員が満腹。
仲間の1人は食べ過ぎて、あとで困っていた。

 台中最後の夜だもの。
まだ夜は早い。
ということで、いよいよ逢甲夜市へと向かった。
地図で見ると近いので歩きだしたが、それらしき場所になかなかお目にかかれない。
近くの店に入ってオバサンに聞くと、逢甲夜市は遠いからタクシーで行けという。
また定員4人に5人乗りで行く。
確かに遠い。
なかなか着かない。

 やっと煌びやかなネオンが見えてきた。
逢甲夜市だといって降ろされた。
小さな雑貨屋さんがびっしりと並ぶ。
衣類を売るファッション関係が多い感じ。
1時間ばかり自由時間と言うことにして、2組に分かれる。
特別に買いたい物があるわけではないから、ブラブラと人混みを歩く。 
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