初老人たちと若者のクロアチア旅行記
2013.6.−記
第1日目 ザグレブに到着
第2日目 ザグレブ市内−午前中 ザグレブ市内−午後から
第3日目 シュベニクへ
第4日目 シュベニク→スプリット
第5日目 スプリットは城壁内
第6日目 城壁内から市外へ
第7日目 スターリ・グラード往復
第8日目 スプリット→ドブロヴニク
第9日目 ドブロヴニクの城壁内
第10日目 ドブロヴニク→ザグレブ
第11日目 ザグレブを出発 雨中居のトップに戻る


第10日目  ドブロヴニク→ザグレブ 

 今日は残しておいたスルジ山へと行く。宿を出てピレ門を見ながら、スルジ山のほうへと歩いて行く。道路が狭く一方通行である。両側から崖が迫っており、拡幅もままならない地形である。トンネルも掘らずに、こんな所をそのまま使っているのも、いかにもクロアチアらしいところだろうか。

 ロープウェイの切符を買う。切符を買う場所と、乗り場が随分と離れている。切符を買った後、また道路に戻って坂道を登ると、やっとロープウェイの乗り場に着くのだ。ここにも韓国人の団体さんがいる。ドブロヴニクは今までの都市とは違い、大勢の団体さんがひしめき合っている。白人はもちろん、アジア人もたくさんいる。日本の団体から、中国人、韓国人と、それぞれが特有の勢いをもっている。

標高412メートルのスルジ山を見る

 スルジ山は標高412メートルだそうだ。ロープウェイは5分もかからずに、あっという間に頂上に到着する。ここはドブロヴニクを陸地からの攻撃から守るために、要塞となっていたらしい。この要塞に兵隊がいつも詰めていて、敵兵らしきものが見えると直ちに下へと知らせたのだろう。ドブロヴニクは一度も外国の支配下に置かれたことはなく、貢ぎ物などの奉献によって独立を保ったという。しかし、独立を保つという強い意志がなければ、貢ぎ物を送ることすら適わなかったはずである。平和ボケした日本から海外に出ると、生き延びることの難しかったことがよくわかる。

 山頂でしばらく時間をつぶし、またロープウェイに乗って下る。独立戦争展示館に行き損なってしまった。下に降りて、城壁の中に戻る。まだお土産を買っていない。旅行の道中では、お土産は荷物になるし、壊れても困るので、最終地で買うことになる。今回もここで買わないと、買いそびれてしまう。

 かつてヴェニスに行ったとき、カーニバルで使われる仮面を買いたかった。しかし、旅行の途中だったので、壊れやすい仮面は買えなかったのだ。嬉しいことに、ドブロヴニクでも2月にカーニバルがあり、そこで仮面が使われているという。ヴェニスは水運で栄えた都市である。ヴェニスを出た船が、ドブロヴニクで休憩したに違いない。その時には、ヴェニスの文化もドブロヴニクへともたらされたのだろう。ヴェニスのカーニバルが移植されたのだ。

標高412メートルのスルジ山を見る

 文化は進んだ地方から、遅れた地方へと伝播する。アメリカからミッキーマウスが来ても、日本から鉄腕アトムがアメリカに行くことはない。ヴェニスとドブロヴニクを比べれば、圧倒的にヴェニスのほうが進んでいたはずだ。今まで歩いて来た諸都市も、建物といい食べ物といい、イタリアの影響が強く残っていた。

 城壁の中の本屋で、仮面を売っていた。買おうとした仮面は女性のもの。385クーネだという。約7000円である。値引きできるかと聞くと、値引きできないと言う返事。アラブなどと違って、一般にクロアチアでは定価販売が多い。値引き交渉はしないで、仮面を買うことにした。こんなところでヴェニスの仮面が買えたことは幸運だった。

 午後の飛行機で、初老人組の3人はザグレブに戻る。若者たちはモンテネグロのコルトへ行くという。コルトはドブロヴニク飛行場の先だ。宿のオジサンが、飛行場まで車を出してくれるというので、5人で飛行場まで行くことにした。

聖イグナチオ教会

 我々初老人組は飛行機を待つだけだ。しかし、若者たちには問題が発生した。ドブロヴニクから飛行場を経由してコルトへ行くと思っていたバスが、飛行場には寄らないでコルトへ直行してしまうことが、飛行場の案内所で聞いてわかった。その時の案内所の対応が傑作だった。飛行場からコルトへはヒッチハイクで行けという。しかも、行き先を書いたヒッチハイク用の紙を、案内所の人が書いて渡してくれたのだ。

 コルトまでは2時間とはいえ、案内所の人がヒッチハイクで行けといって、行き先の紙まで書いてくれるとは驚いた。この地域はそれほどノンビリしているのだろう。治安も良いに違いない。だから、案内所の人がヒッチハイクを薦めるのだろう。笑いながら若者2人と分かれた。

 ドブロヴニクからザグレブへは1時間の飛行である。多くの人はザグレブから、他の都市へと乗り継ぐようだ。われわれも、ミュンヘン経由で成田に向かう。しかし、ザグレブに1泊しないと、乗り継ぎ便がないのだ。

 若者たちが予約しておいてくれたホテルに向かう。ザグレブ市内の観光は終わっているので、飛行場の近くのホテルである。歩いて5分だという。聞きながら歩いて行くと、のどかな風景の中にホテルはあった。

 <Barba Niko>といって、大きな民宿のようだ。建物の右半分はオーナーが住んでいるのだろう。左半分がホテルになっている。今までの下宿形式の宿とは違って、広い食堂もある。ここで夕食をとる。

 今夜で旅も最後である。初老人たちは疲れたのか、そうそうに寝入ってしまった。

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