地下鉄に乗ろうにも、ハングルが読めないボクたちは、自動発券機がつかえない。
Aさんに案内されて、窓口にいく。
地下鉄は目的地まで1300ウォン。
黄色い切符の真ん中に、磁気が入ったラインがある。
降りるときにも切符が必要なので、切符を取り忘れないようにと、Aさんから指示がとぶ。
地下鉄のホームは線路と完全に遮断されている。
電車が入ってくると、電車の扉と連動してホームのガラス戸も開く。
東京はまだここまで来ていない。
これはソウルの勝ち。
地下鉄は空いていた。
しかし、市内に近づくと、だんだんと混んできた。
見ていると、若者が老女に席を譲る。
敬老精神は、我が国より強そうだ。
地下鉄など交通機関のなかで、ソウル人は携帯をがんがん使っている。
香港人も電車中で携帯を使うし、これが世界標準である。
我が国だけが、携帯を使わせない。
携帯の電波で、心臓のペースメーカーが、異常反応したという話は聞かない。
にもかかわらず、車中での携帯禁止である。
だれが携帯禁止と言いだしたのだろうか。
誰が決めたというわけでもないのに、日本ではいつの間にか車中では携帯禁止になっていた。
どこでも使えるという携帯の機能を無駄にしている。
タバコの害は、はっきりとした根拠がありながら、なかなか全面禁煙にならない。
どうも日本は、ガラパゴスへの道を進んでいるのかもしれない。
韓国人と日本人は、ほんとうによく似ている。
1人1人では区別が付かない。
それでも何人かまとまると、違いがわかる。
6人の日本人集団は、やっぱり目立つのだろう。
車中で注目を集める。
やがて慣れてくると、だれもボクたちを気にしなくなる。
約1時間で、市中に入るらしい。
鐘閣3街駅で、地下鉄1号線に乗り換え。
ここは大きく広い駅らしい。
乗り換えにちょっと歩く。
動く歩道が、一時止まってしまうハプニング。
しかし、笑うだけ。だれも慌てもしないし、怒らない。
ときどき止まるのだろうか。鐘閣(チョンノ)へは一駅である。
鐘閣駅では、ホームのガラス戸が工事中だった。
鉄の柱だけ立っていて、まだ他には何もない。
韓国でも工事自体は、夜やっているのだろう。
我が国だと、こうした工事はどうするだろうか。
一夜城的な徹夜工事で、翌日までに完成させるのか。
ちょっとわからない。でも、翌日も翌々日も、柱のままだった。
韓国ではいつ工事をやるのだろうか。
そんなことを観察しながら、鐘閣駅におりる。
地下街から地上にでると、広い鐘路通り。
土曜日のせいか、交通量はそれほど多くない。
何となく見なれた感じだが、看板がすべてハングルである。
それを除けば、東京とよく似ている街の空気である。
YMCAホテルは、地下道からでるとすぐ近くで、鐘路通りに面している。
かつては6階がフロントで、6階から上はすべて客室だったように記憶していたが、今回は8階がフロントになっていた。
そのうえ、客室は8階だけになっていた。
きれいにリフォームされており、かつてのレトロな雰囲気はない。
客室にも、内側に気密性の高いサッシが入って、防音性も上がっていた。
YMCAホテルのことを、いくつか書いておくと、
ヨーロッパの安宿のようにへたったベッドではく、実にしっかりしたベッドだった。
もちろんベッド・メイキングも毎日きちんとされていたし、毛布なども充分にあった。
タオルはバス・タオルと、フェイス・タオルだけだが、品質は充分である。
何よりもよかったのは、室内の暖房がちょうど良かったことだ。
冬の寒いソウルでは、暖房には神経を使っているのだろう。
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部屋割りが決まると、ロビーでミーティング。
1人は友人に会うために別行動。
5時半頃、5人がAさんの紹介で、夕食を食べに近所の韓食店にいく。
YMCAホテルのすぐ裏の韓食店で、きわめて大衆的な店だった。
靴をぬいであがり、ずんずんと奥へすすむ。
床の座布団にすわる。
注文はAさん任せにして、出てきたものをただちに口へ運ぶ。
ドンブリに入ったマッコリを、浅い大きな盃にうける。
白濁したマッコリは、不思議な味だった。
かすかに酢っぱ味がのこり、あまりアルコール分を感じない。
小さな気泡があり、柔らかい口当たりである。
韓国では、いわゆるお通しのような箸休めがたくさんでてくる。
この店でも、4品くらい出ただろうか。
すべておかわり自由で、料金は主皿に含まれている。
いくら食べても、タダということだった。
食事の途中で、Aさんの友人が登場。
楽しく話が盛り上がる。本場のチチジミは、薄くて新鮮だった。
そして、納豆のような味のスープが、妙なる味覚を呼ぶ。
いくら説明されても、なかなか料理の名前が覚えられない。
たらふく飲んで喰って、しめて6万1千ウォン。
5人で割っても、約800円である。
味と量、その安さに、全員が感動。
食後の運動をかねて、明洞(ミョンドン)へむかう。
YMCAホテル前のスターバックスの角をはいって、細い路地を南にむかって歩く。
清渓川路にでる。高速道路を廃止して、人工河川をつくって有名になったところである。
土曜日のせいだろうか、たくさんの人が散策している。
われわれも、河川におりる。
水の流れの両側には、ベンチがつらなりカップルが座っている。
カップルの前を大勢の人が歩くけれど、彼(女)らまったく気にならないらしい。
暗いからよく判らないが、2人だけの世界に没入している。
どうも韓国人のほうが、愛情表現が豊かなようだ。
明洞到着。
すごい人出である。
車の入らない狭い道に、人があふれている。
繁華街というより、歓楽街といった感じ。
渋谷のセンター街と言ったらいいだろうか。
4〜6メートルの路地が、縦横にはしっている。
古い街らしく、それほど高い建物はなく、小さな店がひしめきあっている。
約2名がBBクリームを買いに店にはいる。
そのあいだ、他の者は、とんがりソフトクリームを食べる。
ソフトクリームが途中で折れてしまう。あ〜っ!と言うまもなく、アスファルトのうえにべちゃっと落下。
無念!
他の人のとんがりを、少し分けてもらう。
人通りのなかを、きょろきょろとしながら、帰路につく。
明洞をでたところで、清渓川路を西に向かい、南大門路を北上する。
鐘路通りとの交差点には、普信閣(ポクシンガク)がみえる。
その脇をとおって、鐘路通りをYMCAホテルへと戻る。
ここでAさんは自宅へと帰っていった。
YMCAホテルには、別行動だった1人が戻っていた。
近所の売店から、真露とマッコリを買ってきて、1部屋に集まって宴会がはじまった。
酒を飲みつつ、ああだこうだと言いながら、ソウルの夜は更けていった。
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