鐘閣通りをホテルへと戻る。
古い友人と会う約束だった。
ホテルのロビーへと尋ねてきてくれた。
昼食を一緒にして、ソルロンタンを食べる。
ソルロンタンは薄味でありながら、コクがある。
現況報告など、おしゃべりに時間が過ぎていく。
午後からは、各自、行き先を組み替える。
アカスリに行く人と、一緒に出かけた。
めざす温泉マークは銭湯ではなく、旅館だった。
あわててAさんが、銭湯を探してくれる。
鐘閣通りを西に700メートルくらい歩いて、銭湯に到着。
入浴料金は5000ウォン、アカスリは15000ウォンだという。
アカスリ部隊は、興味津々で入っていった。
アカスリに興味がないボクは、Aさんとタプコル公園にいく。
タプコル公園は、韓国独立の象徴的な場所で、建国の父たちの銅像が建っている。
ここが今では老人公園になっているというのだ。
しかも、盤上遊技が盛んな場所でもあるらしい。
行かなくては。
1995年の前回の韓国旅行では、歩道でも公園でも市場でも、いたるところで将棋や碁が遊ばれていた。
それが今回は、まったく見かけないのだ。
我が国でも近代化がすすむと、縁台将棋がきえたように、韓国でも縁台将棋は消えたのだろう。
詳しくは「近代化を準備する者たち」を見ていただきたい。
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囲碁に興じる老人たち |
タプコル公園では、おじいさんたちがたくさんいた。
その数、ざっと650人といったところだろうか。
狭い公園に、びっちりと立っている。
ほとんどが男である。
男の年寄りが薄汚いのは、韓国も日本も同じである。
可哀想なことに、公園全体がなんとなく汚れて見える。
おじいさんたちの群れは、ところどころに固まっている。
そして、全員が地面を見つめている。
その視線の先には、碁盤があったのです。
近代化のメルクマールを求めて、アジアの盤上遊技を追っていたのは、もう10年前だ。
韓国での盤上遊技が消えたなかで、ここで再会するとは、なんだか感無量である。
韓国の近代化をにない、近代化ともに年齢を重ね、引退した老人たちが、むかしからの娯楽に興じている。
若者は盤上遊技には、もはや手をださない。
もしくは盤上遊技も、屋外から室内へと移動した。
老人だけが昔の習慣を残している。
しばらく観察していると、碁盤がみな同じであることに気が付いた。
お金を取っている男がいる。
この公園ではレンタル碁らしい。
青空碁会所になっているのだ。
公園の西のほうへ行くと、将棋をやっているグループがいた。
こちらはてんでに違う将棋盤だったし、駒も違うので、持参派なのだろう。
将棋は少数派ではあるが、それでもかなりの人たちが遊んでいた。
男の老人が集まると、ろくなことはない。
この付近でも、立ちんぼの女性が徘徊するのだそうだ。
そういえば、手提げバックをもった高齢の女性が、15人ばかり大勢の男性老人にまじっている。
歩道をぶらぶらと歩いたり、男と話したりしている。
パリの立ちんぼ女性たちとは違って、全員が高齢だから、なんとなくくすんだ立ち姿である。
街娼とか立ちんぼといえば、挑発的な服装を思い浮かべるが、彼女たちはむしろ地味な服装だった。
ぜんぜん挑発的ではない。
老人の性は、これから日本でも問題になるだろう。
興味のある問題だが、これはボクが追っている主題ではない。
彼女たちを見るだけにして、現場を後にした。
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宋廟の正殿中庭 |
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永寧殿の中庭で愛をはぐくむ中年カップル |
タプコル公園の北側には、朝鮮歴代の国王の位牌を祭った宗廟(チョンミョ)がある。
これが素晴らしい。入廟費は1000ウォンとられるが、必見である。
正殿といい、永寧殿といい、あたかも法隆寺を思わせる緊張感がただよっている。
正面の山門を入ると、両翼を塀に囲まれた中庭に出る。
正面には正殿がゆったりと屋根を広げている。
やや低い構えは、韓国独特かも知れない。
石敷きの中庭は、ゆるい上り勾配となっており、清冽な緊張感がただよっている。
規模は永寧殿より正殿のほうが大きく、デザイン的には永寧殿のほうが柔らかい感じがする。
日本語のパンフレットもあり、「囲いの中の廟庭は極めて静謐である。時の流れを無言で語るかのような厳粛さの漂う空間である。正殿と永寧殿のある廟庭には樹木や草木を一切植えていない反面、塀の周辺には厳選された特別な樹木を植えた。四方を鬱蒼とした幽玄な森に造り上げ廟庭だけが空に続く空間とした。天からの精気を授かり、そこに霊的な力が満ち宿るようにした」と書かれている。まさにそのとおりである。
法隆寺の中庭からも、天につうじる精気を感じるが、おそらく法隆寺の原型が韓国にあったのだろう。
韓国ではあまりにも身近にあるためか、あまり人が訪れていなかったが、ボクにとっては得難い場所であった。
正殿では、写真クラブの人たちが三脚をたてており、645や6×7の写真を撮っていた。
ホースマンを使っていたので、近づいて話かけると、達者な英語がかえってきた。
写真を撮るのは楽しいけど、フィルムや印画紙がなくなっていくのは寂しいとか、日韓共通の話題でひとしきり盛り上がった。
永寧殿にいくと、誰もいない中庭の真ん中に、中年のカップルが熱々で見つめあっている。
膝を突きあわせて、食べ物をお互いの口に運んでいる。
誰もいないとはいえ、こんな衆人環視のなかで、なかなか大胆な人たちである。
と思って考えてみると、韓国人のほうが愛情表現がおおっぴらに感じるし、スキンシップも大胆のようだ。
清渓川路で見たように、まるでヨーロッパの国ように、若者たちは傍若無人に愛を語っている。
中年のおじさんとおばさんも、町中で手をつないで歩いている。
日本人なら照れてしまいそうなくらいである。
愚妻などという表現が通用するのは、我が国だけかも知れないと思えてきた。
宋廟は必ずしも手入れが充分とは言いがたく、石が凸凹していたり、瓦が波打ったりしている。
おそらく創建当初は、もっともっと清冽で静謐な緊張感だったろう。
きわめて精神性の高い、韓国の上質な様式美を、見せつけられた思いだった。
宋廟のとなりには、朝鮮王朝の王様の住んだ景福宮がある。
大きな規模の建物で、たくさんの建築が軒を連ねている。
法隆寺の金堂によく似た建物があったり、夢殿のような建物もある。
しかし、集合時間がせまっており、ここは駆け足になってしまった。
朝鮮王朝の文化の質の高さは、充分に堪能できた。
ホテルに戻ると、すでに全員集合していた。
全員が張り切っているのは当然だろう。
今夜はかの有名な韓国焼き肉を食べに行くのだ。
Aさんの案内で、行く店は南のほうである。
地下鉄をのりかえて、そこから路線バスに乗る。
やってきたバスは、それなりに混んでいる。
中のほうに入っていくと、日本人ですかと聞かれる。
そうだと答えると、降りようとする中年男性が、なんと席を譲ってくれた。
韓国の地下鉄では、65歳以上は無料だという。
ボクよりは若そうだが、なんだか不思議な気分である。
日本人だから譲ってくれたのか、老人だから譲ってくれたのか、ちょっと分からない。
バスに乗ってやってきた焼き肉屋は、Aさんの大学友達が経営者だ。
友達の店だから連れてきたのではなく、実質的で美味しいから連れてきたという。
きわめて家庭的な雰囲気だった。
豚と牛の両方を扱っている店は、珍しいのだとか。
ショーケースの肉を見てえらぶ。
豚も牛も量り売りである。
もちろん凍ってはいない。
見てる前で切ってくれる。
例のごとく箸休めというか、お通しというか、お代わり自由のお皿が出てくる。
まず口に運んでみる。
ソウル・マッコリは置いてない。リクエストすると、近所の酒屋に買いにいってくれた。
じつにアジア的なサービスである。
こうしたサービスは、もう日本ではほとんど絶滅しただろう。
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食べ尽くされた豚さん |
豚からいく。
2種類の豚がでてきた。
ハサミでちょきちょきと切って、急いで口へ運ぶ。
熱い。
でも美味い。
肉には下味がついていない。
我が国の焼き肉とはちがう。
肉自身が美味い。
全員だまって食べている。
2センチくらいに切った肉を、次々と口に運ぶ。
お通しもどんどん補給される。
黙っていても、網を替えてくれる。
テーブルの上の排煙装置が上下する。
豚なら豚で攻めるのが、韓国流らしいが、やっぱり牛も食べてみたい。
ふつうの厚さに切った牛と、薄く切った牛がでてくる。
これまた黙って箸がのびる。
ソウル・マッコリもどんどん減っていく。
最後にビビンバをたべる。
締めて10万ウォン。6人で割って、1人前1300円といったところだろうか。
全員満足顔で店を後にする。
帰りはタクシーだねと言っていると、直通バスがあることが分かった。
結局、帰りもバスになり、漢江をわたって、あっという間に光化門まで帰ってきた。
そこからは鐘閣大通りを、ホテルまで歩いてきた。
ホテルでは、また酒盛りが始まったことはいうまでもない。
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