いよいよ最終日。
11時の昼食までは自由行動である。
ボクはAさんと、東大門まで行く。
東大門市場に行きたいのではなく、そこまでの街に興味があるのだ。
老人たちのタプコル公園をすぎ、南のほうへ進路をとる。
清渓川路を越えたあたりで、東向きに細い路地にはいる。
衛視陶器や設備関係の店が建ちならんでいる。
上野周辺の感じだろうか。
広い通りにでる。
なんと歩道で囲碁をやっている。
今回の旅行で、はじめての対面だった。
おもわず写真を撮らせてもらう。
しばらく歩くと、金寿根の建てたアパートが、リニューアルされていた。
道路を隔てて両側に、まったく同じ建物が新旧の顔を見せる。
上の写真はまだリニューアルされていないが、下の写真はリニューアルされている。
奥行きの長い長い建物だが、その断面が道路に露出している。
我が国では、日比谷のあったビルがリニューアルされたが、たちまちホテルへと建て替えられてしまった。
古い建物の再利用は、なかなか難しい。
今後韓国も、近代建築の建て替え期にはいるだろう。
どんな再利用がすすむのだろうか。
地震のない韓国だから、我が国より少しは有利だろうか。
東大門方向へいく。
細い道を選んで、ずんずんと歩く。
ロシア語の看板がふえてきた。
東大門到着。
地面店街だった東大門市場は、いまでは高層ビルの中に入っている。
南大門市場のようでは、防災上の問題があるから、再開発が進んでいるのだろう。
近くでは高層ビルが建築中だった。
11時にホテルに戻り、有志4名+Aさんで犬を食べに行く。
もうソウルの郊外に行かないと、犬は食べられなくなったとか。
はじめてタクシーに乗ることになったのだが、4人乗りのタクシーに5人で乗り込む。
光化門をすぎて、タクシーは走る。
1万ウォンだっただったから、ずいぶんと走った。
Aさんが運転手さんに、帰りも乗るから、食事後に店に来てくれと頼む。
それだけなら一寸の驚きだが、ホテルから金浦飛行場まで、6人乗りで行くように交渉した。
運転手さんも平気でそれに応じている。どっと驚く。
郊外といっても、街並みは続いている。
やがて、店に到着。
時間が早いせいか、店には客はいない。
大広間のようなところに、座卓が10台くらい並んでいた。
毎度のお通しがでてくる。
またもやソウル・マッコリの外注である。
店の人は嫌な顔もせずに、外へと買いにいってくれる。
やがて、鍋が運ばれてきた。
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犬肉の鍋 |
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平べったい鍋の中央には、犬の肉が並べられ、その廻りにはニラやゴマの葉がならんでいる。
やや深いお皿に、4種類の薬味をとり、よくかき混ぜる。
韓国料理は、とにかくよくかき混ぜるのだ。
ペースト状のタレをつくって、これに肉をつけて食べる。
犬肉は、やや歯ごたえのあるササミのよう。
下ごしらえがしてあるのだろう。
柔らかい。
皆、神妙な顔をして、肉を飲み込んでいる。
これが韓国最後の食事である。
それに、犬の肉であることも手伝って、心して食べているようだ。
ボクは犬の肉が2度目とはいえ、以前に食べた味覚など覚えていない。
感慨を新たにしながら、犬の肉を口へ運ぶ。
ベトナムでも街道筋には、犬の看板がたくさん出ているし、犬はアジアのどこでも食べられている。
鯨を食べる日本人が、犬を食べる人たちを気味悪がることはできないだろう。
そうは言っても、韓国でも犬食はなれが進み、犬肉の養殖がへっているとか。
近代化というのは、人の味覚まで変えてしまうのだ。
YMCAホテルに戻ると、韓国人の友人が来ていた。
話をしたかったが、飛行機の時間がせまっており、挨拶もそこそこにタクシーに乗り込む。
Aさんにお礼をいうが、いとも簡単な別れになってしまった。
Aさんとは日本でまた飲もう。
荷物を満載し、後ろに4人、前に2人のせたタクシーは、金浦空港へと快調にはしる。
途中でお巡りさんに止められるのではないかと、ヒヤヒヤしていたが、無事に飛行場に到着した。
WBC決勝戦が日韓の戦いになっており、金浦空港では全員がテレビの前に釘付け。
職員たちも、お客そっちのけで、テレビにしがみついている。
韓国が優勢だと、大きな歓声が上がる。
日本人は肩が狭い。
しかし、日本が勝って、やれやれである。
飛行機の時間まで、空港をぶらぶらする。
今回のボクの滞在費は、3泊のホテル代と食費、お土産などすべて含んで、計25、000円だった。
改めて、Aさんに感謝である。
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