団塊たちのソウル
2009.4.5−記
第1日目 金浦空港まで ソウル、第1食目
第2日目 お巡りさんと青瓦台 老人公園、宋廟、焼き肉
第3日目 南大門市場から韓屋マウルへ 民家と高層アパート
第4日目 犬の肉を食べにいく 雨中居のトップに戻る


第2日目   お巡りさんと青瓦台  


 7時起床。シャワーを浴びる。
朝食のために、4人で表にでる。
日曜日のせいか、道路は閑散としている。
鐘路通りを西へ50メートルほど歩く。
近所の定食屋さんには、3人ばかり先客が見えた。
入ってみる。

 なんと3人は日本人だった。
日本語も書かれたメニューを手渡してくれる。
ボロボロになったメニューで、さぞ多くの日本人旅行者のお役にたってきたのだろう。
海苔巻き、餃子、冷麺を注文する。
記念すべき朝食をまえに、4人で写真を撮ろうと、3人にシャッターを頼む。
今度は、3人からシャッターを頼まれる。

 ホテルに戻ると、Aさんが来ていた。
朝食の内容を話すと、冷麺は焼き肉の後に食べるのだと、笑っていた。

 今日はナンタに行く者、買い物に行く者と、それぞれが別行動である。
1人+ボクは、Aさんと曹渓寺(チョゲサ)から、青瓦台付近を歩く。
曹渓寺は、韓国仏教の最大派である曹渓宗の総本山というが、すこぶる気さくな構えで、ゆったりした空気が流れている。
拍子抜けするくらいノンビリしている。

曹渓寺の本尊様
 山門を入ると、正面に本堂がみえる。
まえの中庭には赤や青の装飾が、藤棚のように飾られている。
これが何を意味するのかわからない。
その下をとおって本堂へと近づく。
本堂では床にひれ伏して、参詣者がお祈りしている。
日曜の朝も早いから、まだ人数が少ない。
やがてたくさんの人が集まるのだろう。

 外から本尊の写真を撮ろうとすると、気軽にガラス戸を開けてくれた。
ボクと並んで、写真を撮る白人観光客もいる。
ここにはしかめつらしい宗教はない。
祈る人は他人にはかまわず祈る。
インドでもこうだった。

 宗教とはきわめて個人的なものだ。
まわりが鐘太鼓で、誰がどんなに騒ごうとも、自分1人で祈りに没入する。
騒ぐな、写真を撮るな、というヒマがあったら、祈る。
それが祈りである。
祈りに没頭する人は、さぞ至福の時間だろう。

 曹渓寺をでると、日本大使館のまえにでる。
韓国の機動隊が守っている。
ちょっと感慨深い。
そこから光化門をみながら、青瓦台へとむかう。
途中、国軍機務司令部の前をとおる。
しかし、機務司令部は移転しており、解体される予定だという。
このあたりは我が国でいえば、国会付近といったところだろうか。
そこらじゅうに警察官がいる。

青瓦台付近
 我が国と違って、道路を隔てると、もうそこには民家が広がっている。
ここらの民家はお金持ちそうだし、あたりには上品な空気がただよっている。
お金持ちそうな住宅ではあるが、いかにもお金持ちの大邸宅というのではない。
むしろ1軒1軒は小さい。
庭もほとんどない都市住宅である。

 一種の様式美を獲得したかのようで、昔からの韓国人たちが、大事に育て上げてきた上質な空気である。
いわゆる伝統様式ではない。
どこといって装飾があるわけでもなく、似た建物が並んでいるのでものない。
韓国人の研ぎ澄まされた美意識が、そっと滲みだしてくるといったら良いのだろうか。

 右手に民家を、左手に景福宮を見ながら、歩道のうえを青瓦台へと近づいていく。
道はやや上りで、ほとんど車は走っていない。
ボクたちは警官に誰何された。
日本人観光客だと分かると、かんたんに放免されて、楽しい旅をといわれた。
外国人に対してだからだろうか、ソフトムードで親切な対応である。

 制服の警官と私服の警官が、半分ずつくらいだろうか。
50メートルおきくらいに立っている。
私服警官といっても、一目で分かる黒い服装で、みな同じだから制服というべきなのだろう。
彼等のコート姿が、なかなかにお洒落なのだ。
すっきりした黒いコートは、誰がデザインしたのだろう。
鍛えられた細身の身体に、よく似合っている。

 韓国のお巡りさんには、あまりメタボの人はいない感じがした。
ところで、韓国人と日本人の区別方法は、歩き方だとAさんはいう。
徴兵のある韓国人は、歩き方がしっかりしているが、日本人の歩き方はノンビリしているのだそうだ。
そう言われてみれば、なるほどと思う。
地下鉄のなかで、迷彩服を着た若者を見たりすると、軍隊が身近なことに感心する。

 坂を上りきると、右から道路が合流しながら、左へと曲がっていく。
我々は道なりに左へと進む。
日曜だからだろう、政府の建物は門を閉じている。
小高い山を背に、青瓦台がみえる。
小高い山の中には、大統領府防衛のための軍隊がかくれているのだと、Aさんが説明してくれる。
あたりは緊張感ある空気だが、軍隊を連想させるものは何もない。
スマートな国防。
 
 中国人観光客が、集団で歩いてきた。
彼(女)らも、青瓦台を見に来たのだ。
大勢の人が青瓦台をバックに写真を撮る。
ボクもそれにまじって、パチリとやる。
青瓦台を右手に見ながら、だらだら坂を下りていくと、広い交差点にでる。
そこを左に曲がって、市中のほうへと戻り始める。

 景福宮の中には入らないで、周囲を回っているのだ。
左手の石塀がなかなかに良い雰囲気。ほとんど人もいないし、車も走っていない。
皇居前と同じように、日曜日の朝にここを歩くのは、外国人観光客くらいなものだろう。
人がたくさんいる風景もいいが、こんな風景もまた良いものだ。

 黒服の私服警官に、写真を撮ってくれとたのむと、気軽に応じてくれた。
日曜日はヒマなのだろう。
上手く撮れていなかったら、もう一度撮ろうかと言ってくれる。
しばらく歩く。
今度は、制服姿で立ち番のお巡りさんと、並んで写真を撮ろうとしたら、若いお巡りさんは止めてくれと困惑している。

 ソウルの冬は寒い。零下15度くらいになるという。
そんななかでも、立ち番をするのだろうと想像する。トンでもない仕事だと思う。
3月とはいえ、まだ寒い。
真冬の寒さを想像して、考え込んでしまった。
衰えたとはいえ、北朝鮮の脅威があるのだ。
寒さのなかで、戦争をするのも難儀なものだ。

 光化門を左手に見ながら、南へと歩く。
ビル取り壊しの看板がでている。
開発に取り残されてしまったけど、明日から開発をはじめますよ、といった感じの街である。
文化芸術会館へと入る。
裏から階段を上って、正面へまわる。
そのまま広い世宗路へとおりると、韓国の軍神である李舜臣将軍の銅像がみえる。

 李舜臣将軍は豊臣秀吉の軍と闘って、韓国を守ったのだそうで、今でも韓国軍のヒーローらしい。
イギリスのネルソン提督といったところだろうか。
近代になって、庶民も戦争にかり出されるようになった。
だから、近代の国民国家には、愛国心を謳うために、救国のヒーローが必要なのだ。
庶民が相手だから、宣伝・広告が大事にされるわけだ。

 午前の部が終了。
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