7時起床。シャワーを浴びる。
朝食のために、4人で表にでる。
日曜日のせいか、道路は閑散としている。
鐘路通りを西へ50メートルほど歩く。
近所の定食屋さんには、3人ばかり先客が見えた。
入ってみる。
なんと3人は日本人だった。
日本語も書かれたメニューを手渡してくれる。
ボロボロになったメニューで、さぞ多くの日本人旅行者のお役にたってきたのだろう。
海苔巻き、餃子、冷麺を注文する。
記念すべき朝食をまえに、4人で写真を撮ろうと、3人にシャッターを頼む。
今度は、3人からシャッターを頼まれる。
ホテルに戻ると、Aさんが来ていた。
朝食の内容を話すと、冷麺は焼き肉の後に食べるのだと、笑っていた。
今日はナンタに行く者、買い物に行く者と、それぞれが別行動である。
1人+ボクは、Aさんと曹渓寺(チョゲサ)から、青瓦台付近を歩く。
曹渓寺は、韓国仏教の最大派である曹渓宗の総本山というが、すこぶる気さくな構えで、ゆったりした空気が流れている。
拍子抜けするくらいノンビリしている。
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曹渓寺の本尊様 |
山門を入ると、正面に本堂がみえる。
まえの中庭には赤や青の装飾が、藤棚のように飾られている。
これが何を意味するのかわからない。
その下をとおって本堂へと近づく。
本堂では床にひれ伏して、参詣者がお祈りしている。
日曜の朝も早いから、まだ人数が少ない。
やがてたくさんの人が集まるのだろう。
外から本尊の写真を撮ろうとすると、気軽にガラス戸を開けてくれた。
ボクと並んで、写真を撮る白人観光客もいる。
ここにはしかめつらしい宗教はない。
祈る人は他人にはかまわず祈る。
インドでもこうだった。
宗教とはきわめて個人的なものだ。
まわりが鐘太鼓で、誰がどんなに騒ごうとも、自分1人で祈りに没入する。
騒ぐな、写真を撮るな、というヒマがあったら、祈る。
それが祈りである。
祈りに没頭する人は、さぞ至福の時間だろう。
曹渓寺をでると、日本大使館のまえにでる。
韓国の機動隊が守っている。
ちょっと感慨深い。
そこから光化門をみながら、青瓦台へとむかう。
途中、国軍機務司令部の前をとおる。
しかし、機務司令部は移転しており、解体される予定だという。
このあたりは我が国でいえば、国会付近といったところだろうか。
そこらじゅうに警察官がいる。
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青瓦台付近 |
我が国と違って、道路を隔てると、もうそこには民家が広がっている。
ここらの民家はお金持ちそうだし、あたりには上品な空気がただよっている。
お金持ちそうな住宅ではあるが、いかにもお金持ちの大邸宅というのではない。
むしろ1軒1軒は小さい。
庭もほとんどない都市住宅である。
一種の様式美を獲得したかのようで、昔からの韓国人たちが、大事に育て上げてきた上質な空気である。
いわゆる伝統様式ではない。
どこといって装飾があるわけでもなく、似た建物が並んでいるのでものない。
韓国人の研ぎ澄まされた美意識が、そっと滲みだしてくるといったら良いのだろうか。
右手に民家を、左手に景福宮を見ながら、歩道のうえを青瓦台へと近づいていく。
道はやや上りで、ほとんど車は走っていない。
ボクたちは警官に誰何された。
日本人観光客だと分かると、かんたんに放免されて、楽しい旅をといわれた。
外国人に対してだからだろうか、ソフトムードで親切な対応である。
制服の警官と私服の警官が、半分ずつくらいだろうか。
50メートルおきくらいに立っている。
私服警官といっても、一目で分かる黒い服装で、みな同じだから制服というべきなのだろう。
彼等のコート姿が、なかなかにお洒落なのだ。
すっきりした黒いコートは、誰がデザインしたのだろう。
鍛えられた細身の身体に、よく似合っている。
韓国のお巡りさんには、あまりメタボの人はいない感じがした。
ところで、韓国人と日本人の区別方法は、歩き方だとAさんはいう。
徴兵のある韓国人は、歩き方がしっかりしているが、日本人の歩き方はノンビリしているのだそうだ。
そう言われてみれば、なるほどと思う。
地下鉄のなかで、迷彩服を着た若者を見たりすると、軍隊が身近なことに感心する。
坂を上りきると、右から道路が合流しながら、左へと曲がっていく。
我々は道なりに左へと進む。
日曜だからだろう、政府の建物は門を閉じている。
小高い山を背に、青瓦台がみえる。
小高い山の中には、大統領府防衛のための軍隊がかくれているのだと、Aさんが説明してくれる。
あたりは緊張感ある空気だが、軍隊を連想させるものは何もない。
スマートな国防。
中国人観光客が、集団で歩いてきた。
彼(女)らも、青瓦台を見に来たのだ。
大勢の人が青瓦台をバックに写真を撮る。
ボクもそれにまじって、パチリとやる。
青瓦台を右手に見ながら、だらだら坂を下りていくと、広い交差点にでる。
そこを左に曲がって、市中のほうへと戻り始める。
景福宮の中には入らないで、周囲を回っているのだ。
左手の石塀がなかなかに良い雰囲気。ほとんど人もいないし、車も走っていない。
皇居前と同じように、日曜日の朝にここを歩くのは、外国人観光客くらいなものだろう。
人がたくさんいる風景もいいが、こんな風景もまた良いものだ。
黒服の私服警官に、写真を撮ってくれとたのむと、気軽に応じてくれた。
日曜日はヒマなのだろう。
上手く撮れていなかったら、もう一度撮ろうかと言ってくれる。
しばらく歩く。
今度は、制服姿で立ち番のお巡りさんと、並んで写真を撮ろうとしたら、若いお巡りさんは止めてくれと困惑している。
ソウルの冬は寒い。零下15度くらいになるという。
そんななかでも、立ち番をするのだろうと想像する。トンでもない仕事だと思う。
3月とはいえ、まだ寒い。
真冬の寒さを想像して、考え込んでしまった。
衰えたとはいえ、北朝鮮の脅威があるのだ。
寒さのなかで、戦争をするのも難儀なものだ。
光化門を左手に見ながら、南へと歩く。
ビル取り壊しの看板がでている。
開発に取り残されてしまったけど、明日から開発をはじめますよ、といった感じの街である。
文化芸術会館へと入る。
裏から階段を上って、正面へまわる。
そのまま広い世宗路へとおりると、韓国の軍神である李舜臣将軍の銅像がみえる。
李舜臣将軍は豊臣秀吉の軍と闘って、韓国を守ったのだそうで、今でも韓国軍のヒーローらしい。
イギリスのネルソン提督といったところだろうか。
近代になって、庶民も戦争にかり出されるようになった。
だから、近代の国民国家には、愛国心を謳うために、救国のヒーローが必要なのだ。
庶民が相手だから、宣伝・広告が大事にされるわけだ。
午前の部が終了。
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