今回の旅行は、アメリカのバーモント州にあるバーリントンまで、友人を連れて行き連れて帰るのが目的だった。
というのは、日本からバーリントンまでへは直行便が飛んでいない。
そのため、どこかの都市で乗りかえなければならないのだが、友人は英語がまったくダメ。
そこで、ボクが連れて行くことになった。
そのうえ、お目付役も付いてくるという、3人旅になった。
第1日目(9月8日:木)
デルタで、羽田発デトロイト行きの切符を予約してあったが、フクシマ原発の影響で利用者が激減。
飛行がキャンセルになってしまった。
羽田発は早朝6時50分という時刻だったので、羽田に前泊しなければならず、そのために安かったのだろう。
羽田発の安い料金はそのままで、成田発に変更になった。
ボクたちを乗せたジャンボ400は、9月8日定刻午後3時5分に成田を発って、同日の1時50分にデトロイト着。
ネットでとったESTAでアメリカ入国となるが、評判通り入国審査は煩かった。
えんえんと連なる列の後ろに並ぶと、列の直前で切りはなされて、新しい窓口へと連れて行かれる。
グッと早くなったが、英語のしゃべれない友人は入国審査官の前で立ち往生。
ボクが助けに行くと、入国審査官はおまえは誰だという。
ボクは友人の隣人で、我々はグループなのだというと、ボクのほうへ質問がくるようになった。
入国目的は観光だというと、どこへ行くと聞いてくる。
バーリントンだと言うと、バーリントンのどこへ行くという。
友人の娘がバーリントンに住んでおり、そこへ行くのだ。
計画はその娘が立てており、どこへ行くかはよく判らないと返事をする。
すると、娘はどのくらいアメリカにいる? という。
アメリカ人の男と結婚し、もう20年位住んでいると答える。
入国審査官は何しろ無愛想である。
両手の指紋を採られ、顔写真を撮られる。
このシステムは9.11以降導入されたようで、全員が対象になる制度である。
友人は10年前に娘を訪ねており、今回が2度目だという。
やっと入国審査を通過する。
入国審査官はもっとフレンドリーに対応してくれと言うと、次回からフレンドリーに対応すると笑って言った。
デトロイトの飛行場は、とても判りやすい。
しかし、バーリントンへの乗り継ぎ便は、搭乗口が変更になり、しかも1時間半も遅れた。
こんなことがあるから、友人の1人旅はやっぱり無理だった。
付き添いがいて良かった。
友人の娘に、到着が遅れることを伝えようと電話するが、公衆電話がつながらない。
近くにいたスチュワーデスたちに電話の使い方を聞くと、ロング・ディスタンスだからクォーター2枚ではダメだろうという。
彼女たちの1人が、自分のケイタイを使えといって電話を掛けてくれた。
お金をというと、いらないといって笑われてしまった。
感謝する。
売店で1ドル紙幣を25セント効果に両替したときにも、傍にいた女性が自分のケイタイを使うかと言ってくれた。
我が国では、見知らぬ人にケイタイを貸したりしないから、最初は何のことか判らなかったが、こちらでは気軽にケイタイを貸すようだ。
電話代が安いこともあるだろうが、記録に残ることを気にしないのだろうか。
違う習慣にちょっと戸惑う。
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デルタのERJ145と同型機 |
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5時近くになった。
遅れの飛行機が搭乗ゲートに入ってくると、「Airplane is here」というアナウンスがあった。
これには笑ったが、他のアメリカ人は笑わなかったので、普通の表現なのだろう。
バーリントンへ向かう飛行機は、ブラジル製のERJ145という50人乗りの小さな飛行機。
大きなアメリカ人が、身体をこごめて椅子に座る姿は、とてもユーモラスである。
若いスチュワーデスが1人しか乗っていないが、彼女は軽い知恵遅れのようだ。
黒人男性のスチュワードが、付きっ切りで指導している。
彼女は指示を忘れても、ニコニコしている。
どういう経緯で彼女が搭乗しているのか判らないが、ハンディギャッパーへの対応の一環なのだろうか。
アメリカの街を歩いていると、ハンディギャッパーへの対応が充実しており、驚かされることが多々あった。
ERJ145という飛行機は、左右に座席が2列ずつで天井も低く、通路も狭い。
そのためか、搭乗客達はじつに整然と行動する。
降りるときには、先頭の座席から順番に降りていき、後ろのほうの乗客は、自分の番が来るまで座席を立ちもしないのだ。
見事なマナーである。
7時過ぎにバーリントンに到着。
友人と娘は感激の対面。
娘の車で、ホテルまで連れて行ってくれる。
すでに8時を廻っているので、会食は明日の晩と言うことにして、この日はこれだけで終わりだった。
友人は娘の家に行く。
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