第3日目(9月10日:土)
スキニー・パンケーキ・カフェに朝食を食べにいく。
スキニー・パンケーキとは薄いパンケーキのことで、それにさまざまな物を挟んで食べるのである。
土曜日の朝、喫茶店でとる優雅な朝食。
5種類ほどある生の地ビールから、店の推薦するビールを飲む。
美味しい。
こんな生活を続ける地元の人が羨ましい。
どこからともなくクラシック・カーが列をなして現れる。
T型フォードやパッカード、それにMGのタイプBなど、見事に手入れされている。
その車に見ほれていると、老年の女性が日本の方ですかと聞いてくる。
アメリカ人の男性と結婚して、この地に40年も住んでいるという。
最近は、女性の地位が向上したからか、女性がすぐに浮気をして離婚になるという。
彼女の息子も、奥さんが浮気して離婚したのだそうである。
女性が浮気して離婚しても、女性のほうが有利で、孫の養育権は女性にあるのだと嘆いていた。
初対面なのに、日本人という気安さからか、ずいぶんと立ち入った話をしてくれる。
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チャーチ通り、バーリントン |
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その女性の旦那は、MBのタイプTDをもっているという。
目の前にあるタイプBはウレタン・バンパーだったので、5マイル衝突安全の話をした。
それ以前はクロームメッキだったというと、彼は俄然ボクに興味を感じたらしく、熱心に自分の車の話をしだした。
夏は暑いだろと言うと、熱気が運転席に来ないように、エンジンルームとの間に仕切り板を入れた、と嬉しそうに説明してくれた。
話の分かる奴がいると、嬉しくなるのは洋の東西を問わないようだ。
バーリントンは小さな街で、もう見るところがない。
今日からモントリオールへ行くことにする。
モントリオールのホテルの予約を、ヒルトンのフロントから取ってもらう。
ダウンタウンを指定したら、ヒルトンと同じ中級クラスのベスト・ウエスターン・ホテルを取ってくれた。
160ドルである。
モントリオールまでレンタカーで行く計画だったので、レンタカー会社のカウンターへ行く。
モントリオールで乗り捨てると言ったら、200ドルを超える料金だった。
ちょっと高い。
グレイ・ハウンドの料金を聞くと、29ドルである。
バーリントンを3時5分に発って、モントリオールには5時35分に着く。
見るところは途中に何もなさそうなので、グレイ・ハウンドに変更する。
グレイ・ハウンドの発着所である飛行場まで、友人の娘が送ってくれた。
出稼ぎのような10人くらいの黒人集団が下車。
その後に乗り込む。
バスはすべて自由席で、Intoxicant 禁止と書かれている。
原野の中を走り、カナダとの国境で入国審査。
陽気な審査官と笑いながら問答。
カナダに入国。
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教会の尖塔からモントリオールの街を見る |
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モントリオールには定刻に到着。
まず、米ドルで79ドル50セントだして、12日10時30分発のボストン行きのバスの切符を買う。
そして、バス停の案内所で、ベスト・ウエスターン・ホテルの住所を聞くと、タクシーで行けという。
初めての街、やや不安ながらタクシーでホテルに向かう。
モントリオールはフランスの影響が強く、言葉もフランス語が飛びかっている。
タクシーの運転手は、仏領アフリカからの移民が多いようだ。
心配のうちにも、タクシーはベスト・ウエスターン・ホテルに着いた。
早速、地図をもらって街へ出る。
夕食時分なので、コンシェルジェにレストランを推薦してもらう。
彼は迷うことなく、Crescent 通りへ行けという。
有名な1軒のレストランがあるのではなく、通り全体がレストラン街になっているのだそうだ。
興味津々で歩き始める。
歩くこと20分くらいで、Crescent 通りへ到着。
2ブロックほどの道の両側は、レストランだらけである。
そのいずれもが、道路に面してテラス席を設けており、お客の食事を楽しんでいる様子がわかる。
我々も、その中の一員となる。
土曜日でメチャクチャに混んでいる。
なかなかオーダーを取りに来ない。
カナダもアメリカと同様に、テーブル毎に担当が決まっている。
ウェイトレスの女性は、忙しい中で、よく頑張っている。
それが伝わってくる。
黒人のウェイトレスの女性は、実に爽やかで丁寧だった。
そして、コマネズミのように動きまわっていた。
味のほうはそれほどではなかったが、彼女のパフォーマンスにチップをはずんだ。
モントリオールの夜道を、いい気分でホテルへと戻る。
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