ラオスには1995年5月に行って以来、22年ぶりの再訪である。
前回はタイのノーンカーイから友好橋をわたってラオスのビィエンチャンに入った。
当時からルアンパバーンは有名な場所だった。
ビィエンチャンからルアンパバーンへのルートは、今ではバスで9時間だが、当時はトラック・バスで2?3日かかった。
そのためビィエンチャンからルアンパバーンへは飛行機で飛んだ。
今回行くのはルアンパバーンだけなので、ビィエンチャンを経由せずに、
バンコックから飛行機で直接に入った。
しかし、羽田からバンコクへの夜行便では一睡もできず、乗り継ぎのスワンナプーナでもまったく眠れず、
最悪の状態でルアンパバーンへ入ることになった。
ルアンパバーンに着いてみると、飛行場の場所こそ動いていなかった。
しかし、小さかった空港建物は滑走路の中央付近に移動し、
ボーディング・ブリッジをそなえた大きな建物になっていた。
ボクの乗ったバンコック・エアーのATR 72はプロペラ機で、
機体の壁が外に開いて壁が階段になる構造である。
乗降口は地上から1.5メートルもない。だからボーディング・ブリッジなど使えないのだ。
乗客は7?8段の階段を降りると、あとは地上を歩いて空港建物までいかなければならない。
大きくなったとは言っても、滑走路は一本だけだから、その規模は想像がつくだろう。
ルアンパバーンの暑い空気では、眠い身体は動きが悪い。
70歳の老人が完全に徹夜したのだから、調子が悪くなるのも当然の話だ。
もう二度と夜行便には乗らないぞと、心の中で噛みしめるけど、何しろ体調が悪いのは如何ともしがたい。
ふらふらしながら3万円を2,110,500キップに交換する。
そして、Simを買おうとしたが、ボクのスマホがSimを認識しない。
カウンターのお姉さんが頑張ってくれたが、スマホを落としてからどうも調子が悪い。
お姉さんはせっかく捕まえた客が逃げるので、残念そうな顔だが使えないのでは仕方ない。
聞けば1日で4人くらいの客だと言うから、さぞ恨めしいことだったろう。
タクシー乗り場へと向かう。飛行機の中ではちらほら見かけた日本人はすでに誰もいない。
ワンボックスのタクシーは50,000キップの一律料金で、
ダウンタウンまでいく。
ほかの客=白人女性を拾って、なお他にも客が来ないかと待っている。
来ないよね?と白人女性と喋っていたら、やっぱり来なかった。
相乗りとなって出発である。
右の写真は泊まったホテルです。
速攻で街を歩くと
かつては木製の橋を渡ったと記憶していたが、
現在では1993年に韓国の協力でできたコンクリート製の橋をわたる。
街へ入るにはだいぶ遠回りだが、こちらは頑丈な橋である。
街中に入ると、ほんとうに小さな街だと感じる。
タクシーの運転手がホテルと夜市=ナイトマーケットの場所が遠いと言う。
どのくらい離れているのかと思えば、歩いて10分だと言う。
これで遠いと言うのだから、全体の広さも想像がつくだろう。
街の構造はまったく変わっていないが、ホテルなどの建物がだいぶ増えたような気がする。
しかも高級そうな建物ばかりである。
それも当たり前だろう。何しろ街全体が世界遺産に指定されたので、観光客が俄然に増えたのだ。
ダウンタウンから徒歩10分くらい離れたホテルにチェックイン。
ちょっと休んで夕日を見にでる。街の中心を東西に貫く大通りを、
ダウンタウンとは反対のほうへと歩く。大通りだから車やバイクが走っており、それなりに騒々しい。
しかし、マニラやバンコックに比べるとはるかに長閑である。
オートバイもノーヘルが多く、ヘルメットをつけているのは1〜2割もいるだろうか。
電柱にはハウェーの宣伝旗がひらめいており、
その下にはヘルメットをかぶれと警告が出ているが、誰も気にする様子はない。
散歩をUターンし、ダウンタウンへと向かう。
お腹がすいてきた。道端のフー屋に入る。このあたりまでは観光客がこなく、
地元の人たちばかりである。
低いテーブルに座り、隣の人と同じうどんを頼む。
見た目はうどんそのものだが、麺はビーフンだ。出汁の中で湯がき、
野菜をのせて出される。テーブルの上の調味料で、各自が勝手に味付けする。
これがじつに美味かった。ほんのりとした出汁の味がきいて、
もやしなどの野菜類が絶品である。太くて歯ごたえがあり水々しい。しかも甘いのだ。
卓上の調味料を入れたら、極辛になってしまったが、それでも感動的な味だった。
街のメイン・ストーリーを西へと向かい、メコン川の方へ曲がる。
しばらく川面を眺めていると、ドローンを飛ばしている人が見える。
暮れなずむ夕方の空気のなかで、優雅にドローンで遊んでいる人が二人もいる。
いずれも白人観光客だった。
メコンに沈む夕日とともにホテルへと戻った。
寝不足の身体はフラフラ
翌日おきても、昨日の睡眠不足が効いている。体調不良。
ホテルで朝食後、しばらく横になっている。やがて元気になったので、
昼前に街へとくりだす。ホテルの前の道をちょっと北上し、すぐに左折して西の方へと向かう。
あたりは緑が繁茂し、そのあいだに疎らに民家が続き、
ときどきバイクが通る程度である。だんだん日差しが強くなってくる。
なんせ狭い街なので、30分も歩けば街のはずれについてしまう。
それでも日差しが強いせいで、寝不足の身体には堪える。
体調不良とはいっても、睡眠不足からくるものだからお腹はへる。
ナムカーン川のほとりの見晴らしのいいレストランで、ビアーラオを飲みながら休憩をとる。
吹きさらしのレストランは、風通しも良くノンビリした時間が過ぎていく。
隣のテーブルでは、北欧系の若い女性2人がハガキを書いている。
韓国人のカップルが出て行ったら、他には誰もいなくなった。
ナムカーン川の上流には、かつて渡った木製の橋が見え、
下流には乾季だけ設置される竹製の橋が見える。
木製の橋まではわずかな距離だが、体調不良の身体には堪える暑さである。
午前中はそれほど暑くはないが、12時を過ぎると急激に気温が上昇し、
気温は30度をらくに越える。
木製の橋へは後日行くことにし、竹製の橋へとゆるい下り道を歩き始める。
現在は乾季で川の水量が少なく、竹の橋をかけているのだとか。
雨季で増水すると、橋は撤去されてしまい、来年にまた設置される。
そのために、橋のたもとで5000キップの通行料を徴収している。
そんな事情で作られた橋だから、人間だけが通行できる程度の仮設工作物で、
下を見れば隙間から流れる水が見えるし、ゆらゆらと揺れて足元がおぼつかない。
向こう岸に渡っても、向こうの村には何もない。
竹の橋を渡ることが目的だから、だいたい渡りきったあたりで引き返す。
途上国の博物館は、どこでも小規模なものが多いが、ここも御多分に漏れない。
入場料を30,000キップほどとって、厳重なセキュリティー・チェックをする。
しかし、展示されているのは稚拙な手芸品が多い。
王様の寝室や調度家具が展示され、どれにも大切そうに「触れるな」と書かれている。
古色蒼然として時代がかっている展示物は、くれると言われてもいらないものばかりだ。
街のメイン・ストーリーであるシーサワンウォン通りでは、
まだナイトマーケットは開かれていない。
つまりまだ明るいのだが、無理はせずにホテルに戻ることにする。
やはりまだ体調が戻らず、ベッドに横になってちょっと休む。
今日の活動はこれで終わり。
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