ルアンパバーンとバンコック
寝不足でフラフラの老人旅行   2018.1-記

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ルアンパバーン到着 速攻で街を歩くと 寝不足の身体はフラフラ
托鉢僧侶の行列をみる むかし知った街を歩く アマンカタにて贅沢を
洞窟へ小さな舟でいく 川べりの村にて 洞窟へ登っていくと
ルアンパバーンを脱出する バンコックにて安心を チャイナタウンへ
見知ったバンコックを歩く ムエタイを見に行く 自転車で下町ツアー
現代美術館へ ジム・トンプソン邸まで バンコック最後のイベント
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托鉢僧侶の行列をみる

托鉢僧侶たち   あたりはまだ暗い。
しかし、歩道の上には近くの人たちが低い椅子に座って、僧侶たちの通過を待っている。
銘々の近くには食べ物を入れた箱のようなものが置かれている。
托鉢僧の一行が近づくと、慣れた手つきで供物を差し出す。
受け取る僧侶の方も慣れている。
ニコリともしない。
まったく顔つきを変えずに、何気ない顔のままで、差し出されたものを壺にうけていく。

  この喜捨に参加したかったのだろう白人観光客も、ゴザの上に座って僧侶達を待っている。
隣にはホテルのボーイさんが何かと世話をしている。
托鉢僧侶たち 僧侶たちは喜捨を受けるために足を止めることはないから、注意していなとタイミングを逸しかねない。
そしたら、次の坊さんに渡せば良いのだが。
小さな子供から老人まで、誰でもが棄捨する。
かと思えば、坊さんの方も様々な年齢層である。小学校の低学年と思われる子供から、
中年の僧侶まで実に様々である。
坊さんが坊さんに喜捨していたり、貰ったものを市井の人に返していたりと、要は食物の再配分システムなのだろう。

  貧しい家では、たくさんの子供を育てられないから、口減らしのために子供をお寺にあずけたのだとか。
お寺なら子供は育つし、教育も授けてもらえる。
子供は必ずしも親が育てないというのが、この700年以上にわたる托鉢と喜捨のシステムを支えているに違いない。
喜捨のシステムはきびしい時代を生きてくる知恵だったのだろう。

むかし知った街を歩く

  ホテルに戻って朝ごはんを食べ、ちょっと部屋で休憩してから、ホテルの自転車を借りて街に乗り出す。
観光客が歩くルアンパバーンの街は小さいが、
地元の人が生活する範囲はずっと広い。
徒歩では無理なところにも、自転車なら行ける。
街の西の方へと行くが、何と言うことはないただの田舎の風景が続くだけだ。

木製の橋   西の方へ進みながら、木製の橋の方へと進む。
おおまかな地図はあるけど、行き当たりばったりで進んで行く。
おおよその方向は勘が頼りだ。
飛行場からの道にでたから、それを左に曲がっていくと、木製の橋のたもとに出た。
我ながらすごい方向感覚だ、と思う。
昔はこの橋を車も渡っていた。
幅員が狭く、車は一台しか通れないから、たもとで待って交互に渡ったものだ。

  今では、オートバイと自転車のみが通行できる。
かつては車の車輪が載っていた部分を走る。
車の車輪は2列あるから、それぞれを一列の一方通行にしている。
歩行者は上流側にある側道を通っている。
ボクの運転する自転車は、運転免許試験場にあるような一本橋をのろのろと進む。
追い越しはできないから、ボクの後ろにはオートバイが何台も続いている。

アマンカタにて贅沢を

アマンタカのプールを見る   また街中にもどる。
アマンタカでお茶でも飲もうと、敷地に入ろうとすると門番に止められた。
無用の者は立ち入り禁止なのだ。
門番は英語が話せないらしく、英語の書かれたA4のボードを差し出した。
レストランはパブリックに開いていると書かれていたので、そこを指差すと入っても良いことになった。

  塀の内側は、緑の芝生がきれいに手入れされ、誰もいない。
しかし、マネージャーのような男が近づいてきて、お茶だけの利用はできないと言う。
ランチかディナーにしてくれという。
了解して、ランチの時間に出直すというと、まあちょっとお入りなさいと、ロビーに招き入れてくれた。

  ランチの予約は必要かときくと、今は暇だから予約は不要だとの返事。
とにかく客は誰もいないのだ。今日も2組の客が宿泊しているだけだと言う。
あたりはホテルの従業員がゆっくりと歩いているだけ。

アマンタカの食堂から   アマンタカにはとても興味があったので、来てみたが高くてボクには宿泊は無理だと言う。
すると、支配人らしき男性はていねいな言葉使いで、日本人はアジア人では最高のお客だという。
しかし、最低でも1泊800ドルもする。
ルアンパバーンまで来て、こんな高級ホテルに泊まる。
日本人もお金持ちになったものだ。

  支配人とランチに戻ると話をしていると、
お茶を運んで生きてくれた女性が、驚いたことに何と若い日本人なのだ。
聞けば専門学校を卒業して、すぐにルアーパバーンのアマンタカに研修に来たのだと言う。
つまり、ここに就職したと言うことらしい。
えー!と、のけぞってしまった。
ごく大人しそうな女性で、どこから無鉄砲な元気がでてくるのか不思議だった。

アマンタカの食堂   バンコックや香港なら、最初の職場としてありかもしれないが、
ルアンパバーンとは何故って思ってしまった。
しかし、彼女はいたって平静である。
アジアで働きたかったから、専門学校の先生から紹介されて来たという。
ここには何もないでしょう。
休みはどうするのかと聞くと、表通りの喫茶店で時間を潰すだけだという。
来てまだ2ケ月だと言うが、心底驚いた。

  ランチに来てみると、ほかに客はおらず貸切り状態である。
ボーイさんが2人ついて、優雅なランチが始まった。
ラオス料理をたのむ。野菜が美味い。
昨日のフー屋さんでも感じたが、こんな野菜は食べたことがない。
どれも甘く、歯ごたえがある。
無農薬とか有機野菜といっても、日本でこんなに美味い野菜を食べたことがない。

  ラオビールにラオス料理だから、よく合うと言うわけではない。
ビールは普通のビールで、ほかに客がおらず開放的で、しかも丁寧なサービスが良いのだ。
シェフが挨拶に来てくれた。
あちこち歩いて、ここにたどり着いたのだと言うフランス人である。
料理の腕もさることながら、野菜のうまさを称えると、近所の2軒の農家とタイアップしているのだとか。
そのうちに地元の音楽が聞こえて来た。
食事のときに演奏しているようだ。
地元のラオラオという焼酎をもらう。スッキリしている。
たらふく食べたので、一度ホテルに帰って休憩である。
炎天下を自転車をこいで帰る。ちょっと昼寝をして、また街にでよう。

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