ルアンパバーンとバンコック
寝不足でフラフラの老人旅行   2018.1−記

目    次
ルアンパバーン到着 速攻で街を歩くと 寝不足の身体はフラフラ
托鉢僧侶の行列をみる むかし知った街を歩く アマンカタにて贅沢を
洞窟へ小さな舟でいく 川べりの村にて 洞窟へ登っていくと
ルアンパバーンを脱出する バンコックにて安心を チャイナタウンへ
見知ったバンコックを歩く ムエタイを見に行く 自転車で下町ツアー
現代美術館へ ジム・トンプソン邸まで バンコック最後のイベント
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現代美術館へ

  午後はMRTの終点までいく。
そこからタクシーで現代美術館に行こうとするが、タクシーの運転手が美術館を知らないという。
近くにいた女子高校生に聞いてもわからない。すると高校生はスマホで調べて、運転手に場所を伝えてくれた。
新しくできた美術館なので、知らなかったらしい。
ドンムアン飛行場の方へとMRTは伸びるらしく、現在は工事の真っ盛りだったが、現代美術館はその新駅ができる付近だった。

  まだ知られていないとおりで、立派な美術館はガラ空きだった。
4階建ての白い建物で、上階から順に降りてくるようになっている。
展示物はそれほど感心はしなかったが、建物は新規さこそないがオーソドックスな美意識で建てられており、美しい建物に仕上がっていた。

  帰りもタクシーに頼ることになった。
門番のガードマンがタクシーを止めてくれたら、そのタクシーはUターンする場所を求めて、160バーツも走ってくれた!
 来るときの料金が60バーツだったから、えらいことぼられた。
しかし、渋滞中の高速道路に入っており、逃げ道がなかったので対応できなかったのだ。悔やまれる。
 帰ってホテルの付近で夕食。おとなしく戻って、眠りに落ちる。

ジム・トンプソン邸まで

  町場の食堂で朝食。40歳くらいのアメリカ人と同じテーブルになった。
実に精力的なアメリカ人で、いかにも成功している実業家といった雰囲気。
しかし、そんな彼がなぜこんな安食で朝食をと不思議に思い、職業を聞くと不動産開発のコンサルタントだという。
タイにかぎらずベトナムなど、開発の話が出ると飛んでいき、怪しげな関係者から膨大なコンサルタント料をふんだくるのだろう。
裕福そうな匂いがプンプンしており、まさにフリーに生きる男のバイタリティーを感じた。

  リタイアー後にアジアに住みたいのだが、どこが良いかと聞くと、アメリカン人曰く、カオヤイが良いのだとか。
彼自身もリタアー後の住処を探しているらしく、馬鹿に話が盛り上がった。
一番良いのはプーケットだという。もちろんプーケットを嫌うのはわかるが、北の方は俗化されておらず、プーケットのイメージと違うという。

ジム・トンプソン邸   ボクはフィリピンで探していると言うと、なぜかと聞く。
やはり英語が通じるからだと答えると、確かにタイはバンコクでこそ英語が通じるが、地方に出るとまったくダメだと同意する。
それに医療制度が整っている地域は少ないから、今ドゥマゴテを検討しているというと、非常に興味深げに話に乗ってきた。
しばらく話し込んで、爽やかに去っていった。アメリカ人の英語は聞きやすかった。

  近くのジム・トンプソン邸まで歩いて行く。
600坪の土地に6棟の建物が建っており、世界中からの観光客で賑わっている。
今まで日本人には会わなかったが、
さすがにここでは何人かの日本人にあった。
ジム・トンプソン邸 時間ごとに言葉別のツアーがあり、日本語ガイドの丁寧な案内で邸内を一周することができる。
ジム・トンプソン邸は有名だから、特別に書くこともない。

  中年以降になって、タイに定住して財をなすという人を、日本人の感覚からは想像するのが難しい。
潤沢な資金に恵まれた日本人というと、今の我々には企業の駐在員しか想像できないが、
最近ではシンガポールあたりには、華僑ならぬ日僑も誕生しているのだろうか。

  ジム・トンプソン邸の裏には運河が流れており、初日に乗ったボートが走っている。
この運河がジム・トンプソンの仕事に大いに役になったという。
しかし、今ではトンプソン邸からの船着き場はなくなっている。王宮の方へ行きたかったので、また船に乗ることにする。

バンコック最後のイベント

  今度は地元の人たち御用達の快速船だ。
すれ違う船と波をかけ合いながら、すごいスピードで進む。
軽業師のように船べりを歩く車掌さんには驚嘆するばかり。なにせ20センチほどしかない船べりなのだ。
屋根につかまるところがあるとはいえ、切符を切るときは両手を放している。
運河に落ちることだってあるだろう。労働基準監督署は何をしているのだろうか、と余計な心配をしてしまう。

マークルックに興じる   船を降りてラーマ5世記念碑をみながらアナンタサマーコム殿を遠望する。
暑い日差しの中を、チットラダー離宮の前を東へと歩く。
ファヤタイ近くの歩道では、老人たちがマークルックをやっていた。
こうした盤上ゲームは今では老人の遊びになっているようだ。若い人たちはスマホのゲームにしか興味を示さないのだろう。

  帰国は夜遅い飛行機なので、ホテルの近くの足マッサージへといく。
ドアを開けると、愛想のいい女性が近寄ってくる。ちょっとドキドキしながら待っていると、指さされたのは玄関脇の小部屋である。
恐る恐る入って見ると、左右に4人ずつマグロ状態の人たちが並んでいる。中年女性が多いが、男性もいた。

  一番奥の長椅子に横たわると、40歳くらいの女性がきた。
お母さんにマッサージされているようで、奇妙な感じである。誰も言葉を発しない。
気持ちいい、無言の業がつづく。
足の裏になったら、これが痛いのだ。痛さに顔をしかめると、お母さんは笑っていた。1時間で200バーツ。面白い体験だった。

  マッサージを終えると、そろそろ飛行場へ向かう時間である。
ホテルに戻り、荷物をとってMRTにのる。
今回の旅行は、ルアンパバーンに宿泊する予定を切り上げて、バンコックに泊まったが、
知らなかったバンコックを知ることができた。当たり前のことだが、バンコックは急速に近代化している。

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