ルアンパバーンとバンコック
寝不足でフラフラの老人旅行   2018.1−記

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ルアンパバーン到着 速攻で街を歩くと 寝不足の身体はフラフラ
托鉢僧侶の行列をみる むかし知った街を歩く アマンカタにて贅沢を
洞窟へ小さな舟でいく 川べりの村にて 洞窟へ登っていくと
ルアンパバーンを脱出する バンコックにて安心を チャイナタウンへ
見知ったバンコックを歩く ムエタイを見に行く 自転車で下町ツアー
現代美術館へ ジム・トンプソン邸まで バンコック最後のイベント
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洞窟へ小さな舟でいく

アマンタカの食堂   ルアンパバーンは小さな町で、2日もいれば見るものはなくなってしまう。
かといってプールサイドでのんびりというリゾート地でもない。
ここらなお田舎へ1泊するような、トレッキングには興味があるのだが、どうも体調が許さない。
そこでルアンパバーンからの日帰りツアーを探した。
すると、メコン川上流にある洞窟へのツアーがあった。
街角の旅行代理店で、ツアーの申し込みをする。
8時に旅行会社に集合というのを、ホテルに迎えに来てもらうことにする。
すると7時40分だという。

  ホテルに7時40分だといっていたが、8時になってもまだ迎えは来ない。
待ちくたびれた頃に、迎えのトクトク(=1トン車の荷台が客席になったもの)がきた。
このトクトクで、街外れの船着き場まで連れて行かれる。
すでに30?40人くらいの人が集まっており、4・5人ずつのグループに分けられる。
なんで?
アマンタカの食堂 と思っていると、水深の関係もあるのだろうか、船がさほど大きくないことも手伝って、1艘には少人数しか乗れないようだ。
海と違って波がないので、静かな感じで乗り込む。
人数が揃った船から、順に出発して行く。

  川幅は100メートルもあるだろうか。
川の両側の流れが緩いのだろう。右岸にそって上流へと向かう。
船長というよりも船頭さんというほうがぴったりくる男が、舟のハンドルを握っている。
ハンドルはワイヤーで後ろの舵と結ばれている。
ハンドルの軸に何周か巻きついたあと外部に出て、それぞれ両側の舷側をうしろへと伸びて行く。
ワイヤーが前後することによって、舵が左右に動くという極めて原始的な構造なのだ。

  岸に近づくと、小さな家が見える。
家というべきだろうか。
人が住んでいるのだから、家と言うべきだろう。
屋根と柱があり壁も不完全ながらある。
このあたりは暖かいからだろう。壁は隙間が大きく、内部が舟からも見えるのだ。
床も怪しげな感じがする。
増水に備えて川面から相当に離れてはいるが、電気があるのだろうか。
貧しい生活がうかがわれる。

  ルアンパバーンの街中でも、けっして豊かな感じはしなかったが、
川岸に暮らす人の生活はまったく次元が違うようだ。
それを洞窟の付近で確認させられることになる。
増水ラインから急激に立ち上がる土地は、わずかな幅の耕作地を境に木が生えている。
土地に這いつくばって、農業を営む人がいる。

川べりの村にて

アマンタカの食堂   遠くから見る農作業の姿からでは、貧富の差はわからない。しかし、狭い耕地からは、裕福そうな感じはうけない。
舟は快調に進んでいく。1時間くらい走っただろうか、左岸へと近づいていく。船着き場が見える。ここは焼酎と織物をつくっている村だ。
滞在は15分と言われて、船着き場に上陸する。

  狭くて足場の悪い土の坂道をのぼると、そこでは女性が織物をやっている姿にであう。
かつては織物で生計を立てていたのだろうが、今では観光客相手のショーと化しているように見える。
もちろん、ここで織られるものが、ルアンパバーンの夜市や飛行場で売られているのは事実だろう。
アマンタカの食堂 しかし、それらは彼らの生活で使われるものではなく、現金収入をもたらすものでしかなくなっている感じがする。

  ラオラオというアマンタカでも飲んだ、地元特産の焼酎にしても事情は変わらない。
こちらは本当に小規模であるため、小遣い稼ぎといった風だった。
柱だけでトタン屋根を支えた吹き曝しのしたで、
60?70センチほどの甕を15個くらいならべ、小太りの親父が一人で蒸し上がった材料を甕に移している。
いくら職人の熟練わざとはいえ、あまりにも原始的な作り方だ。

洞窟へ登っていくと

  川だから波がないとはいえ、流れで舟は揺れている。
船頭さんの舟さばきは見事なもので、桟橋が近くなるとエンジンを切って惰行でながす。
そして、舟から飛びおりて、桟橋から押したり引いたりしながら、乗客の足場を確保してくれる。
洞窟は2ヶ所あり、1つは桟橋のすぐ上に見える。しかし、桟橋では20,000キップの料金が徴収される。
この入場料はツアーの料金には含まれてはいない。

  桟橋からすぐに階段がはじまる。2階分くらいの短い階段だが、幅が狭く急なため、観光客で大混雑。
洞窟のなかにたくさんの仏様が安置されており、狭い仏壇の前で押すな押すな状態である。

アマンタカの食堂   この洞窟とは別に、もう1ヶ所ある。一度階段を下って、桟橋から左手へと登らなければならない。
これが長くしかも急なため、暑い中で皆フーフーいっている。もちろんボクもフーフーいって上った口である。
しかし、この道中には、街の人とは明らかに雰囲気の違う女性が、子供連れでいるのだ。

  衣服こそ身につけているが、何となく汚れた感じで、貧しさが漂ってくる。
買ってほしいものを並べているのだが、それは川でとれた魚の干したものだったり、バナナだったりと、原価のかかっていないような物なのだ。
そして、小さな子供に哀れみを誘わせるように、観光客へと目線を送る。

  来るときに右岸に見た民家というより、掘っ立て小屋といったほうが良い建物に住んでいる人だろうと想像する。
もちろんあの建物には風呂はないだろうから、メコン川で水浴びするだけだろう。
熱帯地方なので食べ物は入手できるから、餓死はしないだろうが、厳しい生活がうかがわれる。

アマンタカの食堂   2つ目の洞窟の中は真っ暗で、懐中電灯がないと一歩も進めない。
今ではほとんどの観光客がスマホを持っているので、スマホの懐中電灯をかざしながら歩いている。
入り口から50メートルも歩くだろうか。段になった上には、これまた沢山の仏像が安置されている。信仰心のないボクは、軽く見流すだけだ。

  洞窟の前で休憩した後、上ってきた階段をおりる。途中にトイレがあるが、もちろん個室には電気はないし、
便座は汚れている。それでも、入り口では5000キップを請求される。こんなトイレでは女性たちは大変だろうとおもう。
かえってトルコ式のトイレ、つまり反対向きの和式でもあるのだが、しゃがむトイレのほうが衛生的なように思う。
紙はないし流せないから、箱に捨てることになる。もっとも地元の人たちのように水で済ませることができれば、何の問題もないのだが。

  ふたたび独特の雰囲気を持つ、子連れの女性たちの前を通りすぎる。
船着き場で入場料を取ったり、舟を操作している人たちと比べると、明らかに貧しい感じである。
しかも、地元の人たちとの間にも、彼女たちに対する目に見えない対応の違いを感じる。
なんだか目を合わせるのが、わかっていても心苦しい。ボクは偽善的な観光客だな。
帰りは流れにのって下るので、船足も速い。出発した地点に戻ってきた。

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