奈良に遊ぶ  
2007.9.10−記
伊賀まで 伊賀から室生寺へ 室生寺にて
法隆寺の中庭 法隆寺から西の京へ 新薬師寺から白毫寺へ


第4日目   新薬師寺から白毫寺へ  

 はや最終日、帰京の日である。
昼頃にでれば、夜になる前につくだろう。
午前中だけ<山辺の道>を歩こう。

 新薬師寺はまだ開いていなかった。
南門の前で、しばらく待つ。
ここが拝観料を払う入り口になっている。
他にも4〜5人の拝観客が待っている。
9時になったので、受付の女性が拝観券を売り始めた。

 こぢんまりした中庭にはいる。
正面に本堂が見える。
新薬師寺の本堂は、地震で筋違(すじかい)が壁から飛びだしてしまい、ずっとそのままになっていた。
いかにもお金がないお寺らしく、他にもまったく手が入っていなかったが、今回行ったら改修が終わっていた。

 筋違をどうしたのだろうか。
筋違をやめてしまったのか、それとも他の方法を施したのか。
いずれにせよ、筋違は明治になって入れたものだろうから、なければなくても済むだろう。
壁はきれいになっていたので、筋違はもうわからない。

 ところで、今回の修理に際して、蛍光灯が設置されて、堂内が明るくなっていた。
蛍光灯をつけるなんて、誰の発案なのだろうか。
元来、照明を予定していない建物に、照明を入れるのはきわめて難しい。
にもかかわらず蛍光灯とは! 
驚いた。

 驚きついでに、ステンド・グラスの入っているのにも、びっくり。
本堂の右手の壁に、大きな開口部があるが、そこにステンド・グラスをいれている。
ステン ド・グラスそのものは良いとしても、奈良時代に建築されたこの本堂に合うだろうか。
考えてしまう。

 このお寺の本尊は、名前のとおり薬師如来だが、本尊を守る十二神将のほうがはるかに有名である。
しかも、12人の神様のうち、1人だけが明治の作だというので、国宝に指定されていない。
それが面白くて、行くたびにじっくりと眺めてしまう。

 蛍光灯のせいだろうか、かつての薄暗かったころとは、雰囲気がずいぶんと違う。
入り口に座る寺守らしき人に、改修の様子を聞いているうちに、蛍光灯の話 になった。
彼も蛍光灯を快く思っていないようだ。
蛍光灯を消してくれた。ロウソクの灯りで見る仏様のほうが、はるかに優雅で良い。

 新薬師寺は何百年もの歴史のあるお寺だが、有能な住職に恵まれなかったのだろう。
池の鯉を猫から守るためだろうが、池の上にテグスが張られており、境内がどんどんと荒んでいくように感じた。
白毫寺から奈良市内を見る

 表にでてみると、道路に東門がつきだして、道幅の半分を占領している。
広い道路が、ここだけ辛うじて車がとおれる道幅になっている。
道路よりお寺のほうが古いから、占有を主張しているのだろう。
しかし、門を引っ込めても、境内地の全体にはそれほど影響ない。
門を引っ込めればいいものを、と思う。

 お寺は地域の人のためのものだ。
地元の人に不便をかけてまで、お寺の占有を主張するとは、とても仏様に仕える人のやることとは思えない。
こんなところに も、このお寺の姿勢が表れており、文化財を背景にした宗教者の横暴さがみえる。
これではこのお寺が栄えることはない。

 白毫寺では、4〜5人の職人たちによって、庭の手入れが行われていた。
新薬師寺に比べると、はるかに整備された境内地である。
庫裏の軒先が低い。
手を伸ばしたら届いたから、2.1メートル程度であろう。
人を迎入れる、何と心地良い高さだろうか。

 巨大な建物が多い奈良にあって、こんなに低い軒先をしつらえるのは、ずいぶんと勇気が必要だったに違いない。
拝観客が少ないにもかかわらず、公衆トイレも用意してある。
国宝も重文もないお寺には、補助金もでないだろう。
住職や檀家たちの苦労が忍ばれる。

 清潔な境内地、ひっそりとしたお堂、間違って観光コースに入ってしまった市井のお寺という感じで、なかなかに好感がもてる。
坂道と階段を上ってきたので、ベンチで一休みする。
奈良の市街がよく見える。

 白毫寺でこの旅行も終わり。
奈良漬けをお土産に買って、あとは車を運転するだけ。

 興福寺をまわって帰る。
猿沢の池では、たくさんの人が五重の塔をスケッチしていた。
彼(女)等は気づいてないようだったが、興福寺の五重の塔は、心なしか傾いていた。
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