3月18日(日)
今朝はゆっくりとホテルを出る。
ホテルの前の東新街を西に進み、清真大寺へと向かう。
北大街をすぎると、イスラムっぽい雰囲気が漂ってくる。
とあるレストランの前では、従業員が並んで朝礼をやっている。
清真大寺の裏へと進む。
このあたりはイスラムを信じる人たちが住んでいるようだ。
中国人と言うより、アラブ人のような顔をした男が、道端で屋台を商っている。
買い食いをしながら、ディープなイスラム街へとすすむ。
道はどんどん狭くなり、車が通るのもやっとである。
朝ご飯に何を食べるか、付近を物色しながら、ブラブラと歩き続ける。
裏通りといった感じの道から、商店街へとでた。
中国とアラブがミックスしたような街だ。
清真大寺の参道に近いらしく、人通りも多い。
路上のテーブルでは、男たちがパンを大豆くらいの大きさにちぎっている。
何をするのだろうとみていると、どうやらそれはドンブリに入れて食べるものらしい。
ドンブリが出てくるまでの間、男たちは世間話でもしながら、手持ち無沙汰のようにパンをむしっている。
ドンブリに入っているスープと混じって、ふやけて大きくなり、朝食の具になるのだろう。
我々も挑戦してみることにした。
良く見ると、その手の店はたくさんある。
とある1件に入る。
愛想良く迎えてくれ、テーブルにつく。
しかし、どう注文すれば良いか、まったくわからない。
壁に書かれているメニューを指さす。
すると若い男性が、カタコトの英語を喋った。
羊の肉とか内臓とか、さまざまなドンブリがあるようだ。
われわれもパンをちぎる。
小さければ小さいほど良いらしい。
平均15元くらいだろうか。
残念ながら、どんな味だったか記憶にない。
2人が並んで歩くのがやっと、と言った細い路地に入る。
ここが清真大寺への参道らしい。
両側には土産物屋がびっしりと並んでいる。
店を冷やかしながら、ところどころで土産物を買う。
やがて清真大寺の入り口にでる。
修理中らしく、シートがかかったり、何だかすっきりしない。
しかし、25元の拝観料は、しっかり取られた。
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清真大寺の境内 |
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地元の人たちの憩いの場になっているようで、老人たちが小さな子供を遊ばせている。
世間の喧噪から隔絶されて、車も来ないし、良い遊び場である。
イスラムの寺院らしいが、造りは中国風である。
おそらく途中で宗旨替えをしたのだろう。
中国人の若者にカメラのシャッターを頼むと、3人が代わる代わるに、アングルを変えてシャッターを切ってくれた。
高級餃子を食べた場所は、ここからすぐ近い。
鐘楼は西安の中心といっても良い。
鐘楼のある広場まで行く。
スタバがあった。
コーヒーを飲むことにする。
しばしの休憩。
最終日の今日は、これから各人の自由行動ということになった。
デパートを見学に行く者と、町歩き・お寺巡りをする者に分かれる。
ボクは広仁寺をめざして、3人で歩き出した。
広仁寺は城壁の北西の角にある。
そこまで街の中心から歩く。
途中で、歌謡ショーをやっている公園を通ったり、公団アパートのようなところをぬけたり、果物を買い食いしながら街を歩く。
あたりには生活臭がただよい、庶民の世界である。
路上で麻雀に興じている老人たちに出会った。
ルールがずいぶんと違うようだ。
岡目八目。
小さな雀荘がある。
こちらでは女性たちが麻雀に興じている。
性病科と書かれた病院の前で、男女が深刻な顔で話し込んでいる。
女性が責任を取れと男性に迫っている、といったお話を勝手に想像して大笑いだった。
広仁寺に到着。
ここはチベット教のお寺で、マニ車があった。
さすがに五体同地をしている人はいなかったが、マニ車を回してお参りする人はいる。
我々もマニ車を回す。
ここで二手に分かれる。
2人の連れは、ホテルへタクシーで戻る。
1人になったボクは清真西寺まで歩く。
広い蓮湖路を東へとすすむ。
蓮湖路から右に折れて、清真西寺への道へと入る。
何だか庶民的な臭いがしてきた。
それと同時に、イスラム色が濃くなってくる。
公厠に入る。個室に扉がなく、金隠しもない。
床に穴が開いており、穴の下は奥へと傾斜が付いている。
成果物は徐々に奥へと崩壊していき、やがて横に走る溝へと合流していく。
成果物は見えるが、特有の臭いはない。
オジサンが2人、こちらに向いてしゃがんでいた。
彼らの視線を背中に感じながら、小用をすませる。
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椅子に座っているのは近代化が始まった証拠 |
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路上では将棋をやる人たちがいた。
歩道に尻を付けて熱中する人もいたし、テーブルを持ちだしている人もいた。
ご多分に漏れず、将棋をやっているのは男性だけ。
しかもやや中高年者が多い。
それを大勢の男性たちが、岡目八目に取り囲む。
あたかも自分でやっているように、口出しする人までいて、いずこも変わらぬ風景である。
清真西寺に到着。
清真西寺はイスラムのお寺だ。
清真大寺は仏教寺院をイスラム信徒が使っている感じで、あくまで仏教様式だったが、清真西寺はドーム型の屋根を持ったイスラム式の寺院である。
本堂は階段を上った上にあり、ちょうど礼拝の最中だった。
付近の写真を撮っているうちに、白い帽子をかぶった男性たちがゾロゾロと出てきた。
礼拝が終わったようだ。
そのうちの1人が、ボクに近づいてくる。
何だろうと思っていると、カメラに興味があるらしい。
男性の興味は世界共通である。
言葉が通じないので、手振りで何か訴えるが、よくわからない。
撮る方向を指示しているようだ。
笑い顔だから、怒っているのではないようだ。
いつも思うけど、イスラムというのは奇妙な宗教である。
礼拝するのは男性だけ。
モスクに入れるのも男性だけ。
道端にカーペットを敷いて礼拝するのも男性だけ。
コーランには女性も書かれているだろうに、女性が祈る姿はついぞ見たことがない。
そうでありながら、女性も敬虔なイスラム教徒である。
女性はどこで祈っているのだろうか。
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清真西寺の本堂はドーム屋根 |
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それにしても西安までイスラムが浸食しているとは、イスラム教は本当に世界宗教だ。
人びとがイスラムに引かれる理由は何なのだろう。
生きていくの厳しい地域にイスラムは多い。
最近でこそアラブは石油で潤っているが、3世代も遡れば、ラクダに乗っていたはずである。
西安からカザフスタンまでは、不毛の地と言って良いだろう。
こうした地域でイスラムは根をはっている。
おそらく生きることが厳しい地域には、イスラムの教えが適していたに違いない。
清真西寺をでて、露店で匂い袋を買う。
蓮湖路まで戻る。
ここでバスに乗って、解放路まで行く。
バスに乗ると、子供がすぐに席を譲ってくれた。
かつて老人の知恵がきわめて大切だったから、どこでも途上国では老人が大切にされている。
近代化がすすめば、老人の知恵など役にたたなくなるから、老人の地位は低下するばかりだ。
むしろ、年金や高額な医療費など、老人は社会のお荷物になっている。
一人っ子政策の中国では、今後は老人問題が大変だろう、と余計なことを考える。
バスの行き先は推量していたとはいえ、バスの進路を注視していないと、どこに連れて行かれるかわからない。
しかし、西安は碁盤の目のように、道路が直交しているので判りやすい。
解放路と東新街の交差点でバスを降りる。
ここからはホテルまで近い。
歩いても10分とかからないだろう。
6時集合になっていたので、遅刻かなとちょっと焦る。
6時5分過ぎにはホテルに着いた。
すでに全員集合していた。
今夜は近所のレストランに行くことになった。
道路の反対側に、レストランのネオンが見える。
しかし、道路の幅が広く、中央分離帯もあるので、簡単に渉ることができない。
少し西の方へと歩いてから、横断歩道を渡り、再び東へと戻る。
途中で酒屋によって、白酒を買ってからレストランに向かう。
玄関扉の前の内側には、男女2人が立っており、にこやかに歓迎してくれる。
客席は2階だと案内されてテーブルにつく。
メニューをもってきてくれたのは良いが、何だか様子が変だ。
男性も女性もサービス係たちが、何となく我々を避けているような感じ。
言葉が通じないので、外国人には関わり合いになりたくないらしい。
外国人と馴染みのない田舎に行くと、人びとは現地語で果敢に接近してくる。
身ぶり手ぶりで意思を通じさせようとする。言葉はまったく通じないが、外国人を避けると言うことはない。
少し近代化した人たちのほうが、外国人を避けるような感じがする。
英語の分かる黒服男性が登場。
やれやれである。
写真入りのメニューから何点か注文し、ビールで乾杯する。
ホテルに戻り、1部屋に集まって飲み直す。
お酒がまわるに従って、だんだん口調も怪しくなる。
こうして西安最後の夜の更けていった。
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