ハーイ ベイビイ
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 鈴木清、30才、独身。首都圏のとある自治体に勤務する地方公務員。一戸建ての家に、父親と母親の三人暮らしである。

「ただいま」
「おかえり。今日は早かったね」
母親の和子が、玄関に顔をだした。
「清、どうしたの。その赤ちゃん」
背広姿の鈴木清が、赤ちゃんを抱いて玄関に立っていた。
「僕の子供だよ」
「子供って、清」
「僕の子供ってことは、母さんの孫ということになるな」
「清、そんな…。なに冗談言ってるの」
鈴木清は、靴を脱ぎながら言った。
「僕も三〇になったんだ。子供くらいいなくちゃ。一人前じゃないからな」
「本当に清の赤ちゃんかい…」
と和子はたずねたが、しばらくすると思いだしたように
「お父さーん」
と、あわてて奥へ駆け込んでいった。

 鈴木清は、赤ちゃんを抱いて部屋に上がってきた。そこへ、父親の源三が血相を変えてあらわれた。
「清、いったいどういうことだ。結婚もしてないおまえに…、子供だって」
鈴木清は赤ん坊に頬ずりをしながら、
「僕にも、子供ができたんだよ」
といった。
「子供ったって、何も聞いておらんぞ」
「清、お嫁さんもいないおまえに子供なんて、本当にどうしたの」
「物には順序ってものがあるんだぞ」
「突然驚かして悪かったけれど、今まで、ずっと、自分の子供が欲しかったんだ。やっと子供ができたんだよ」
「だから早く結婚しろといったではないか」
と、父の源三はどなった。
「結婚すると、女の人と一緒に暮らさなきゃならないだろう」
「あたりまえだよ。奥さんだもの」
と和子。
「その女の人を本当に好きならいいけど…。それに、いつまでも好きとは限らないだろ」
「一緒に暮らしていれば、自然と情がわくもんだ、なあ、母さん」
源三は、そう言って和子の顔を見た。
 和子はそれをただちに肯定するのは、ちょっとためらったが、しばらくして言った。
「えっ、ええ、そうですよ」
「結婚って難しいんだよ、今の僕たちには…」
「二人扶持なら食えるんだ。男と女は一緒に住めば、何とかなるものだ」
と、源三が言う。
「これからの世の中は、女の人の生き方が、どうなるか判らないし。結婚だけが大切だと言うんじゃないよ」
と鈴木清が反論する。
 和子は、そのやりとりを聞きながら、なぜか判らないが、目の前の赤ちゃんに興味が向いていく。自分の孫だと言われた赤ちゃんを見たくて仕方なかった。彼女はその自分を止めることができなかった。
「それに、最初は共稼ぎでも、子供ができれば女の人は働けなくなるし。すると、僕の給料で生活しなけりゃならないよね」
「あたりまえだ」
「ボクが女の人を養わなきゃならないよね」
「男が、女房や子供を養うのは、当然だろうが、この馬鹿者が」
「まあ、お父さん、そんなに興奮しないで、清の言うことも聞きましょう」
鈴木清は、子供をあやしながら言った。
「子供は僕の子供だから、養うのは構わないけど…。なぜ僕の稼ぎで、女の人を養わなきゃならないのさ」
「なにをごちゃごちゃ言っているんだ。男が女房や子供を養うのは、理屈じゃないんだ。当たり前のことだ」
「男が、大人の女性を養うのは変だよ。女の人も、自分で稼ぐべきだと思うんだ」
「共稼ぎでも良い。そういう夫婦もある」
と、源三が言う。
「それなら結婚なんてしなくても、ボクには子供がいれば良いんだよ」
「子供には母親ってものが必要だ。それに父親もな」
「母親は父親のボクがやる」
「何をバカなことを言っている」
源三は清の言うことが、まったく理解できない。
「でも、どうしたの、本当に。その赤ちゃんは」
和子は不安げに聞いた。
「産んで貰ったんだよ。僕の子供を」
源三と和子は同時に叫んだ。
「誰に」
「女の人に」
「そんなことは判っておる。だから、どこの女だ、相手は」
「それは秘密」
「清、誰なの」
「産んであげるけど、絶対に誰にも言わないと、約束させられたんだ」
源三の眼は、焦点を失っている。
「そんな」
といったまま、言葉を飲み込んだ。
 すでに落ちつきを取り戻した和子がいった。
「相手のご両親にも、挨拶に行かなくてはならないでしょうが…」
「いいんだ。二人とも結婚する気はないから」
源三も和子も、言いたいことはたくさんありながら、そのまま唇が動かなくなってしまった。
 こうして父あり、祖父母あり、母なし子リンが、鈴木家に登場した。

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