|
||||||||||
|
||||||||||
|
||||||||||
4 |
||||||||||
「出生届を出したいんですけれど、用紙をもらえますか」 といった。窓口の女性は、 「病院で貰いませんでした」 と尋ねた。 「はあ」 と気のない返事をすると、その女性は 「ではこれに書いて下さい」 と言って、用紙を差し出した。 鈴木清は記帳台で記入し、出生届を窓口にもって行った。その用紙を見ていた女性は、 「ここ、お母さんの名前が空欄ですが」 といった。 「僕の子供ですから」 「ですから、お母さんの名前も書いて下さい」 「僕一人の子供なんです。母親はいません」 「母親はいませんって。だって、産んだのはお母さんでしょ。ご主人が産んだわけじゃないでしょう」 「ですけど、僕の子供なんですよ」 鈴木清がそう言うと、女性は 「ちょっと待って下さい」 と言って、奥の課長席へ行ってしまった。そして、なにやら課長と相談していた。しばらくして戻ってきた女性は、 「ちょっと、こちらへどうぞ」 と言って、鈴木清を課長席へ案内した。 鈴木清は、課長と対面して座っている。まず課長から口を開いた。 「お子さんは、どのようにして生まれたんですか。病院でじゃないんですか」 「どのようにって、普通に生まれましたよ」 「いやお子さんは、あなたが産んだわけではないでしょう」 「当たり前ですよ。僕は男ですから、子供が産めるわけはないでしょ」 「いや、ですから…、お子さんをお産みになった女の方はどなたかって、聞いているんです」 「ですから、それは言えないんですよ」 「どうしてですか。犯罪者でもあるまいし。母親の名前を書いてください」 「彼女との約束ですから、言えないんです」 鈴木清がそう言うと、課長は気色ばんだ。 「まず、出生証明書なんですが、ここに母親の名前がない、と言うことは有り得ないんですよ」 「彼女が言いたくないって言うんですから」 「そんな…」 「産んだ女性が、必ず母親にならなきゃいけないわけじゃないでしょう」 「我が国では、母子関係は出生によって始まるんです。出産した女性が、母親に決まっています」 「今では、人工授精とか、いろいろな母親があるでしょう」 「それでも産むのは、その女性の子供ですから、産んだ女性が母親です。それが我が国の決まりです」 「えっ」 出生届を指さしながら、課長が言う。 「それに、出生証明をしているこの神山五郎という方は、どなたですか」 会話の通じないことに、課長はいらいらし始めた。 しかし、鈴木清は平然と応じる。 「神山さんの印鑑証明かなんか必要なんですか。出生を証明する者には、医師、助産婦、その他ってかいてあるじゃないですか。神山さんはその他の人ですよ」 「そりゃ、確かにそうですが、いまでは、子供は病院で生まれるんですよ。だから、出生証明は、お医者さんが書くことになっているんです。そうすれば、身長や体重だって判りますから」 「この欄は、それ以外の人で判らないときは、書かなくてもいいって書いてあるじゃないですか」 「いや、今は書いて貰わなくちゃ困るんです」 と、課長が言う。そして、 「それじゃ、お子さんがどうして、あなたのお子さんだと証明するんですか」 「僕と彼女が、励んだ結果できたんですから、僕の子に間違いないですよ」 「でも、産んだのは女の方で、あなたではない。女の方なら、父親がいなくても出生届をだせますが、男性はダメなんですよ」 「どうしてですか」 鈴木清が言うと、課長は当然だといわんばかりにいった。 「女の方は自分の子供だと判りますが、男性は子供との関係は判らないんですよ。あなたと赤ちゃんが、親子だって立証できないじゃないですか」 「ですから、僕が自分の子だって言ってるじゃないですか」 「それじゃダメなんですよ。こちらとしては、お母さんのお名前もお聞きしたいんです」 「そうしたことは、プライバシーに属するんじゃないですか。母親になりたくない女性だっているでしょう」 「それは許されないんです。子供を産んだ以上、女性は必ず母親になるんです」 「母親にならないことが、許されてないんですか」 「当然じゃないですか」 「えっ…」 鈴木清は言葉を失った。しばらくたってから、やっと口を開いた。 「女性は子供を産むと、自動的に母親になってしまうんだったら、代理出産でも母親になるんですか」 「そうです、出産が決め手です。我が国では、お腹を痛めた女性が母親になるんです」 「えっ、親子って遺伝子が決めるんじゃないですか」 「えっ…。それじゃあ、父親と母親の扱いが違うのですか」 「父親は判らないですからね、役所じゃ。届けられたとおりに父親としますよ。でも女性は出産があるから、わかりやすいじゃないですか」 「じゃ男はどうするんですか」 「母親の名前が書いてあれば、男はね…まあいいんですよ。まず女性です、母親です」 「そんな。男と女で取扱いが違うとは、性差別じゃないですか」 と、鈴木清は驚いて言う。 「とにかく、このままじゃ、戸籍が作れませんから。それに、母子手帳も添付していただきたいんです」 「自分の子だと言っても、区役所は認めないのですか」 「まさか、母子手帳なしで、妊娠していたわけじゃあないでしょう」 「さあ、それはわかりませんが」 「母子手帳のない妊婦なんて、わが国にはいませんからね」 「妊娠して、出産するかどうは、個人の自由でしょうが」 「女性が妊娠したら、妊婦の体は国が管理しているんですよ。知らなかったんですか」 「えっ…」 「母子手帳は、妊婦さんのためばかりじゃないんですよ。一応は、健康なお子さんを出産するため、と言うことになっていますが。ほら、胎児には戸籍がないでしょ。だから母子手帳は、国が胎児を管理するためなんですよ。生まれたら、戸籍で管理してますし」 「父親だって、必要でしょう。妊娠するには」 「胎児を管理するには妊婦だけで、男はいらないのです」 「そんな…」 「ですが、戸籍に関する業務は、国から委任されてやっていますから、区役所に何か言われても、我々ではどうにもできません。これは国の決まりです」 「妊娠した後は、男はいらないんですか」 課長は、冗談めかして 「まあ、そんなところですかね」 といった。鈴木清は、すぐに抗議した。 「そんなことはないでしょう。父の名前が記載されてない、ということはあるじゃないですか」 「とにかく、父親の名前が未記入でも受け付けられますが、母親の名前が未記入では受け付けられません」 「はあ…」 はっきりと断定されて、鈴木清は引き下がらざるを得なかった。再び来ることを約して、その日は引き下がった。 |
||||||||||
|
||||||||||
次へ |