最後の日の朝、サマイには9時に迎えにきてもらった。
3時半に飛行場へのピックアップがくるので、半日の観光である。
もう一度、アンコール・ワットへ行くことにした。
サマイが前に通った道ではなく、飛行場の前を通る別の道を選んでくれた。
長閑な田園地帯を、トクトクは快調に走る。
途中で良さそうなレストランを見つけた。
お昼はここにしよう。
Red Houseという名前を記憶する。
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南からアンコール・ワットを見る |
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孤児のための学校 |
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アンコール・ワットの前には、あいかわらず大勢の人がいる。
12時に迎えに来てもらうようにサマイに言って、アンコール・ワットへと入っていく。
今日も韓国人の団体さんが多い。あちこちで韓国語が飛びかっている。
最初の日に行かなかった横手や裏のほうへと脚をのばす。
向かって左の奥にも、僧院らしき建物がある。
人影もまばらだが、Angkor Wat Pagoda School for Orphahed Children がある。
戦争孤児のための学校らしいが、今は誰もいない。
でも、ちょっと変だろう。
Orphahed の綴りが間違っており、Orphaned とh の上に伸びた部分にマジックが塗られている。
n でも h でも、意味は分かる。
こんな大らかさが良いね。
このあたりは人が生活しているらしく、観光客が歩く遺跡とはどことなく感じが違う。
学校をでて、また遺跡に戻る。
前回見残した部分を歩く。
そして、そのまま裏口から、まっすぐ東のほうへと向かう。
鬱蒼とした木々がたちならび、猿がたくさんいる。
韓国人達が猿に餌をやっている。
どこでも同じ風景だ。
そのまま歩くと、東門にでた。
その外は、もう水のはられた堀である。
裏門らしく、あまり人は出入りしていないが、それでも何人かが通る。
バイクに2人乗りをした現地の人が通った。
池の向こうには、観光バスも見える。
観光客を乗せた電気自動車が、観光バスのほうへと走っていった。
お昼近くになってきたので、のんびりと正門のほうへと戻る。
いつもは時間どおりに来るサマイが来ていない。
しばらくサマイを捜す。
5分くらい遅れてやってきた。
サマイはじつに慎重な運転手で、カーブでは充分にスピードを落とすし、他のトクトクに抜かれても気にしない。
彼はゆっくりと、マイペースを守っている。
今回こそ時間にくれたが、遅刻したことをしきりに謝っていた。
ボクはサマイを選んで良かったと思う。
この旅行記を読んでシュムリアップへ行く人がいたら、サマイのトクトクに乗ってやって欲しい。
彼の携帯電話は、下記のとおり。
Tel−012959318
昼食をRed House で取りたいという。
Red House の場所を説明すると、彼はすぐにわかった。
アンコール・ワットから1キロとはなれていない。
地元の人たちが来るレストランだと思う。
Red House に着くと、意外に奥が深い。
前庭から中央の建物の両側に、ニッパ椰子でふかれたバンガローが並んでいる。
すでに何人かが、その中で食事をしている。
バンガローの中は、竹の床が張られていり、人はそこに車座になって腰を下ろしている。
床に敷物をして、そこに食べ物が並んでいる。
テーブルを使わずに床に食べ物を並べるのは、アラブやアフリカなど世界中で見る食事の風景である。
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バンガロー式のレストラン |
竹の床の上も良いのだが、ボクは床座をすると腰が痛くなる。
隣のバンガローにはテーブルがあったので、テーブル席のほうに座る。
そして、隣で現地の人が食べているのと、まったく同じものを食べたいと頼む。
サマイが隣のバンガローを見に行って、調査をしてきてくれた。
しかし、なかなか要領を得ない。
そこでサマイがいつも食べているものを、メニューから選んでもらう。
ビールを注文する。
大瓶がなく、しかも冷えていないという返事である。
やはりビールは贅沢品なのだろう。
冷えてなくてもOKというと、氷を入れたピッチにビールを入れてきてくれた。
そして、ビールの中にも氷を入れろと、別に氷を持ってきてくれた。
氷が大丈夫だろうか、とちょっと悩んだ。
しかし、お目付役はすでに氷り入りのグラスに、嬉しそうにビールを注いでいる。
本当は氷が危ないのだが…、もう帰りだから良いとするかと目をつぶる。
花付きの植物がでてきた。
菜っぱのようなもので、味噌のようなものをつけて食べるのだという。
サマイが好きらしく、にこにこして口に運ぶ。まか不思議な味だ。
それに魚のスープ。
中央に穴の空いた鍋に、澄んだスープが白身の魚をみせている。
これは微妙な薄味で、美味しかった。
ここは街からも離れているし、観光バスも来ない。
地元の車が止まっているだけだ。
そのためか、英語がまったく通じない。メニューもない。
メニューを見て頼むような客は来ないのかも知れない。
サマイがいなかったら困ったことになっていた。
食事が終わる頃になって、メニューがでてきた。
そこには値段が書かれていたが、ほとんどの料理が2ドルである。
3品とビール小瓶3本で、11ドルだった。
充分に満足した。
のんびりとホテルに向かう。
サマイにお金を払って、2ドルのチップと使い残りのリエルをわたす。
意外だったのか、嬉しそうな顔である。
握手をしてわかれる。
もう2時間もすれば、ピックアップに来る。
それまで、プールで時間をつぶす。
帰路は、シュムリアップ→ホーチミン、ホーチミン→成田ともに、ベトナム航空だった。
機内は快適だったが、乗り継ぎ時間が5時間もある。
ホーチミン発は0時15分である。夕食は機内ではなく、ホーチミン空港で食べるようにと、クーポンが渡された。
しかし、このクーポンの使える場所が判らない。
ホーチミン空港は社会主義国らしく、サービスが極端に悪い。
店員さんたちはお互いのお喋りに余念がなく、クーポンを見せて、場所を尋ねてもいとも簡単な答えだけである。
おまけに、クーポンの使える食堂では、ボーイさん達がこれまた最悪の対応である。
おもわず名前を聞いたら、胸に吊していたIDカードを、テーブルの上につきだした。
カードから名前を書き写す。
すると、白人の中年男性が、クーポンを見せながら、ボーイさんと激しい口論を始めた。
日本人は言葉ができないせいもあって、ボーイさんと口論するようなことはないが、外国人達は理不尽なことには抗議する。
今回はシュムリアップへのカンボジア旅行だから、ベトナムは関係ない。
しかし、国際競争の激しい昨今、ホーチミン空港のサービスは時代遅れだろう。
真夜中にホーチミン空港を発った飛行機は、定刻の7時30分に雨の成田に着いた。
常夏のカンボジアから12月の東京へ帰ってきたので、寒いかと思ったら、気持ち悪いほどの暖かさであった。
−了−
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