ハノイ→サイゴン
2011.6.10−記
第1日目 ハノイ再訪 ホアンキエム湖
第2日目 女性の喧嘩 水に当たる
第3日目 Google Hotel 阮朝王宮
第4日目 ツアー・バス 白人女性のタフさ
第5日目 ダナンへ サイゴンへ
第6日目 中国将棋 雨中居のトップに戻る


第2日目−2   水に当たる

 ベトナムには各地に革命博物館がある。
おそらく首都ハノイのものが一番立派なのだろう。
元税務署だったという建物は、一部改装中だが、白人女性が1人と来館者はほとんどいない。
警備を兼ねた係の人が3人くらいいるだけ。
2階20室に昔の写真などがあるが、何を意味するのかボクには良く判らない。

 博物館の室内にはクーラーこそないが、日陰だからいくらか涼しい。
ハノイは香港より南にあるせいか、外に出ると南国の日差しが厳しい。
ちょっと贅沢をして、タクシーで軍事歴史博物館に向かう。
メータは35ドンで、比較的安い。

 日本の車も走っているが、韓国製の車も多い。
韓国製の車は、ボリューム感のあるデザインで、日本車とちょっと違った感じを与える。
KIAの小さなPicantoという車が、ちょっとフィアットの550みたいで、とてもカッコイイ・デザインである。

 12年前にはサムソンの看板こそ出ていたが、韓国製品が氾濫していることはなかった。
しかし、いまや家電製品といい、車といい、ケイタイといい、凄まじい伸びである。
人口が5千万人の韓国は、国内マーケットが小さいからか、海外への進出欲がとても強い。
今後の韓国は、手強い日本の競争相手になるだろう。

誇らしげなサイゴンへ一番乗りした戦車

 軍事歴史博物館では、サイゴン解放時の戦車や捕獲した戦闘機・ペリコプターなどが展示されている。
チリから来た若者に、シャッターを押すように頼まれる。
ベトナムはアメリカに勝ったのだが、戦争で失われたものも多いように感じる。
解放したはずのサイゴンのほうが、ハノイよりはるかに豊かだったわけで、悲喜こもごもだったと思う。

 軍事歴史博物館の前では、舗道にネットを張って、バトミントンをやっている。
バトミントンの邪魔をしないように、通行人が車道へとよけて歩くのだ。
通行の邪魔と言えば邪魔だが、何となく許せてしまう雰囲気である。
ホーチミン廟の前まで行くが、広いだけで何もない。

 太陽が沈みかける中、また旧市街へと戻ることにする。
途中でハノイ大聖堂に寄ろうとするが、なかなか辿りつかない。
この辺りは道が直交しておらず、なかなか勘が働かないのだ。
辺りは暗くなり始めている。
随分と回り道をしてハノイ大聖堂にたどり着いた。
しかし、すでに時間が遅く閉ざされている。

  近くで美味しそうなフォー屋さんを見つけた。
お客がたくさん入っているので、味は間違いないだろう。
フォー・ガーといったら、フォー・ボーしかやっていないと言われた。
ここは牛肉味のビーフンしかないのだ。
では、フォー・ボー・タイをたのむ。
それにビア・ハノイである。

 この店の店員は、若い女性が多い。
しかも、美人揃いである。
そのせいか、実に愛想が悪い。
しかし、フォー・ボー・タイは美味しかった。
出汁が利いており、とても微妙に美味しいのだ。
これでは無愛想でもお客は来るわけだ。
35ドン。
ちょっと高めかな。

 昨日と同じホアンキエム湖の喫茶店に寄る。
夜行列車まで時間があるので、ハノイの夜景を眺めている。
ここは外国人もよく通る。
ベトナム人と外国人とが混じり始めている。
かつては外国人しか入らなかった喫茶店にも、いまではベトナム人が入っている。
どこでもオバサンは元気。
近くのテーブルでは、4人のオバサンが大きな声で話している。
ベトナム人も豊かになったのだ。

 そろそろホテルへ戻って、荷物を取ってこよう。
そして、ハノイ駅へ向かうのだ。
さすがに今度はタクシーで行く。
随分と歩いたと思ったけれれど、タクシーで行くとアッという間である。
サイゴン行きの列車は6番口から出発である。
ミネラル・ウォーターを買って、列車を待つことにする。
しかし、このペットボトルに入ったミネラル・ウォーターが曲者だったのだが、それは列車に乗ってからの話である。

 外国人との2重価格は廃止されたが、切符にはForeigner と書かれている。
インドではプラットホームに乗客の年齢と名前が張り出されるが、ベトナムでは切符に持ち主の属性が書かれるのだ。
何とも不思議な習慣であるが、2重価格の名残なのだろう。

ボクの乗った列車
このペットボトルの水に当たった

 列車はディーゼル機関車にひかれた12両編成である。
機関車の次には簡単な食堂車があり、厨房もあるようだ。
次が2等椅子席で、1等椅子席、ハード寝台、ソフト寝台と続く。
ボクの乗ったハード寝台は、コンパートメントに左右3段のベッドがある。
化粧ベニヤのうえに薄い布団があり、枕と掛け布団がついている。

 一番下は座ると辛うじて頭があたるくらい。
何とか座っていることができる。
横にしかなれない一番上とは大違いである。
見送りの人たちが降りて、いよいよ発車である。
何の音もなく、定刻11時に列車が動きだす。
ベッドは6人分が埋まったが、一番上に乗るはずだった女性が、いつの間にかいない。

 彼女は17ヶ月の子供を連れていた。
子供を上に上げるのは大変だなと思っていたら、ちゃっかり車掌室にベッドを用意させていたのだ。
最初からそのつもりだったらしく、女性は強かである。
夜行列車では何もすることがないから、こちらも早々に就寝することにする。

 2時頃だったろうか、トイレに行きたくて目が覚めた。
小用をたしたのだが、何だか胃のあたりに軽い吐き気がする。
変だなと思いながら、小用を済ませてベッドに戻る。
しかし、変だ。
吐き気はなくなるどころか、少し強くなってきた。
そのうち、お腹もおかしくなってきた。
慌ただしくトイレに行く。

 下痢である。
洋式便器に座っていると、吐き気が込み上げてきた。
口の中に指を入れて、吐こうとするが、何も食べてないので吐くものがない。
胃を絞り上げると、辛うじて水が込み上げてきた。
何に当たったのだろうか。
走る夜行列車のトイレで、不安な気分である。
しかし、水を吐いた後では、気分はすっきりとした。

 ベッドに戻って、考えてみる。
7時過ぎにフォー・ボー・タイを食べた。
そのあとで、珈琲を飲んだ。
その後、何も飲み食いしていない。
だから、胃の中には何もないのだ。
水を吐いたことから、ひょっと気がついた。
ペットボトル入りのミネラル・ウォーターだ!

 ペットボトルに入っている水で当たることがあるのだ。
そんな話をタイで聞いたことがある。
それを話していた男性は、ペットボトルを信用せず、持参の水筒にお湯を入れて持ち歩いていた。
彼は昔、ペットボトルのミネラル・ウォーターで当たったのだそうだ。
それ以来、水筒持参でアジアを歩いていると言っていた。

 ボクもアジアの衛生状態を、信頼しているわけではない。
屋台のアイスクリームには絶対に手をださないし、特に観光客向けの生鮮食品は要注意である。
地元の人が食べていないものには手をださない。
こうしていれば、万が一当たっても軽くて済む。
アジア旅行で下痢をしたことはあるが、今回のように吐いたのは初めてである。

 原因が分かったので気が楽になった。
Aquafina という500ml入りミネラル・ウォーターを、ほんのちょっと飲んだだけだったので、この程度で済んだのだ。
吐き気はおさまって、お腹の調子も戻ってきた。
再びトイレに行くことはなかった。なんとか眠りに落ちていった。
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