午後は、ミンマン帝廟、カイディン帝廟、トゥドゥック帝廟とまわる。
それぞれに特徴があり、3つ見ても飽きない。
いずれも木造のため、時代が枯れた風情を作りだしている。
ベトナム戦争で爆撃を受けただろうに、よく残ったものだと感心する。
すでにベトナム戦争から50年もたっているので、戦争の名残はない。
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カイディン帝廟 |
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トゥドゥック帝廟 |
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トゥドゥック帝廟 |
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トゥドゥック帝廟 |
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カードに賭ける女性たち |
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これらの廟は市内から随分と離れている。
しかも山地にあるので、自転車ではなかなか難しい。
しかしである。
ここまで自転車で来ている白人のカップルがいる。
それも1組ではなかった。
ボクが会っただけでも2組いたから、他にも自転車組がいるのだろう。
暑い中、大した根性である。
ミンマン帝廟でトイレに入る。
男女別に分かれた男性トイレは、なお大小に分かれている。
大のほうに入ると、トルコ式のしゃがむ形式で、隣に水をためた水槽がある。
そこから手桶で水を汲んでお尻を洗うのである。
紙を使うときは、近くにあるポリ桶に捨てる。
もちろん用が済んだら盛大に水を流すのである。
洋式便器も随分と普及している。
しかし、しゃがみ型のトイレを使ってきた人たちは、洋式便器のように太股が便器に触れるのを嫌うのだろう。
そのため、洋式便器は便座が土色に汚れていることが多い。
これは便座の上に土足でしゃがむからに違いない。
気持ちは分かるが、いかにも不安定で大変だろうと思う。
トゥドゥック帝廟で写真を撮っていると、仲間から取り残されてしまった。
集合時間は判っているので、なお1人で粘って写真を撮っていると、係の男性が本堂の写真を撮れと言う。
そこには撮影禁止と書かれており、おかしいなと思いながらシャッターを押した。
すると寄付の箱を指さして、お金を入れろという仕草。
つまりワイロの要求である。
お金はないというと簡単に諦めた。
1人旅のアメリカ人女性から、写真を撮ってくれと頼まれる。
今回とくに感じたのは、白人女性たちのタフさである。
自分の体重くらいの荷物を背負って、彼女たちは男性と同じように、1人で貧乏旅行をしている。
キッと顔を上げて、気の強そうな様子である。
これがフェミニズムの生みだした女性たちだろう。
どうしても我が国の優しい女性たちと比べてしまう。
Dragon Boat でフォーン河を市内へと戻る。
茶色く濁ったフォーン河はゆっくりと流れ、30分くらいで市内の船着き場に到着した。
ここで解散である。
ガイドがベトナム語で挨拶すると、拍手が沸いた。
次が英語で挨拶があり、ボクには別れ際に<ありがと>と言ってきた。
ホテルへの帰り道、4人の女性たちがカードをやっている場面に遭遇する。
しばらく眺めて写真を撮ろうとすると、大声で拒否されてしまった。
お金を賭けているからだろう。
しかし、すでにしっかりと撮ってしまっていたのだ。
ぶらぶらとホテルへ向かう。
途中、5〜6人の人だかりにであう。
そのなかに6本指の男がいた。
30歳くらいの彼は、右手の親指の脇から、やや細い指がもう1本はえていた。
現代の我が国でも、多指の人は生まれている。
我が国で多指者を見ないのは、本人の意思を無視して、出産直後に外科手術で切断してしまうからだ。
ベトナムは途上国である。
途上国では手術に多額の費用がかかる。
多指であっても手術することなく、そのまま成人する。
豊臣秀吉が多指だったと言われているように、かつての我が国もそうだった。
多指は生活に支障があるのだろうか。
出産直後の性別のスクリーニングによって、性別を取り違えられてしまい、思春期になって困っている人がいる。
性分化疾患者は2千人に1人の割合で生まれるという。
本人の意思を確認することなく、肉体に手を加えるのは良いことなのだろうか。
多指者を見て、ちょっと深刻になる。
ホテルに戻って、シャワーを浴びる。
郊外にあるイータオ・ガーデンへ行くために、タクシーを呼んでもらう。
昨日のタムキーとは違って、今度はちゃんとあった。
静かな住宅地に佇むイータオ・ガーデンは、隠れ家風の門に2人のボーイさんが立っている。
裕福な家庭をレストランにしたと思われるイータオ・ガーデンは、王族に仕えていた先祖が伝える王朝料理を出すという。
イータオ・ガーデンという名前の通り、美しい庭には電灯がともり、幽玄な雰囲気である。
室内と庭とはほとんど高低差がなく、室内がそのまま庭に連なっている。
風情は良いのだが、蚊もやってくる。
入り口に近いテーブルのは、白人のグループがいた。
隣のテーブルへ、アジア人のカップルがやって来た。
日本人かと思ったら韓国人だった。
フエ料理といわれるように、フエの王宮料理は有名である。
ところで、肝心の味だが、これがイマイチなのだ。
7品のコースだけだというのは良いとしても、何か頼りない味である。
繊細だから頼りないというのではない。
味が洗練されておらず、昔のままの粗野な味なのである。
茹でた海老に、ちょっと臭いを感じた。
おそらく鮮度が低いのだろう。
もし、これを王族たちが食べていたとしたら、今日の庶民は何と贅沢な食事をしていることか。
フエでもワインを作っているらしい。
飲んでみるがイマサンくらいの味だった。
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