ハノイ→サイゴン
2011.6.10−記
第1日目 ハノイ再訪 ホアンキエム湖
第2日目 女性の喧嘩 水に当たる
第3日目 Google Hotel 阮朝王宮
第4日目 ツアー・バス 白人女性のタフさ
第5日目 ダナンへ サイゴンへ
第6日目 中国将棋 雨中居のトップに戻る


第6日目−1   中国将棋

 第6日目
 今日でベトナムも最後である。
今夜の夕食は、豪華に行こう。
チェックアウトした後、コンシェルジュにマンダリンに予約を入れてもらう。
その後、荷物を預けて、街へと歩き出した。

 ベンタイン市場からファングラーオ通り・ブイビエン通りを目指して歩く。
すでに日差しは強い。
グエンタイホック通りを進んでしまい、ブイビエン通りを通りすぎてしまう。
人に聞きながらブイビエン通りまで戻ってくる。
途中、細い路地をいくつも通る。
路地裏では庶民の生活がすぐ見える。

 路地から扉一枚隔てた家の内側には、床すれすれの低いベッドが置かれている。
そこで寝起きしている様子が見える。
ベッドの脇からは、急勾配の階段が伸び、その隣には便器が見える。
おそらく狭いだろう旧市街の家の内部の構造を想像する。
中国将棋に興じる女性−きわめて珍しい
中国将棋に興じる男性−普通のシーン

 路地裏の喫茶店では、女性が男性相手に中国将棋をやっていた。
ただちに接近して、将棋を観戦する。
女性はやや恥ずかしそうに笑うが、将棋を続けている。
本格的に女性が将棋をやっていたのは、これが初めてである。
マレーシアでは母親と少女だったし、中国では父親と娘だった。
ここでは若い男女が対戦している。

 このシーンは今度のベトナム旅行で、もっとも記憶に残るものだ。
写真を撮るのは2人ともOKだという。
もちろん写真に撮らせてもらう。
今回、ハノイでもサイゴンでも将棋シーンはグッと減っていた。
とくに屋外でのシーンが減っていた。
碁会所のような場所ができていたから、屋外から室内遊戯へと移行し始めているのだ。

 女性も賭け事は好きで、屋外でも麻雀やカードは遊んでいる。
しかし、論理的なゲームには女性は手をださなかった。
いままで屋外で、しかも地面にお尻を付けて、将棋に興じるのは男性だけだった。
女性が論理的なゲームに遊ぶのは、ベトナムの近代化が相当に進行している証拠である。

 やっとブイビエン通りに入る。
ファングラーオ通り・ブイビエン通りは、バンコックのカオサンのようなものだ。
貧乏外国人のたまり場である。
しかし、ここでも日本人を見ることはなく、ほとんどが白人である。
大きな荷物を背負って、白人女性が一人で歩いている。
そして、日本人かと思うと韓国人である。
道にテーブルを並べた喫茶店で、お茶を飲みながら通る人を観察する。

 さっきから隣では、ベトナム娘が難しそうな顔をして論争している。
何だかオトコを取った、取られたといった話のようで、険悪な雰囲気である。
ボクと同じくらいの年齢の白人男性が2人、向こうの喫茶店に座っている。
やがて隣にも中高年白人が来た。

 彼らはすでにここに長いようだ。1泊10ドルくらいの宿に泊まっていれば、1000ドルもあれば1ヶ月は生活できる。
ボクにだって決して不可能ではない。
しかし、サイゴンに暮らすのはどんなものだろうか。
サイゴンなら東京と同じような気がする。

 軍事品の横流し品があるというヤンシン市場へと向かう。
かつては軍事物資も多かったという市場だが、もう戦争ではないのだろう。
軍事物資は少なく、むしろ日用品が多い。
金物や工具などが並んでいた。
市場の中にはどこでもトイレがある。
ここでも行ってみる。
入り口には女性が座っており、ティシューはいらないかと指さす。
ティシューをとると、男性でも2ドンということらしかった。
ここの男性用トイレは、樋になっておらず朝顔形だった。
舟の上からサイゴンを見る

 ブイビエン通りにもどって、チョロン行きのバスに乗る。
冷房の効いたベンツのバスで、車掌さんが切符を切りに来る。
4ドンである。
バスはビンタイ市場までクネクネと町中を走っていく。
バスの廻りにはオートバイの群れ。
全体にゆっくり走っているとはいえ、運転手はさぞ神経を使うだろうと思う。

 チョロンは中国人の街である。
ビンダイ市場はより一層の汚れで、あたりには異臭が漂う。
南国の強い日差しの中で、腐敗も早いのだろうが、中国式の生活は南国では辛いに違いない。
ビンタイ市場の外の緑道で、将棋に興じる男性たちを発見。
こうして緑の芝生にお尻を付けて、将棋に興じる姿は見られなくなった。
多くは椅子に座っていおり、しかも半戸外である。
これでサイゴンは少なくとも、10年前のバンコクには追いついたと言うことだ。

 マジェスッティクの前に戻り、ブンタウ行きの舟に乗ろうかとしたが、5時前に帰りの舟がなくなる。
これでは帰りの飛行機に間に合わないので、サイゴンの付近を見せる小さな船に乗ることにした。
サイゴン川からみる街の風景は、やはり近代化の進行を感じさせる。

 サイゴン川にはひきりなしに大小の舟が上下している。
サイゴン市街の反対側こそ、子供たちが裸で水に飛び込んだりして、昔の庶民生活が残っている。
しかし、上流に行くと豪華なマンションが建ちならび、富裕層が増えていることを伺わせる。
また、新興住宅地も我が国のものより、はるかに大きく立派である。
1時間ほどで戻る。

 マジェスッティクに戻り、預けた荷物から着替えを取り出す。
トイレで着替えて、また荷物を預ける。
日本に残してきたお目付役に、お土産を買わなければならない。
ドンコイ通りの土産物屋をのぞく。
このあたりは高いのは承知だが、土産物は荷物になるから最終日でなければ買えない。
土産物を買うのはとても難しいのだ。

 今回は幸運だった。
入ったすぐの店で、麻雀のパイを見つけた。
やや大きめのパイは木箱に入って、象牙ではなく牛牙だろうと思う。
背のほうは竹ではなく木製である。
安い塗料の臭いがして、いかにもの土産物であるが、なかなか良い。
45ドルとあるから値切り交渉すると、店の女の子は定価販売だという。

 サイゴンで定価販売なんて信じられない。
まけてよというと、ダメだ。
あなたはシンガポール人、それともマレーシア人と聞く。
ハノイ人だと応えると、そんなはずはない。
私がハノイから来たのだという返事。
笑って日本人だと応えると、彼女は日本人は値切らない、と言うのだ。
レジの前には定価販売と書いてあるし、仕方なしに45ドルで買うことにする。

 パイの数を数えても良いかと聞くと、気楽に良いよという返事。
手伝おうとするから、このゲームのルールを知っているかと聞くと、知らないという。
じゃあ、手伝えないよと笑いながら制止する。
数えながら、幸せそうだね、何か良いことがあったのかいと聞くと、別にないという。
じゃあ、いつも幸せなんだね、などと馬鹿話をして店を出る。

 他の店をのぞく。
同じ麻雀のパイが40ドルで売られていた。
残念。
しかし、これで土産物は買ったし、もう夕食に行けばいいのだ。
麻雀をホテルのクロークに預け、タクシーでマンダリンへと向かう。
マンダリンは順子といった日本語の看板も並んでいる地域にあった。
もちろん玄関の前にはボーイさんが立っている。

 いかにも高そうな店にはいると、吹き抜けのロビー左手にはバーがある。
店内は3階になっており、2階席に案内される。
先客が2組あり、ともに日本人である。
やがて、隣のテーブルにも日本人の夫婦が案内されてきた。
この階には日本人を集めているようだ。
上階には白人たちが案内されていく。
確かにサービスの都合は良いだろうし、無用の摩擦が起きないに違いない。

 メニューを見ると、すべてドル表示である。
テーブルについた女性が、63ドルのコースを薦めてくれる。
下は40ドルくらいから、120ドルくらいまであり、もちろんアラカルトもある。
お薦めに従って、63ドルのコースにする。
サイゴンだけで200ドル以上を使ったことになる。

 サイゴンはフエより都会である。
美味は都会に限る。
上品な室内の雰囲気、行き届いたサービス、そして繊細な味。
高いだけのことはある。
隣の日本人夫婦が楽しい人たちで、話が弾む。
彼らは飛行機の時間が迫っており、食べるも慌ただしく立ち去っていった。

 ボクも今夜の飛行機に乗るのだ。
ただ、深夜12時過ぎの出発なので、多少の余裕がある。
ゆっくりと食事をして、再びタクシーでホテルに戻る。
そして、荷物をとって、飛行場へと向かった。
帰りの飛行機はベトナム航空VN954で、日付が変わって零時5分発、成田へは7時5分に着いた。 
                    − 了 −


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