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「今日さーあ、大変なことがあったんだよ。『太陽の園』にね、女の人が倒れ込んできたんだよ」 「ふーん、それで」 「誰もその人を知らないんだよ。ただ通りがかりって言うのかな」 「それでどうしたの」 「気持ちが悪いみたいだったから、とりあえず医務室に運んだの。その人はお腹が大きくて、今にも生まれそうなくらいだったんだよ。だけどさ、なんか発作が起きたのかな、『太陽の園』の医務室で、そのまま死んじゃったんだよ」 「えーえっ、救急車を呼ばなかったの」 「もちろん呼んだよ。でもね、救急車がきたときは、すでに死んでいたんだよ」 「そんなに急に死ぬなんてことあるの」 「分からない。とにかく死んじゃったんだよ」 「かわいそうにね」 「そうでしょう。もうみんなびっくりしてさ。年寄りは扱い馴れていても、知らない人が目の前で死んだら驚くでしょう」 「そりゃ驚くよね」 「死んじゃたから救急車は帰っちゃうしさ、とにかくベッドに寝かして」 「でもさ、そういう時ってどうするの。身よりに連絡でもするの」 「そう、どうするのかなーって見ていたら、ところがさ、それからが本当に驚いたんだよ」 「まだなんかあったの」 「死んだはずの女の人が出産したんだよ。もう救急車は帰ちゃったし…。死んだんだから警察だ、いや、また救急車だって、上を下への大騒ぎ」 「でも看護する人がいるんでしょ、『太陽の園』には」 「看護さんはたくさんいるけど、あの人達だって年寄り相手だもの。出産なんて立ち会ったことないでしょ。みな、あせりまくってさ」 「たしかに。そりゃあせるわね」 「不思議だね…。お母さんは死んじゃったけど、赤ちゃんは元気に生まれたんだよ」 「うそ」 「ほんと」 「そんなことがあるんだ」 「私はもうびっくりしちゃってさ、もちろん、みんな驚いていたけど、私は赤ん坊が生まれるのなんて知らないじゃない。もうほんと驚いたな」 「へーえ」 「でもさ、あそこの人たちを見直したよ。年寄りってさ、やっぱ人生経験が長いっていうか、そういう人がいたんだよ。おばあさんだったけど、ちゃんと赤ちゃんを取り上げたよ」 「りっぱだね」 「私なんて駄目。立派な中年とは言いながら、若いでしょ。一番びっくりしちゃって、ただ走り回るだけ。あとで恥ずかしいくらい。それに男も駄目だね、おたおたして」 「それはしょうがないよ。経験が違うんだから」 「お産て病気と違って、生まれれば何でもないんだね」 「どういうこと」 「だって生まれたら、赤ちゃんは泣いてさ。普通の赤ちゃんと変わらないんだよ」 「別に変じゃないよ。赤ちゃんって生まれたら、普通は泣くんじゃない」 「そうなんだけど、お母さんは死んだでしょ。死んだお母さんから、元気な赤ちゃんが生まれるって変だと思わない」 「そうか」 「それで、どうしたの」 「ところがさ、また大変。その女の人は身元が分からない。分かるものを、なにも持ってなかったんだよ」 「どうなるんだろうね、そのあとは」 「警察か、区役所かって、これまた大騒ぎでさ」 「で…」 「届けはしたし、警察も来たけど、結局どこも引き受けてくれなくってさ。赤ちゃんも、それに死んだお母さんも行くところがないんだよ」 「うん、それで」 「だから今夜は2人とも『太陽の園』でさ。死んだお母さんはベットの上にいるし、生まれた赤ちゃんは宿直室にいるよ」 相馬美紀はしばらく考えていたが、何かひらめいたように急に口を開いた。 「ね、ところで、その赤ちゃんはどうなるのかな」 「どういうこと」 「だからさ、その赤ちゃんの引き取り手はどうなるのかな」 「さあ、分からないよ。だって、今日の話だもの。これから調べるんじゃない」 「お母さんは死んじゃいました。生まれた子供は、誰も引き取り手がありません」 「今日のところはそうだったね」 「オヤジとかが現れるかな」 「どうなるか、私には分からないよ」 「どうやって身寄りを調べるんだろう」 「警察もいるからさ、いろいろと調べる方法はあるんじゃない」 「でもその女の人、誰だか分からないんでしょ。殺人事件じゃないからね…。最後まで分からなかったら、どうなるのかな」 「本人が死んじゃったから、もう聞けないね」 「その赤ちゃんは、どこへ行くの」 「どこかの施設? 孤児院かなぁ」 「そうだろう。ところでね、孤児院へ行くんなら、ウチにきても同じだと思わない」 「えっ!」 「ウチで貰わない、その赤ちゃん。もし、どこにも行くところがなくてさ、孤児院へ行くようなら」 「ミキ」 「だって、孤児院でしょ。ウチだって同じじゃない。女が二人いるんだから、孤児院より良いと思うんだけど」 「…」 「赤ちゃんは人間だよ、そんなことはないだろう」 「拾った人が、権利を放棄したらどうなるんだろう。6ヶ月のあいだ、誰が面倒を見ているんだろう」 「ミキ、物じゃないんだってば、赤ちゃんだよ。人間の子供」 「本当にどうなるのかな、誰も名乗りでなかったら」 相馬美紀は赤ん坊を引き取るつもりである。すっかりその気になっている。 山本恵子はしばらく考えていた。そして言った。 「たしかに施設に行くんなら、ウチにきても同じだね」 「そうでしょ。うら若き乙女が、2人もいるんだよ。ウチには」 「そう。孤児院に行ったって、いずれはどこかに貰われて行くんだよね」 「それなら、生まてすぐ貰ったほうが、絶対に良いでしょう。ねえヤマ、そう思わない」 「うん、そう思う」 「ウチには逞しい稼ぎ手が、2人もいるんだから、とても幸せに育つよ」 と相馬美紀が言ったが、山本恵子はまだ不安そうだった。 「だけどミキ、私達は昼間いないじゃない。その間どうするの」 「それは託児所よ。託児所は働く母親の味方でしょ」 「うん、でもさ、託児所に預けちゃっていいのかな」 と山本恵子。 「なぜ? ヤマが月火と休みでしょ。それに私が土日と休みだから、残るは水木金の3日だよ」 「うん、そうだけど。貰った子供を託児所へはね」 「貰った子供って思うからいけないんだよ。自分の子供だと思えば、大丈夫だってば」 相馬美紀は力説する。 「産んだ子だって、貰った子だって、子供に違いはないでしょ。子供は同じ。貰った子供でも、託児所に預けなければ、私たちが働けないもの」 「でも、良い託児所があるかな」 「大丈夫。もし駄目なら、ベビー・シッターとか家政婦さんを頼もう」 「育児のアウト・ソーシングだ。家政婦さん、それ良いかも」 「家政婦さんは高いかも知れないけど、私達は2人で稼いでいるでしょ。お金なら何とかなるわ。しかも永久にってわけじゃないからね。最初の1年か2年でしょ」 「お金のことは心配ないよ。週3日だけ頼むんなら」 「そうでしょ。だから、子供だって育てられるって」 「それに、子供が小さなうちは、仕事も早めに切り上げてさ」 山本恵子は急に元気になった。 「私のところは、フレックス・タイムだから、子供中心にやれば出来るよ」 と相馬美紀。 「共稼ぎの家じゃ、どこでも託児所を使っているんだからね」 「そう、私達が家政婦さんを使っちゃいけないなんてことはないでしょ」 「ミキ、明日さ、赤ちゃんを見に『太陽の園』に行ってみない。」 「よし、行ってみよう。ところで、赤ちゃんは男、女?」 「男よ。立派だったわ」 二人は、いつまでも話し込んでいた。 |
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