1.ハノイ到着
僕の乗った飛行機が、ノイバイ飛行場に着いた。
滑走路からゆっくりとタクシングして、所定の位置でとまる。
午後3時45分、定刻の到着である。
窓の外は明るい。タラップが伸びてきて、僕たち乗客はバスへと導かれる。そして、空港の建物へと連れて行かれた。
左手には建築中の空港建物が見えるが、ハノイのノイバイ飛行場には、他にほとんど飛行機が見えない。
空港建物に入ると、まずイエローカードが集められる。
今やベトナムには、予防注射をしなくても入れるので、イエローカードもただ渡すだけである。
そこから10メートルと離れていないところに、6つの入国審査のカウンターが一列に並んでいる。
それぞれのカウンターの左隅には、軍人がかぶるようなカーキ色をした帽子が置いてある。
その帽子のあることが、受付中を意味するのだろう。
社会主義の国ベトナムのことだから、入国審査は厳重を極めるかと恐れていたが、他の国と大きな違いはない。
無事入国。
多くの乗客はカウンターの脇を通り抜け、手荷物を捜しにいく。
僕は背中に背負っている小さなリックだけだから、そのまま税関に向かう。
税関と言っても、すぐ隣り。
また10メートルだけ進んだところである。
2つしかないカウンターには、それぞれX線検査機が備え付けられており、手荷物をその検査機にとおす。
カウンタの中では2人の検査官がモニターを見ている。
僕はそれをのぞき込んで、
「これはカメラでしょ、これはフィルムのバックだよ」
と言って説明する。
2台もカメラを持っているのが不思議そうだったが、何と言うこともなく通してくれた。
X線検査機から荷物を肩に担いだとたん、僕をめがけて大勢の人が押し寄せてきた。
口々に何か叫んでいるのだが、僕には何と言っているか聞き取れない。
しかし、アジアの多くの飛行場で見られるタクシーやホテルの客引きであることは間違いない。
僕は首を横に振りながら、路線バスの発着所を探す。
小さな机の向こうに、案内の女性が座っている。
僕は街までのバス乗り場を聞く。
すると彼女は、手早くチケットを切るではないか。
唖然としていると、3ドルだという。
バスを捜しているのだと言うが、彼女は3ドルだと言うだけである。
どうもそのチケットは、飛行場と街を結ぶシャトルバスのものらしい。
3ドル払って、チケットを貰う。
そのチケットを手にして建物の外に出ると、誰に案内されるともなくシャトルバスへと到達した。
シャトルバスは、日本製の白いハイエースであるが、12人乗りに改造されている。
バスのそばでは、若い男が呼び込みをやっている。
あとでこの男は車掌らしいことが判るのだが、市内のホテルなら玄関先まで付けると言っている。
すでに二人の若い日本人男性が乗っており、僕は彼等に挨拶をして乗り込んで最後尾のシートに座る。
このミニバスは貧乏な外国人観光客用のものらしく、身なりの良い外国人はタクシーに乗って市内に向かっている。
バックパッカーと言われる貧乏旅行者たちだけが、このミニバスの乗客である。
やがて何人かの乗客が乗り込み、やっと出発と言うことになったが、7人の乗客のうち何と6人までが日本人だった。
飛行場から出ると、左右には田圃が広がって、緑の苗が風になびいている。
舗装された道をバスは軽快に走る。
片側二車線で、中央にはちゃんと分離帯まである立派な舗装道路である。
5分も走らないうちに料金所につく。
どうやらここは有料道路らしい。
このミニバスは、ハノイ市内のベトナム航空の事務所と飛行場を結んでおり、30分ごとに運行されている。
地元の人たちは、もっと安い路線バスに乗るのだろうが、貧乏な旅行者といえども、ここベトナムではお金持ちである。
ベトナムでは外国人向けの料金と現地の人たちの料金が、まったく別に設定されている。
この二重料金制には、その後おおいに悩まされることになるが、この時にはまだ判らなかった。
30分ほど走ると田園地帯を抜け、やがてバスは市内に入る。
広い通りから何度も折れ曲がって、中心地に向かっているようだ。
タクシーで市内へと向かうのとは違って、バスというのは必ず終点があるから安心である。
しかも、今はまだ5時前、まだ充分に明るい。
今夜の宿はまだ決めてないが、これならどこで降ろされても、宿探しには困らないだろう。
車掌らしき元気のいい若い男が、カタコトの英語でどこに泊まるのかと、乗客に聞き始めた。
みんなそれぞれにホテルの名前を口にしている。
やがて、バスは見知らぬホテルの前に到着。
車掌さんは客の希望など一切無視して、自分の知り合いのホテルへと案内した。
ここは安い、しかも良いホテルだと言っている。
誰でもここに泊まるのが良い、たった40ドルだという。
しかし、いきなりそんなホテルに案内されたって、誰だって不安なだけである。
結局だれも降りず、バスは次のホテルに向かう。
次のホテルは、20ドルである。
そこで、日本人の女性が降りる。
その近くで日本人男性が降りる。
次の5ドルというホテルで、日本人以外のたった一人の乗客だった白人男性が降りる。
僕は、メトロポールに予約をとってあると言った。
車掌さんは驚いて、あそこは高いぞと言う。
メトロポールはハノイで一番高級なホテルである。
もちろん今夜、そんなところに泊まるわけではない。
しかし、この車掌がうるさいのと、ホテルからリベートを貰って客を連れていっているのは見え見えだったので、メトロポールと言ったのである。
ちなみに、どこの国でも入国審査カードを書かされるが、入国審査カードにはその国での居住地を書く欄がある。
僕はいつもその街で一番有名なホテルを、ガイドブックから探して書くことにしている。
有名なホテルは誰でも知っているし、入国審査官にも信用がある。
これで無事入国できなかったことはない。
日本で予約をとってきたという若い日本人男性が、グリーンホテルと言うと、それはここから遠いからあと1ドル必要だという。
彼がそれを承諾すると、まもなくグリーンホテルに到着。
バスは再度発車、車掌は僕のほうを見て、メトロポールへはあと1ドル必要だという。
冗談じゃない、ホテルまで連れていくと言ったじゃないかと言うが、彼はベトナム・エアラインの事務所前で停めてしまった。
しかし、グリーンホテルからベトナム・エアラインまではほんの2〜3分の距離である。
さっきの彼は、しっかりと1ドルぼられたのである。
この様子では1ドル払わないと連れていかないと判断し、地図で見れば近そうなので、ここで降りて歩くことにする。
バスから降りると、今度はシクロ(前に人を乗せて走る自転車)の運転手と、バイクタクシー(オートバイの荷台に人を乗せて走る)の運転手が、5・6人ばかり客引きによって来る。
その人たちを笑顔で断りながら、リックを背に歩き出す。
まだ明るいし、それほど暑くもないので、気持ちがいい。
あたりの人に聞き聞き歩くと、10分もしないうちにメトロポールの前に出た。
メトロポールは構えの小さなホテルだが、最近改修されて名実ともに高級ホテルとなったとか。
バンコクのオリエンタルのようにアジアの高級ホテルの近所は、怪しげな雰囲気に包まれていることがある。
しかし、このホテルは広い通りに直接面しており、いたって小綺麗である。
ドアーボーイが扉を引いてくれる。
建物のなかは、重厚な雰囲気である。
この街のおおよそを聞くため、コンシェルジェのところへ行く。
英語が通じるので一安心。
まず、街の地図を貰う。
そしてこのホテルがどこにあるか、地図の上に落として貰う。
どうやらこのホテルのあるあたりは、官庁街で高級街らしい。
どのあたりが繁華街で、そこまで歩いていけるのかとか、いろいろと情報を入手。
今回の旅行は、ハノイから列車で中国の昆明まで往復する予定なので、ヴェトナムへの再入国ヴィザが必要である。
再入国ヴィザは、どこでとれるのか聞いてみる。
中国のヴィザが必要だからと、中国大使館をまず教えられる。
しかし、どうもこの話しは難しそうである。
なぜなら、今日4月30日はヴェトナム解放記念日で官公庁は休みである。
翌日5月1日はメイデーでやっぱり休み。
2日は日曜日で休み。
しかも、ヴィザの取得には4日くらいかかるという。
そんなことをしていたら、僕の休暇はヴィザの発給待ちで終わってしまう。
ある程度予測してきたこととは言え、予定の変更を余儀なくされてしまった。
そこで、今回はハノイから中国国境に近いヴェトナム北部を回ることにする。
ヴェトナム最終日には、このホテルに泊まるので、宿泊の予約をする。
通常は220ドルだが、最終日の9日は日曜日なので半額になると言う。何とラッキー。
予約の保証に、カードの提示を要求された。
そして、1万円をベトナム通貨であるドンに換金。
1、075、000ドンになる。1センチ近い札束を受け取る。
お札がしっかりしており、比較的きれいなのに驚く。
100円が10、000ドンと言ったところだろうか。
10、000ドン札を10枚ばかりポケットに入れて、残りはリックに入れる。
さてこれで、街へ出ることが出来る。
念のため、ドアーボーイにシクロの相場を聞いてから、ホテルの外に出た。
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