団塊男、ベトナムを行く    ハノイの北は  
1999.6.記
1.ハノイ到着 2.ハノイの旧市街 3.ハノイの街並み 4.ハノイ郊外
5.サパへ .サパの蝶々夫人 7.ラオチャイとカットカット .ソンラーへ
9.ランクルの旅へ 10.ディエン・ビエン・フーへ 11.マイチャウから 12.チュア・タイ寺院
13.観光地ビック・ドン 14.ホテル:メトロ・ポール 15.さようなら

   

4.ハノイ郊外

 ホアンキエム湖の北側には、バスの発着所がある。
そこからは一番のバスが発車する。
それに乗ることにした。
絵はがき売りの子供から、のがれることができた。
このバスは何処へ行くか、まったく判らない。
でも、知らない街でバスに乗るのは面白い経験である。
始発から終点まで行って、そこからまた乗ったところまでかえってくる。

 見知らぬ街の見知らぬシーンが車窓に展開し、しかも、車内には庶民の生活が持ち込まれてくる。
途中で乗り降りする人たちの様子が実に興味深い。
このバスはどこで乗っても、どこまで乗っても、1、000ドンである。
窓のガラスに料金が大きく貼ってあり、言葉の判らない僕にもたやすく理解できた。
バスは外国人用の特別料金はない。 

 バスはすでに街の中心地を抜け出し、近郊の商店と住宅の入り交じった地区を走っている。
そこへ、人民軍の軍服を着た少年が乗ってきた。
目が合う。彼が笑う。こちらも笑うと、待ってましたとばかりに話しかけてきた。
バスに乗る外国人など、珍しいらしい。
まず、おきまりの
「どこから来た?」
である。驚いたことに、この少年はきちんとした英語を喋る。
「月から」
と答えると、しばらく考えていたが、突然笑い出した。
冗談だと判ると、たちまち話が始まった。
彼は配管工だったらしい。
それが今、徴兵されているという。
「お前の職場には、コンピューターはあるか?」
と聞いてくる。
もちろんと答えると、これからはコンピューターの時代だから、コンピューターを勉強したいという。
日本にはとても興味があるらしい。
鞄から航空郵便の封筒をひっぱりだして、自分の住所を書く。
それに東京の写真などを入れて送ってくれと言う。
僕はたやすく承知して、彼の写真を一枚撮る。
これも入れて送って上げるよと言うと、本当に嬉しそうな顔をして、バスを降りていった。

 やがてバスは終点。
全員が降ろされる。
ここは長距離バスの発着所らしく、荷物を屋根にまで載せたオンぼろバスが、何台も並んでいた。
バス停の近くでは、トランプに興じている人たちがいる。
勝ったり負けたり、しわくちゃのお札が人の手から人の手へと渡る。
売店のおばさんはトランプが強いらしく、男たちの冷やかしとも、やっかみともつかない声が飛ぶ。
それを写真に撮らせて貰って、近くの探検に出る。
道路わきの露店、木陰に寝そべる犬、荷物を満載した自転車、天秤棒で荷物を運ぶ人、埃っぽい赤土、アジアに共通の風景が道路の向こうまで続く。

 ビア・ハノイの看板が出ている露店にはいる。
ビア・ハノイを注文すると、おばさんは快くうなずいた。
プラスティックの低い椅子に座って待っていると、おばさんは生ビールの樽の入った箱を開けた。
樽の上にあるキャップを開けると、手に持った透明のビニールホースをそれに突っ込んだ。
そして、もう一方のはしを口にくわえて勢い良く吸い込んだ。
すると、黄金色のビールはゆっくりとビニールホースを伝わって出てきた。

 おばさんは手早くそれをコップに注ぎ込んだ。
高さ15センチもあろうかという泡ガラスのコップに、なみなみとつがれた生ビールが運ばれてきた。
それはよく冷えており、やや薄い味だが心持ち甘い味を残して、僕の咽を滑り落ちていった。
これで、1、500ドン。
瓶ビールや缶ビールが100、000ドン近くする。
ハノイの生ビールは安い。

 帰りも1、000ドンを払って、同じ一番のバスに乗って、市内に向かう。
バスが発車するまで、アイスクリーム売りや、新聞売り、センス売りがバスの車内に乗ってくる。
公共交通機関は、決まった路線を走っているので、どこへ連れて行かれるかと心配しなくてもすむ。
帰りはそれほど多くの人は乗ってこなかった。
一番後ろのシートに腰掛けたまま、僕は街の風景を眺めていた。

 しかし何と! このバスは始発の場所には戻ってこなかった。
終点だといわれて、全員が降ろされたところは、僕が乗った場所とはまったく違っていた。
幸いなことに、その場所は午前中に歩いた場所に近く、何とか想像のつく場所だったので慌てずにすんだ。
これがまったく知らない場所だったら、ちょっと焦ったかも知れないなと、思いながらまた歩き始めた。

 今度は旧市街のなお北の方にあるホー・チ・ミン廟に向かう。
ベトナム語がしゃべれないので、道で聞くこともできないが、ホー・チ・ミンだけは通じる。
何度か聞いてやっと辿り着いた。
広い公園の真ん中に基壇をもった建物がそびえており、その中に遺体は安置されている。

 解放の父だけあって、さすがに丁重な扱いである。
そばには人民軍の兵士が立っており、閉まっている扉をがっちりと警護していた。
扉から10メートル近く離れた所から一段高くなっており、そこに僕が足を乗せたとたん警笛を吹かれてしまった。
足をおろせと言うことらしい。
その後から来た人も、同じように警笛を吹かれて慌てていた。
ふだんは内部も見学できるらしい。

 なお北へと足をのばす。
タイ湖へと向かう。
道々、オートバイや自転車の行き交うのをかわしながら、20分も歩いただろうか。
タイ湖の畔に出た。
タイ湖はホアンキエム湖と違って、とても大きい。
水上レストランがあったりするが、それはちょっと高いようで、人々は湖畔の芝生の上で遊んでいる。

 ここにも様々な物売りや写真屋さんが出没している。
僕も散策の人たちに交じって、しばらく湖畔でぼんやりとする。
ハノイの街は、このタイ湖から南へ約四キロ、東西が3キロくらいの範囲におさまる。
だから、充分歩いて回ることができる。
再度、町中へと引き返すことにする。

 一時間近く、ホン河に沿って南下する。
郊外のような街並みから、町の中心部のような雰囲気へと変わる。
アジアの街の例に漏れず、ハノイの街も道路の両側に沿って、間口3〜4メートルくらいの商店がずっと連続する。
それぞれの建物は、隣の建物と完全に一体化しており、隣家の壁との間にはまったく隙間がない。
隣の壁が自分の家の壁でもある。

 建築中の建物を見ると、両隣は建ったまま真ん中に一軒の家を建築している。
多くは2〜4階建てで、中には5階建ての建物もある。
いずれもウナギの寝床のように奥へと深い間取りで、中庭があたりして、典型的な町屋のつくりである。
その狭い間口のまま、上へと伸びていくので、自然と階段が不思議な付き方をしているのが多い。

 薄暗くなってきたので、夕飯にする。
繁華街のいたるところに食堂があり、食べるものを捜すにはまったく不自由をしない。
しかも、ベトナムは一般に食事が美味い。
豚肉の三枚煮、鶏の唐揚げ、揚げ春巻き、卵をまるのまま煮たもの、野菜炒め、魚の天ぷらなど、道路側にいろいろなおかずを並べ、中にテーブルが並んでいる。

 入るときにそれらから幾品か注文して、テーブルに座っていると、注文したものが運ばれてくる。
ご飯のおかずだから、全体に味が濃い。
ご飯は暖かいが、ちょっとぽろぽろしている。
それを長い箸で食べるのである。
2品とスープ、それにご飯で20、000ドンくらい。

 食事の後には、お茶がある。
日本の緑茶とよく似ており、急須と茶碗が各テーブルに置いてある。
各自が勝手にそれを飲むのだが、茶碗がお猪口くらいでとても小さい。
それを何度もついで、ゆっくりと飲むのだ。
お茶はただらしく、頼めば何度でもお湯を足してくれる。
茶碗に茶渋が付いていたり、茶碗のはしが欠けていたりすることを気にすると、気持ちよく飲めないかも知れない。
しかし、それに目をつぶれば、食後のお腹に濃いお茶がおいしい。
どこで飲んでも同じ味で、ハノイの人たちは濃いお茶が好きらしい。

 午後7時半。
ホテルに預けた荷物をとって、ゆっくりとハノイ駅へ向かう。
今度はホアンキエム湖の西側を通る。
薄暗くなった湖畔では、男たちがベトナム将棋に興じている。
何人かが車座になり、その真ん中には必ず将棋盤がある。
もちろん対戦しているのは2人だが、岡目八目の観戦者が取り囲んでいるのだ。

 あちらに一塊り、こちらに一塊りと、何組もの男たちが無言で地面をにらんでいる。
それを写真に撮らせてもらうが、男たちは微動だにしない。
一心不乱に盤面を見つめている。
時折、観戦者が顔を上げるが、また下を向く。
ここには女性の姿はない。
男たちはこうした筋を追う遊びが、たまらなく好きなようだ。

 ハノイ駅には、すでに列車が入線していた。
発車まで1時間以上あるので、早速探検に出る。
列車は寝台車が3両、食堂車が1両、普通車が6両ばかり連結されており、僕の乗る車両は最後尾だった。
各車両には洗面所とトイレがあるが、トイレはもちろん落下式である。
客室は個室になっており、両側に三段のベッドがある。

 一番下のベッドをあげると、下が物入れになっているのだが、ベッドとは名ばかりで、ただ一枚の板である。
そのうえに、ござが1枚と枕が置かれている。
寝台車のしつらえは、これで終わり。
後は各自がどうにかするのである。
最初はすいていると思った列車も、発車の間際になると、お客も全員やってきて、満席になった。

 僕の買った切符は一番上だった。
最上段のベッドは、ただ上と言うだけではなく、座っても頭がのばせないのである。
背筋を伸ばそうにも頭がつかえて、首をまっすぐに出来ない。
下の2段は充分に背筋が伸ばせる。
これが最上段の安い理由だったのである。
発車するとすぐに、何とかござを敷いて寝る体制に入った。
それから終点のラオカイに着くまで、僕は2・3度目が覚めた他はまったく何も知らなかった。
   

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5.サパへ