団塊男、ベトナムを行く    ハノイの北は  
1999.6.記
1.ハノイ到着 2.ハノイの旧市街 3.ハノイの街並み 4.ハノイ郊外
5.サパへ .サパの蝶々夫人 7.ラオチャイとカットカット .ソンラーへ
9.ランクルの旅へ 10.ディエン・ビエン・フーへ 11.マイチャウから 12.チュア・タイ寺院
13.観光地ビック・ドン 14.ホテル:メトロ・ポール 15.さようなら

   

3.ハノイの街並み

 7時起床。
夕べは早く寝たせいでか、気持ちよく目が覚めた。
シャワーを浴びる。
浴室の天井近くに設置されたこのシャワー、お湯は出るのだけれど、電気式なのでお湯の出が細い。
しかも、完全な調子ではないらしく、いくらか温度が上がったり下がったりする。
石鹸をつけたままで、お湯が出なくならないように祈りながら、手早くシャワーを使う。
何とかもってくれた。
やれやれ。

 今夜の夜行列車でラオカイに向かうが、列車の時間までは街を歩きまわりたいので、荷物をフロントへ預けて置くことにする。
正直な話し、こうした安宿で荷物を預けるのはちょっと不安なのだ。
でも、重い荷物を背負って一日歩くのは大変だから、目をつぶって預ける。
フロントの人はいとも簡単に引き受けてくれるが、カウンターの前に置いただけだった。
誰にも見える場所に置く、不用心のなかの用心。
かえってこの方がいいのかも知れない。
もちろん、預り証などといったものは発行されなかった。

 ハノイ駅に行くことにして、街を歩き出す。
ホアンキエム湖を左手に見ながら、のんびりと歩く。
30から40分もあれば着くだろうと、めざす駅の方向へ向けて歩く。
途中、細い路地が目にとまったので、そこへ入り込んでみる。
やっと車が通れるくらいの道幅で、道路から家の中がよく見える。

 食事をしている家や、テレビがついていたりと、どこでも当たり前に生活がある。
かつて香港でもパジャマが街着だったが、この街ではパジャマが街着らしい。
街を行く女性の3分の1くらいがパジャマ姿である。
これは朝だからではない。
やがてどこでもパジャマ女性が闊歩していることを知るようになる。

 すでに働いている人たち。
建築中の家では、煉瓦を二階に投げ上げている。
上手く投げあげるし、上の人も上手くキャッチする。
砂をバケツに入れて、ロープで屋上に上げている姿も見える。
その隣では細い鉄筋を曲げている。
立ち止まって僕はそれをじっと見ていた。
すると、向こうも気がついたらしく、にやっと笑う。
こちらもにやっと笑い返して、写真を撮らせて貰う。


弓張り形のノコギリ


 花売りの自転車が止まっている。
そのそばでは、パジャマ姿の女性2人が、何本かの花をみつくろっている。
どこに花を飾るのだろうか。
花売りから花を買う女性たちとは、すでにハノイは近代化しつつあるのだと感心しながら歩く。
アジアではよく見るが、わが国では使われていない鋸が、目にはいる。
この鋸は、押すときに切れる。

 路地を抜けて、広い通りに出る。
ハノイに限らず、途上国では車がとても威張っている。
けたたましい警笛を鳴らしながら、人間を蹴散らして車が走ってくる。
しかし、人間たちも負けてはいない。
信号や車は何のその、自分が渡ることが出来ると思ったら、直前だろうと斜めだろうと平気で道路を横切っていく。
もちろん、僕も図々しく道路を横切る。
すでに太陽が上がっているので少し汗ばむ。
ハノイの夏は蒸し暑くて、不快指数が高いと言うが、まだ五月だからだろうか、暑いと言うほどではない。

 広い通りには必ず歩道があり、歩道には様々な物が並んでいる。
まず、オートバイ。
サイゴンほどではないにしても、ハノイでもオートバイが普及し始めており、至る所にオートバイがある。
道路でも赤信号になると、停止線にはオートバイがずらっと並ぶ。
それから、高さが15センチくらいの、お風呂で使うような小さな椅子がある。
これに腰掛けて、お茶を飲んだりおしゃべりをするのだ。

 天秤を担いだ物売りが通る。
物売りは女性が多いが、彼女たちは華奢な体で、前後に大きな荷物を提げて調子をつけながら歩く。
そして、気に入ったところに来ると、店を開くのである。
でも、本当はどこでも店を開いても良いというわけではないらしい。
お巡りさんが来るとさっと荷物を担いで移動を始めるさまはユーモラスでさえある。
靴磨き、小物売り、絵はがき売りなどなど、さまざまな人が歩いている。

 駅らしい建物が見えてきた。
ハノイ駅と書いた看板が、駅の正面にかけてある。
それはどこにでもある風景だから驚かないが、何とそのすぐ上にDAEWOOの看板がデンと、ハノイ駅の看板より目立つように掛かっている。
街の中にはDAEWOOだけでなく、SONYやPANASONICなどの看板があった。
それらは看板があるべき所にかかっていた。
駅舎の真っ正面にDAEWOOの看板とは。
韓国の影響力が強いことを、今更ながら思い知った。

 ベトナム戦争では韓国は、アメリカ軍とともに南ベトナム軍として参戦したが、戦後すぐにベトナムへと進出したらしい。
日本が朝鮮戦争で特需景気にわいたのと同じように、韓国はベトナム特需で経済がかなり潤ったという。
日本の自動車の方がはるかに多いが、韓国製の車もしばしば見かける。
社会体制を越えて、韓国とベトナムの繋がりは相当深いようだ。

 駅舎の中にはいると、左手に切符売り場が並んでいる。
いくつも窓口があるが、外国人が買えるのは、手前の2つだけである。
まず、ベトナム・ツーリズムの場所を聞く。
流ちょうな英語を喋る女性なのだが、どうも要領を得ない。
中国の昆明まで往復したいのだと言うと、中国のヴィザが必要だとの返事。
それで、再入国ヴィザを入手できるところを教えて欲しいというと、月曜日にならないとダメだ。
しかも、ヴィザの取得には4日かかると、ダメを押されてしまった。
これで中国行きは完全に不可能となった。
完全に諦めた僕は、仕方なしにサパに行くことにした。

 ラオカイまでの夜行列車の切符が欲しいというと、いつのかと女性から聞かれた。
今夜のだと答える。すると、プラスティックのケースに入った料金表がでてきた。
どうやら外国人料金があるらしい。ハードシート、ソフトシート、それにスリーピング・カーである。
スリーピング・カーは3段式になっており、下段と中段が245五ドン、上段が179ドンである。

 椅子に座っての夜行列車はきついので、寝台車に乗ることにする。
245ドンと179ドンの違いが何か判らなかったが、多分窓があるかないかの違いだろうと勝手に判断して、上段を買った。
切符は小さなノートのような形をしており、外国人用切符と書いてあった。
あとで地元の人から見せて貰った切符とは、ずいぶんと違うものだった。

 切符売り場を離れようとすると、飛行場からのバスで一緒だった昨日の男性2人がいるではないか。
「何処へ行くの」
 と聞くと、
「今夜の夜行列車にのって、途中フエやダナンによって、サイゴンに向かう」
のだとのこと。

 1週間後には、サイゴンから帰国するらしい。
ベトナムのヴィザは入国地と出国地が指定されるので、ハノイ入りサイゴン出とか、サイゴン入りハノイ出というコースをとる旅行者は多い。
お互いに旅の無事を祈って分かれる。
ちなみに、日本からは空路でのみ入国でき、陸路でのベトナム入国ヴィザはとれない。

 駅から出ると、バイクタクシーやシクロのおじさんが寄ってくるが、それほどしつこくはない。
首を横に振るだけで、諦めてくれる。
駅前の露店で朝食にする。
朝食は、夕べに続いてうどんである。
隣に座っている人も、同じものを食べている。
目が合うと、互いににやっと笑う。
僕の座っているところは、歩道の上にまでせり出した小さなテーブルである。

 うどんをゆでたりする調理場は、やはり歩道の上なのだが、少し引っ込んだ路地の奥にある。
その前には、6・7枚の大きなお皿が並び、いろいろなおかずが盛られている。
しかし、誰もそれに手を伸ばす者はおらず、これは昼食のためのようだ。
調理場を何枚か写真を撮ってから、また歩き出す。

 駅前から東にまっすぐ伸びる広い通りは、チャンフンダオ通りという。
官公庁や外国大使館などの多く建っているホアンキエム湖南地区へと続いている。
湖南地区は、コロニアル様式の洋風建築が多く、フランスの植民地時代に建てられた建物がたくさん残っている。
メトロポールもそうした建物を改修したホテルだし、その近くにはパリのオペラ座を模した大劇場もある。

 最近ヒルトンホテルとして蘇った建物は、小さな構えでありながら、中に入ると五層を吹き抜けにした気持ちのいい空間を見せる。
吹き抜けの北側はガラス張りで、そこからは静かに光が入り込んでくる。
その途中を吊り橋状に廊下が横切っており、ここには是非泊まってみたいと思わせるに充分である。
しかも、今は開店記念中で、9月まではすべて半額だという。400ドルのスウィート・ルームが、200ドルとのこと。
メトロポールに予約をしてしまったが、おおいに心が動いた。

 お昼近くまで、静かなこの湖南地区を歩く。
休日のせいでか、道行く人々はのんびりとしており、街のところどころではお茶を飲む人たちがいる。
低い腰掛けを歩道の上に並べた喫茶店は、街のいたる所にあり、コーヒーや生ビールを飲ませてくれる。

 コーヒーはブラックで注文しても甘い。
ミルクコーヒーになるとコンデンスミルクが、カップの底に一センチくらい沈んでいるから猛烈に甘い。
日本でなら、とても飲まないものだ。
しかし、それをゆっくりとかき混ぜながらすすると、ずっと昔からハノイに住んでいたような気分になるから不思議。
道行く人を眺めて過ごすこうした一時は、外国に出たときだけに許される至福の時間である。

 昨日歩いたホアンキエム湖の西側の道を、旧市街へと向かう。
パトカーに先導された黒塗りの車が、4・5台ばかり連なってせわしなく駆け抜けていく。
アイスクリーム売りや、果物売り、靴磨き、写真屋さんなどが、歩道を行きかう。
ハノイでは、カメラがまだ普及していないらしく、街の写真屋さんが良い商売になるようだ。

 首から一眼レフのカメラをかけ、道行く人にさかんに声をかけている。
彼の後ろには、それまでに撮った見本の写真が大きく張り出されている。
スタイルの良いベトナム娘たちが、ポーズをとったカラー写真は見本である。
僕にも写真を撮らないかと声をかけてくるが、こちらが撮らせて貰うことにする。
彼をファインダーに入れて、ホアンキエム湖を一枚。

 絵はがきやハノイの案内書を売る子供がついてきた。
にこにこといたって愛想がいい。
しかし、商売熱心で、僕の横についたままずっと一緒に歩く。
「どこから来た?」
「どこに泊まっている?」
「いつ、ハノイにきた?」
「名前は何という?」
などなどと次々に質問である。
その会話の相手をしているうちは良かったが、絵はがきの押し売りになったので、いささか持て余す。
辺りを見回して、逃げ出す算段をする。
   

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4.ハノイ郊外へ