団塊男、中国を歩く    雲南地方から広州へ  
2000.12.記
01.川崎から昆明へ 02.昆明の街にて 03.石林往復 04.大理:下関と古城
05.景洪へ飛ぶ 06.景洪からのバス旅行 07.昆明へ戻る 08.南寧から憑祥へ
09.欽州から広州行き 10.大都会の広州では 11.Kさんと広州 12.帰国すると


01.川崎から昆明へ

 飛行機は朝の7時半に、羽田空港を離陸する。
できれば6時半、おそくとも7時には羽田に着かなくてはならない。
僕の家から羽田へは1時間以上かかる。
5 時半には家をでることにする。
まだ、薄暗い街を歩いて駅へとむかう。
夕べはおそかったし、よく眠れなかったせいでか、なんだか気分がわるい。
風邪をひいた のだろうか。

 軽い吐き気と頭痛をもったまま、飛行機に乗ろうとしている。
これから2週間の中国旅行だというのに、どうしたことだろう。
しかしである、旅行を中止する なんてことは、まったく考えていなかった。
早い時間なのに、電車にはすでにたくさんの人が乗っている。

 羽田に着いた。
僕がのるのは日本エアシステムである。
滑走を始めた飛行機は、離陸にむけてぐっと加速をつける。
座席に身体がおしつけられ、機体が空中に浮かんだのがわ かる。
そして上昇にはいる。それにしても、この飛行機はとんでもない急角度で上昇している。
通路の前のほうが頭の上にくるようだ。
たちまち雲の上にでた。 羽田を定刻に飛びたち、関西国際空港へとむかった。

 今回は関空から外国にでるのだ。
関空で出国手続きをして、おなじ日本エアシステムの国際線に乗り換える。
ボーディング・ブリッジから機内に入る。
機首のすぐ後ろの扉のところに立つと、コクピットのなかがよく見える。
機体に手をついて、つま先立ちになる。

 コクピットの窓が開いており、本当に手をのばせば操縦桿にとどく距離である。
狭いコクピットのなかで、若いパイロットたちがスイッチをいじったり、メモを見たりしている。
アンちゃん安全・無事にたのんまっせって思っていると、目があってしまう。
ハイジャックなんてしないよと、あわててにっこりする。

 海外にでるのは、自由を味わいにいくのでもある。
共産主義の中国に自由を味わいに行くとは、何だか矛盾しているようだが、あまり深く考えないことにして着席する。
すぐに飛行機は離陸を始めた。
しかし、離陸しても自由になる感覚が迫ってこない。

 いつもだと成田を離陸し、飛行機が機首を上にむけはじめると、得もいわれぬ開放感に襲われる。
しかし、今回はそうした感慨がはじまる気配がない。
気分がわるいせいだろうか。
それとも中国には自由がないのだろうか。

 約3時間の飛行で広州についた。
現地時間は午後1時30分で、わが国とは1時間の時差がある。
共産主義の国だから何かが違うということはまったくない。
検疫、入国審査、税関とすぎ、何ということなく中国の国内に入った。
広州空港で国内線に乗り換えて、中国南西部にある雲南省の昆明にむかうのだ。

 広州の飛行場は、国際線と国内線が隣りあっている。
案内板に導かれて国内線の建物へと移動する。
やや埃っぽい空気。
かすんだ景色。
両者は500メート ルも離れていない。
外にはタクシーやらバスが走っているが、日本の空港にくらべると長閑な感じがする。

 国内線の建物に入る。
受付カウンターがずらっと並び、中国各地への飛行機がたくさん飛んでいるのがわかる。
僕の乗る飛行機が出発するまでは、まだ3時間近くある。

 ちょっと見には日本人とまったく人たちが通り過ぎる。
しかし、彼等の話している言葉は、僕になじみの日本語ではない。
ああ、ここは中国なんだ、と突然に思う。
日本人かと思った人が、僕に理解不能の言葉を喋る、とても不思議な感覚。

 乗り継ぎの時間があるので、近所をちょっと探検する。
空港の建物をでると、もうそこにはタクシーがびっしりと並んでいる。
タクシーは皆同じ色に塗られて おり、上が白で下が小豆色である。
ワーゲンのジェッタが断然に多い。
次がプジョーの504だろうか。
その次には、シトロエンのZXが少しだけ。

 バス停やタクシーの客待ちを過ぎ、振り返ると空港ビルが一望できる。
よく見ると、近くに止まっているのはバイク・タクシーらしい。
オートバイの後ろに客を乗せて走るバイク・タクシーは、バンコックの専売特許かと思っていたが、そうではないらしい。
工事中の塀にそってしばらく歩いてみるが、空港の近くには めぼしいものはない。

 空港に戻って、建物の中をうろつく。
トイレに入ってみる。
ブースには扉もついており、ふつうのトイレだった。
中国のトイレは何やら有名だが、変わったところは何もない。
小用のストールが並んだ日本の公衆トイレとまったく同じである。

 小用を済ませて外に出ようとしたら、壁にトイレットペーパーが掛かっている。
トイレットペーパーって、ふつうはブースの中にあるものだと思う。
それがな ぜ壁に。
ブースに入る前に、必要なだけちぎっていくのだろうか。
ちょっと疑問が残ったが、確かめずにそのまま外にでた。

 15元でコーヒーを頼む。
でてきたのはコーヒーらしい味がする。
でもちょっと変。
コーヒーのようなものを飲みながら、飛行機の出発まで待つ。

 僕の乗る中国南方航空CZ3419便が、受付カウンターのうえに表示された。
チェックインが終わる。
カウンターの女性が、後ろの階段を指さす。
今まで、 なぜ多くの人があの階段を上っていくのか判らなかったが、今やっとわかった。
あの階段を登りきった先に、国内線の搭乗ゲートがあるのだ。
僕もその階段を 上っていく。
国内線には50元の空港使用料がかかる。

 国内線でもパスポートの提示を求められる。
係官のパスポート・チェックを終え、やっと搭乗口へたどり着くのかと思うと、人の流れはなぜか右へ曲がって下り階段へと向かう。
その下には広い待合室があった。

 お茶を売っている。
2元、飲んでみる。
コーヒーらしきものより、はるかに口当たりがいい。
安いほうが美味しい、こうしたものなのだ。
なぜなら、コーヒー は外国から来たものだ。
わが国だって、コーヒーの味が良くなったのは最近だもの。
その地で飲まれているものが、安くて美味いのは当たり前だ。
僕は搭乗口か らバスに乗せられて、飛行機へと運ばれていった。

 夜7時過ぎ、昆明空港に到着。
あたりはすでに暗くなっていた。
飛行機からバスで空港の建物へと運ばれ、ただちに解放される。
トイレによって、のんびりロビーにでる。
同じ飛行機で着いた人たちはもういない。

 ホテルの客引き、タクシーの客引きが集まってきた。
中国語がわからなくても、彼等の目的はわかる。
しかし、今回はホテルが決めてある。
日本から初日の夜だけは予約をとっておいたのである。
客引きたちを軽くいなしながら、建物の外へでる。

 ガイドブックに書いてあるとおり、空港建物の外には市中と空港をむすぶシャトルバスが停まっている。
これでいいのだ。
シャトルバスが、ホテルの前を通るかを確認して、それに乗りこむ。
そして出発をまつ。
蚊がよってくるが、素早く退治し、悠然とバスの出発を待っている。
待てども、し かし、なかなかバスは出発しない。

 中国では満員にならないとバスは出発しない、とガイドブックに書いてある。
満員になるまで待っているのだろうと思う。
なかなか満員にならない。
僕の次に は誰も乗ってこないのだ。
15人乗りくらいのバスの後ろの席に、僕は座ったままバスの発車を待っていた。

 外では乗務員というか、バス係の人たちが楽しそうにおしゃべりしている。
誰も乗ってこなかったら、満員になることはない。
時計はすでに8時をまわってい る。
このまま出発しないのだろうか、少し心配になってきた。
僕の気持ちを見透かしたように、中国人のお姉さんが近づいてきた。

「○○○○、タクシー、○○○○、タクシー、○○タクシー」
よく判らないが、タクシーと言っているらしいのは判った。
つまりこのバスではなく、タクシーで行けと言っているのだ。
しかし、中国語である。ほとんど判らない。

「ノータクシー、ノータクシー」
と答えると、向こうも言葉が判らないらしく、他の人が来た。
今度の女性は英語がわかった。
このシャトルバスはしばらく発車しないから、タクシーでホテルへ行けと言う。

「バス」
と答えると、空港の外れを指さした。
バス停があるらしい。

 ホテルの名前をいうと、路線バスの番号を67だと教えてくれた。
そして、彼女は北京路(ベイジンルー)で降りろといった。
路線バスの、どこが乗り場なのだ。
近くにはそれらしきものはない。
よーく見ると、はるか彼方にそれらしきものが見える。

 「地球の歩き方」というガイドブックも、あまりあてにはならない。
仕方なしにシャトルバスから降りて、路線バスの乗り場にむかう。
あたりにはもう誰もい ない。
清潔な昆明の飛行場だが、わが国と違ってあたりは薄暗い。
リックを背負って、ひとりとぼとぼと歩く。
警備員の詰め所や空港の駐車場をとおりすぎる。

 どこからか、またタクシーの呼び込みが近寄ってくる。
ホテルの呼び込みでもあるようだ。
でも、67番のバスに乗るのだと、固い決意でバス停に向かう。
ふ りかえってみると、昆明の空港ビルは緑と紫にライトアップされて美しい。
これが中国の飛行場か、とても信じられない。
何だか浮き浮きして、外国に来た感じ がこみ上げてきた。

 5分と待たないうちに、67番のバスはきた。
大きなバスである。
ワンマンカーというのだろうか。
運転手さんだけで、車掌さんはいない。
しかも運転手は女性である。
バスに乗って、1元を入れる。
どこまで行っても1元らしい。
運転手さんに「北京路」と書いた紙を見せる。
彼女はうなずく。
そこに着いたら、教え てくれと言ったつもりだった。

 バスには4・5人しか乗っていない。
夜も遅いから、もう乗る人も少ないのだろうと思い、最後尾の椅子に座る。
ところが、次の停留所でたくさんの人が乗ってきた。
そしてその次では、もっと大勢の人が乗ってきた。
もう僕のところからは、運転手さんの姿などまったく見えなくなった。

 暗い街をバスは快調に走っている。
高速道路かと勘違いするくらいに立派な道を、バスはたくさんの客を乗せてひた走る。
今度はなかなか停まらない。
あたりには5・6階建てのきれいなアパートが建ち並び、売り出し中ののぼりも見える。

 バスはガードをくぐり、速度をゆるめながら中央レーンにより始めた。
信号で止まり、左折する。
わが国とは反対に、中国では車は右側通行だから、左大回りで左折していくのである。

 街中に近づいているのがわかった。
夜だというのに、人が道に溢れている。
歩道で物売りが商売に忙しい。
街が暗い。
バスの発着所が見える。
しかし、このバ スは素知らぬ顔で通過する。
街には人がどんどん多くなる。
ネオンサインが目にはいる。
明らかに繁華街へと入ってきた。
まわりには高層ビルが見え始める。

 バスは大きな交差点を右に折れる。
あたりは明るくなり、街の中心部であることがわかる。
しかし、歩道は暗い。
街の様子はいまいちよく判らない。
交差点をこえ、バスが減速する。停留所である。
「北京路」
あわててバスから降りる。

 交差点に立ってあたりを見ると、20階建てくらいの高層建築ばかりである。
北京や上海ならいざ知らず、昆明のような田舎町に来たのに、大都会と変わらないのだ。
夜になってもバスは走り、タクシーは元気がいい。
そして、人々は街を歩いている。

 中国って途上国のはずじゃなかったか。
あふれる近代の記号にうちのめされる。
中国っていったいどんな所なのだろうかと、初日からボーゼンとしたのだった。

 北京路と環城南路の交差点にそびえる「金龍飯店」は、高層の立派なホテルだった。
僕のような貧乏旅行者には、いつもなら恐れ多くて近づけない。
今回はホテル・バウチャーなる予約書があるので、安心してロビーへと入っていく。

 幸いなことに英語が通じた。
指し示された部屋は、10階の1024号室である。
ベーリーチャイニーズのエレベーター。
なんとか部屋に転がり込んだ。

 広い部屋だ。
高い天井。
カーテンの下がった窓に、スタンドライト。
テレビもある。
ミニバーもある。
バスタブもある。
もちろんお湯もでる。
歯ブラシやシャ ンプーもそろっている。
日本をでて12時間がすぎている。
体調の悪かった僕は風呂にも入らず、ただちに真っ白なシーツに潜り込んで、昆明の夜を迎えたので あった。
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