団塊男、中国を歩く    雲南地方から広州へ  
2000.12.記
01.川崎から昆明へ 02.昆明の街にて 03.石林往復 04.大理:下関と古城
05.景洪へ飛ぶ 06.景洪からのバス旅行 07.昆明へ戻る 08.南寧から憑祥へ
09.欽州から広州行き 10.大都会の広州では 11.Kさんと広州 12.帰国すると


03.石林往復

 昨日の不調はどこへやら、元気に目が覚める。
朝食券をもって、ホテルのレストランにいく。
しかし、これは昨日の日付だから、無効だという。
フロントへいくと、今日の朝食券をくれた。
中華料理のバイキングである。

 朝食後に、チェックアウト。
今夜は、昆明駅から夜汽車にのる。
荷物をホテルに預けて、身軽になりたい。
荷物とひきかえに、預り証をくれる。
それには半年間連絡がないと、預けた荷物は競売に付すと書いてあった。
ということは半年間なら、この荷物を預けっぱなしにしても大丈夫、ということなのだろうか。

 今日は昆明の南東約100キロにある石林へ行くことにする。
石林とは字のとおり、石が木のように林立している所である。
石灰岩の地盤が雨による浸食を受 け、ギザギザとんがりの奇観をつくりだしたのだ。
そのなかでも特有の形をした地域があり、それぞれに名前が付いている。

 石林は中国でも有数の観光地となって、中国人がたくさん訪れているらしい。
石林観光のバスツアーがたくさん仕立てられてもいる。
しかし、僕は路線バスで行くことにする。
ホテルをでると、環城南路を歩いてバスの発着所へと向かう。

 昆明の街は掃除が行き届いている。
誰も立ち小便などしないし、痰を吐く者もいない。
至るところに「公厠」がある。
わが国のそれより沢山あるのではないだろうか。
ゴミを捨てる人はほとんど見かけない。
しかも、道路はオレンジ色のベストを着た誰かが、いつも掃いている。
市の職員だろう。とにかくチリ一つ落ちていないといってもいい。

 禁大便20元、禁小便10元という看板を見た。
おそらく中国もついしばらく前までは、立ち小便は当たり前、道端で大便をする者さえいたに違いない。
ちなみに農耕社会では、女性も立ち小便したことを忘れてはならない。

 農耕社会では排泄物も自然が飲み込んでくれる。
唾を吐いたり手鼻をかむことは、悪いことでも何でもない。
大小の排泄物は、肥料として役に立ったりもしたのだ。
公衆道徳の出現は、近代化が始まった最近のことに違いない。

 ここのバスの発着所は、規模が小さい。近距離のバスが多いようだ。
停まっているのは、50人乗りクラスの大型バスもあるが、17・8人乗りのマイクロバ スも多い。
切符売り場へ行くと、なぜかバスの中で待つように言う。
僕の乗るのもマイクロバスだった。

 わずかの待ち時間でバスは出発する。
都会の喧噪から逃れ、バスはたちまち田園地帯を走る。
やがて車掌さんが切符を売りに来る。
出発時間が迫っていたので、バスの中で買えとの指示だったのだろうか。
石林風景区と書いた紙を見せる。6元である。

 かなりくたびれたバスは、坂道になると黒煙をさかんにあげる。
そして、道路が平坦になると、老体にむち打って追い抜きにかかる。
道路幅は対向2車線とはいえ、舗装されているのは中央部分の1.5車線である。
対向車も追い抜きをかけてくるから、かなりなスリルを体験させられる。
前を見ていると、精神衛生上よろしくない。

 この付近は北京ダックそっくりの鴨料理が有名である。
食べ方も北京ダックと同じだが、なぜか北京ダックとは呼ばない。
もとになる鴨が裸にされて、至るところにつるされている。
あれはレストランに違いない。昼も近いし美味そうだと思うが、バスは無情に通り過ぎていく。

 僕の乗ったバスは、路線バスである。
そのため石林の近くを通るだけで、観光地である風景区までは行かない。
風景区入り口で降ろされてしまった。
ここでまず昼飯が正解だったが、僕は近所にいた馬車をつかまえて、早々と風景区へとむかってしまった。

 風景区の入り口には、大きな駐車場があった。
そして、そのまわりには土産物屋や食堂があって、それぞれ客引きに忙しかった。
中国人も食べているし僕は安心し、その中でも地味目な食堂に入った。
隣で食事をしていた中国人の若者たちが立ち上がった。
食事が終わったらしい。

 僕は3品ほど注文した。
煎られた蜂の子が、直径20センチほどの皿に山盛りででてきた。
そして肉野菜炒めのような物。
ビールなど飲みながら、ゆっくりと食事をした。

 隣には人民軍関係者と思われる人たちが、3人で食事をはじめた。
目下の者がおかずを箸でつまんでは、しきりと上役のご飯の上に運んでいる。
上下関係はいずこも同じ、すまじきものは宮仕えかなんて思って、僕は隣のテーブルをみている。

 人民軍関係者のテーブルには、取り箸というものがない。
目下君は自分の食べ箸で、おかずを上司のご飯の上に運んでいるのだ。
それを上役は咎めようともしない。
食べ箸と取り箸の区別はなく、自分の食べ箸で相手へおかずを運ぶことは、ここではまったく普通のことのようだ。
むしろ目下の心使いとして、美しい行 為であるようにさえみえる。

 食べ箸が個人に固有のものとなるのは、個人の身体が各自にはっきりと自分のものだ、と自覚されて以降だろう。
個人の肉体の境界があいまいな前近代では、各人の身体が個別化することができない。
だから、食べ箸の共有も不快ではないのである。

 さて会計である。
僕は何も考えずに右手で空中に字を書くような仕草をした。
これは勘定をしめるときの、世界共通のジェスチャーである。
店の中年女性が、 請求書をもってきた。
23元と読めるが、3のあとにも何やら数字が書いてある。
ここは屋台ではないから、23元は安いなと思っていると、230元だとい う。

 昨日の昼御飯が3元だったのだ。
僕は椅子からころがり落ちそうになった。
請求書をよく見ると、あの蜂の子が80元とある。
観光地の典型的なぼったくりで ある。
隣の人民軍関係者も、椅子からころがり落ちそうになっている。
やはりとんでもない請求書が来たのだ。

 現物を見て注文していた僕はメニューを見ていない。
メニューを確認すると、同じ金額が書いている。
これでは仕方ない。
僕はしぶしぶ支払いを済ませ、風景区に行くことにする。
隣では人民軍関係者がまだもめている。

 ガラスで囲まれたモダンな入場券の売場にいく。
風景区に入るには、40元の入場料がかかる。
40元に驚く。
ここはいったいどこかと、羽の生えた札びらを恨めしく思う。
入場券を買うと、磁気カードが渡された。
磁気カードを入れて、改札口のバーを身体で押すのだ。

 改札口の向こうには池があり、広々とした景色が広がっている。
ところが、磁気カードを受け取って、挿入する係りの人がいる。
磁気カードを使うのは、無人化のためではないのか。
これもあまり深く考えないことにする。

 民族衣装を着た若い女性のガイドさんが待機している。
僕にもガイドを雇えといっている。
しかし、僕は中国語が判らない。
ガイドさんは中国語しか喋らない。
ガイドさんを雇うのは無理である。
ここは中国でも有名な観光地らしく、大勢の中国人がきている。
ガイドさんは大勢の中国人を引き連れて、右に左にとにこやかにガイドをしている。

 土産物屋をすぎると、だんだんと石の突出が多くなる。
ゆるい下り坂を左に曲がると、がぜん石が前面に登場した。
つんつんとんがりの独特の風貌をしてお り、奇観である。
ここが観光地化するのは理解できる。
石がせりだして道は狭くなり、人がすれ違うのがやっとである。
大勢の観光客が、迷路のような石の林を 歩く。

 石林が風光明媚な観光地と知ってきたのだが、やはり僕にはいまいち馴染めない。
風景といった無人的なものを見るより、僕は人々の生活するなかにいたい。
風景区観光は適当に切り上げて、昆明に戻ることにする。
さっきの駐車場に戻ると、昆明行きのミニバスが止まっていた。
それに乗り込んで、道端に吊されてい た鴨を想像しながら、出発時間を待つ。

 昆明市内に入ったバスは、出発したバス発着所の少し手前で止まった。
全員がぞろぞろと降りる。
まるで街のはずれだが、ここが終点らしい。
近くのバス停で、 市内の路線バスで中心街へと向かう。
東風東路から東風西路へとバスは進む。
東風西路は官庁街といったらいいのだろうか、昆明の中心部でもある。

 あたりが暗くなり始めてきた。
バスを降りて、大通りから脇にそれる。
路上で焼き芋を売るお兄さん、小物を売っている人もいる。
たくさんの人が行きかっている。
街の様子を眺めながら、ぶらぶらと歩く。
夕食時らしく、定食屋さんのおかずをテイクアウトで買っていく人がいる。

 東南アジアでは、こうしたおかずはビニールの袋に入れて輪ゴムで縛ってくれる。
ここでは発泡スチロールの箱に入れてくれる。
発泡スチロールの箱のほう が見た目は良い。
しかし、平行を保たなければならず、汁をこぼさないように持つのは難しい。
ましてや荷物が多かったり、自転車などで家へ帰る人には、発泡スチロールの箱は厄介な代物だろう。

 アジアではどこでもお総菜を買って、それを家で食べるのは当たり前に普及している。
テイクアウトの総菜がけっこう美味いのである。
わが国でお袋の味こそ家庭の味なんて言っている人たちの顔が見たい。

 東風西路に平行する細い道を歩く。
商店が軒を並べ、車が通る道だが、ひどく暗い。
その途中にやたら人の入っているレストランがある。
店内には6人掛けの大きな四角いテーブルが20台くらい並んで、そのテーブルにはすべて人が座っている。
空席がない。

 全員が大きなどんぶりを抱えて、うどんのようなものを食べている。
ひきりなしに人がいきかう。
今も僕を追い越して客が店に入っていった。
どうやらここは うどんの専門店のようだ。
道路から二段ほど階段を上がって、僕もこの店にはいる。
タイル張りの床がすべる。

 入り口の右側に食券売場がある。
左には皿に盛った食べ物が並んでいる。
僕の立っているところから2メートルと離れていない目の前で、お客さんたちが直径 30センチはあろうかという丼からうどんを食べている。
うどんのように見えるのはビーフンらしい。
真っ赤なスープである。
辛そう。
入り口でぼやぼやしてい ると、二階へ行けと促された。

 床に敷かれた15センチ角くらいの白いタイルは、表面がつるつるでいかにも滑りそう。
中国人たちは、床に食事のカスを容赦なく吐き出すから、床は油分や ごみ、その他もろもろをのせている。
それをモップのようなもので拭くが、汚れは完全に取れるわけではない。
見えない油汚れは、日に日に堆積していく。

 タイルの床は、油や水分の汚れを吸ってくれない。
見た目は清潔であっても、滑りやすいことこの上ない。
スニーカーはまだ中国に普及していないから中国人 はいいが、スニーカーを履いた僕は慎重に歩を進める。
階段ののぼり口には、10元以上と書いてある。
つまり、少額の食事をする人は、一階で食べろと言うこ とか。
二階の床は板敷きだった。

 窓際に席を取る。
10人近い家族だろうか、隣のテーブルでは全員が大きな丼に顔を突っ込んで、うどんをカッ込んでいる。
10人もの人たちがメンを食べる のだから、盛大にすする音が聞こえてきそうだが、すする音がまったく聞こえてこない。
中国人はメンをすするという食べ方をしないようだ。
テーブルの真ん中 にはおかずが何皿かのっている。

 僕がテーブルに座ったら、何も注文しないうちから、10センチくらいの皿に盛った食べ物が3品でてきた。
よくわけが分からないが、ウエイトレスのおばさんの中国語にうなずく。
そしてビールを頼む。
僕のテーブルにも大きな丼が運ばれてきた。
なかにはスープがあって、おばさんはテーブルの上の3品をエイヤッ とばかりに丼に入れた。
そしてメンを入れ、かき回してくれた。これでメンを食べろと言うのだ。

 後でわかったのだが、この料理は「過橋米線」というもので、昆明地方の名物らしい。
もちろんこれにもピンきりがあるが、ここは3〜5元ときわめて庶民的な値段である。
これだけ混みあっているところを見ると、その筋では有名な店なのだろう。
でも、かなり辛い。

 このレストランにはトイレがなく、公厠を使う。
店を出ると、正面に公厠がある。
使用料金は1元。
ここは偶然だろう。
それにしても店の従業員はどうするのだろう。
普通のレストランには、必ずトイレがあるのでご心配なく。

 今夜は、22時11分発のK446に乗るのだ。
昆明駅へと向かう。
昆明駅まで3キロくらいあるだろうか。
1時間も見れば着くだろう。
のんびりと歩き始め る。
途中でポケット瓶のお酒を買う。
緑の瓶で、10センチくらいの高さである。
白酒といって3元だった。

 30分くらい歩くと北京路へ出る。
ここはいつも人通りが多い。
若いお兄さんがカードを手渡そうとする。
彼だけではない、何人も何人もの若い人がカードを手渡そうとする。
まるで駅前のティシュー配りである。
なかには女性も混じっている。

 とうとう1枚を受け取った。
するとたちまち次の人が別のカードを渡そうとする。
僕の手のなかには、たちまち10枚のカードがたまった。
どれも名刺くらい の大きさで、飛行機の絵がカラーで印刷されている。
そのカードと一緒に、10センチ角くらいの薄紙もくれた。
それには「最新航空票价」と書いてあった。
よ うするに格安航空券の売り込みだったのである。

 昆明・広州間の料金をみてみる。
正規料金は1、160元のところを、820元にするというのだ。
約3割引である。
便数がたくさん飛んでいるところの値引率が高い。
2〜3割引のところが多い。
5人以上だと団体割引もすると書いてある。
こうした安売りが生まれてきたのは、中国でも飛行機の利用が、庶民のあいだでも広まってきたということだろう。

 僕が日本で買った広州・昆明間のチケットは2万円だったから、1元を15円で換算すると1、333元になる。
広大な中国のこと、鉄道よりも飛行機がこれからの輸送手段になっていくのは間違いないだろう。
すでに10社近い飛行機会社が、中国の空を飛んでいる。

 途中でホテルに預けた荷物をうけとり、9時頃に昆明駅に着いた。
発車までまだ1時間以上もある。
とりあえず待合室へと向かう。
入り口で切符のハサミが入る。
昔懐かしいパンチ式のハサミである。
飛行機に乗るわけではないのに、荷物を手荷物検査機に入れる。

 待合室は二つあり、僕の乗るK446は第1待合室である。
すでに多くの人が待合室に入っており、空き椅子はほとんどない。
5分としないうちに、人々が動き出した。
廊下のほうへと移動をはじめたのである。
僕もその流れに混じる。

 薄暗い廊下から、階段を下る。
階段は上の線路をくぐっているのだ。
みんな大きな荷物を持って、ぞろぞろと歩く様は何だか収容所へでも入れられるようだ。
ホームは3本あるらしい。
両端のホームへの階段にはシャッターが降りており、真ん中のホームへと人々は流れていく。
すでに列車は入線しており、人々は列車 にそって歩き始めた。

 各車両の入り口には、15センチくらいの紙に車両番号が掲示され、車掌さんが立っている。
先頭から1、2、3と番号が上がっていく。
このあたりは椅子席である。
寝台車は後ろのほうらしい。
番号がまた1、2、3と始まる。
やっと5番の車両を探しあて、乗り込もうとする。

 しかし、車掌さんは無表情で後ろを指さす。
怪訝なおもいで後ろへと向かう。
すると最後尾に、加5があった。
5ではなく加5、つまり僕の乗るのは、増設し た車両だったのだ。
だから、昆明北駅では売り切れだといわれたのに、昆明駅ではあったのだろう。

 室内はコンパートメント型で、通路に直角に三段ベッドが向かい合ってある。
通路とベッドの間には仕切はなく、通路から寝ている人は丸見えである。
新空調硬座とは、暖房入りの二等寝台といったところか。
僕のベッドは最下段だった。

 発車間際はどこでもざわざわしている。
通路にいる人が話しかけてくる。
しかし、話が通じない。
なんと向かいに座った人は、日本語がすこしわかる。
最初は 不思議そうな顔をした人たちも、僕が日本人だとわかると得心する。
するとあとはボールペンと紙をだしての筆談である。

 列車はゆっくりと発車した。
通路にいた人たちも、だんだんと自分のベッドへと引っ込んでいく。
白酒をとりだすと、まわりの人たちはニヤリと笑う。
すすめるが誰も飲まない。
1人でちびりちびりやりながら、ベッドに潜り込んだ。
広告

次へ