団塊男、中国を歩く    雲南地方から広州へ  
2000.12.記
01.川崎から昆明へ 02.昆明の街にて 03.石林往復 04.大理:下関と古城
05.景洪へ飛ぶ 06.景洪からのバス旅行 07.昆明へ戻る 08.南寧から憑祥へ
09.欽州から広州行き 10.大都会の広州では 11.Kさんと広州 12.帰国すると


09.欽州から広州行き

 目が覚めたが、あたりは真っ暗である。
何時だかわからない。
手元の懐中電灯で時計を見る。
6時15分過ぎである。
やはりモーニングコールはなかった。

 慌てて起きる。
壁のスイッチに手を伸ばし、スイッチを押す。
しかし、電気がつかない。
目覚めのシャワーどころではない。
まったく見えないのだ。
本当に真っ暗闇、足を踏みだすことさえできない。
ホテル中が真っ暗である。
街も灯りがついていない。

 懐中電灯であたりを照らし、手早く荷物をまとめる。
小さな懐中電灯が、この旅行で初めて役にたった。
懐中電灯を頼りに階段を下り、フロントへ向かう。
ロ ビーのソファには若い男性が寝ている。
僕の足音で目が覚めたらしく、眠そうにしながらもソファから起きあがる。
保証金を返してくれる。そして玄関の扉を開 けてくれた。

ロウソクを立てて書類を見ている。


 暗いなかをバスの発着所に入る。
ここも電気がついていない。
すでに係りの人が仕事をしているが、ロウソクを立てて書類を見ている。
停電はしばしばあるら しく、ロウソクが常備されている。
誰も慌てていない。
ロウソクの灯りで仕事をするのは大変だろうが、それも慣れればいつものことかもしれない。

 7時前、少し明るくなった。
女生徒たちが大挙してバスに乗ってきた。
先生に引率されているところをみると、どこかへ対向試合にでかけるようだ。
満員のバスは定刻に出発する。
4時、欽州に到着予定。
これから9時間のバスの旅が始まるのだ。

 1時間くらい走ると、朝食のために停車した。
寧明である。
運転手さんが15分間停車すると、腕時計の文字盤を指で差して教えてくれた。
運転手さんについて食堂に入る。
このコースを彼はいつも走っているようだ。
店の人とも顔なじみである。

 運転手さんはお粥を頼む。
お粥といっても、ここのお粥は米の形がはっきりとあって、どろっとしていない。
洗米のようなご飯が、とぎ汁のなかに山盛りになっている。
それを汁ごとすくって、15センチくらいの金属製のボールに入れてくれる。
普通のご飯とお粥の中間の感じである。

 テーブルのうえには、細かく切った漬け物などの薬味が何種類ものっており、ご飯のうえに各自が自由にそれをとる。
何種類とっても何度とってもかまわな い。
好きなだけとれる。
途中でおかずが足りなくなったら、またとればいい。
さっぱりとした口当たりで、いかにも朝食向きである。
運転手さんはご飯を主に食べるが、僕はおかずを主に食べる。
これで1元である。

 公厠によって1元。
そして、バスに戻る。
憑祥と南寧のあいだは列車も走っており、幹線道路だったようである。
憑祥・南寧間にある寧明までは道がよかった。
しかし、寧明で右におれ地方道にはいると、急に道は狭くなり舗装が悪くなった。
砂煙を上げて走ることもしばしばである。
辺境道路開発と看板がでてお り、道路工事も至るところでやっている。

 道路工事にはたくさんの人が従事している。
こちらには作業服というのがないらしい。
男性は全員が背広の替え上着姿なのである。
彼等は背広を着てスコップ を握っている。
労働の時もくつろぐときも同じ衣服のようにみえる。
しかし、西洋人のように作業の目的に応じて、1日に何度も衣服を着替えるほうが、不自然 かもしれない。
民族衣装なら着替える必要はないのだから。

 ふりかえって考えてみるに、人民服をやめた中国人は、背広を着ていることが多いことに思い至る。
昆明の工事現場でも背広姿だった。
ただし、上下揃いでは ない。
背広の上だけを、いわばブレザーのように着ている。
そして、腕についたメーカー名の入ったタグをとらないのである。
どうやらタグを付けておくのがお洒落なようだ。

 何時間走ったろうか、バスは小さな店の前に停まった。
そこは金属の溶接などをしている修理工場のようなところで、20歳くらいの若者と高校生くらいの若者が2人でやっている。
ときどき母親らしき女性も顔を出す。
修理工場といっても、大した設備はない。
コンプレッサーと電気溶接機があるだけである。
まわり には田圃が広がっている。

 パンクだった。
右後輪の内側のタイヤがパンクしているらしく、若者は客を乗せたままジャッキをかける。
タイヤをはずし、店先へと運ぶ。
大ハンマーを振り下ろして、ホイールからタイヤをはずす。
チューブを引きだし、穴の位置を調べる。
何度もパンク修理されたあとがあり、長い間よく使い込まれていることがわかる。

 ホイールにヒビが入っているらしい。
若者はホイールに溶接棒をあて、ヒビの両側を溶接していく。
水をかけて冷やし、サンダーでこする。
念のためタイヤの なかに古いチューブを切って入れる。
チューブを戻しタイヤをはめる。
アッという間に修理が完了した。

 パンク修理のあいだ、乗客は若者の手先を注視していた。
何人もの人がバスから降り、物珍しそうにパンク修理を見学しているのである。
もちろん僕も興味津々で見学した。
その時の顔は子供と同じ。
興味あるものへの好奇心でいっぱいである。
好奇心がすなおに顔にでている。

 正午過ぎに、バスは上思のバス発着所に到着。
15分間の食事休憩である。
ここで女生徒たちが降りる。
僕も食事をする。
小さな蒸かし饅頭に、ミカンを買う。
この蒸かし饅頭は、8ヶはいった蒸籠単位で買うもので、その場で食べることもできるしテイクアウトもできる。
僕はテイクアウトし、バスのなかで食べる。

 隣に奇妙な人が乗ってきた。
彼は左手の小指と薬指の爪が、5センチくらいあるのだ。
小指の爪を伸ばす人はよくみかけるが、5センチというのは初めてである。
彼は他の指も爪を伸ばしているが、せいぜい1センチである。
左手の小指と薬指の爪だけが異常に長いのだ。
理由を聞いてみたかったが、言葉がわからない ので理解不能である。
残念だった。

 乗客が乗ったり降りたりしながら、バスは山道をくねくねと曲がっていく。
もうバスには10人とは乗っていない。
まわりは刈り入れのすんだ田圃が広がっている。
刈り取られたあとが、まとまった株になっている。
直播きではなく、このあたりでも田植えをやるようだ。

 山道の途中から、大きな荷物をもった女性が3人のってきた。
いずれもがっちりとした体格で、いかにも肉体労働者である。
年齢は30代の半ばであろうか。 このあたりで見かけるふつうの女性たちである。
そのうちの1人のズボンが、汚れているのが目に入った。

 黒っぽいズボンの股間から股の後ろへかけて、何かが染みているような汚れである。
本人も連れの女性たちも、それにまったく気づいていないようだ。
僕はそれが何であるかすぐには判らなかったが、やがて経血の汚れであろうことに気づいた。

 長い間、女性の生理も厄介なものだった。
わが国でも1961年に、坂井泰子氏によってアンネナプキンが発売されるまで、その処理には厄介さがつきまとっていた。
中国でもこのあたりの農耕社会までズボンは普及したが、いまだに安価で確実な生理用品が普及していないのかも知れない。
都市と農村は違うのだろ う。

 ズボンではなく民族衣装のままなら、経血の処理もそれなりの方法が伝えられてきたと思う。
こうした失敗はないだろう。
ズボンという近代的な服装に替わり ながら、生理用品やその使い方といったソフトの普及が遅れているのだ。
目に見えにくいノウハウが普及するのは、どうしても遅れる。
しかも、使い捨ての工業製品は、いまだ高価であるに違いない。

 生理は女性の宿命とはいえ、実にうっとうしいものだろう、と男性の僕でも想像する。
ましてや、この女性のようなケースもあり、何とも言いようがない。
しかし、近代的な生理用品の開発に携わったのは、坂井泰子さんを除けば全員が男性だった、と「アンネナプキンの社会史」を書いた小野清子さんは言う。

 人間の労苦を取り除くのは、男性がやろうが女性がやろうが望ましいことである。
手軽で確実そして安価な生理用品が、より多くの女性に届いて欲しいと思う。
それは女性差別が強まった近代のもたらした恩恵でもある。
近代にはたくさんの欠点もあるが、同時に多くの長所もあるのだ。
山の中の道を走ってきたバス は、やっと広い道にでた。
 
 バスは1時間遅れて、5時に欽州のバス発着所についた。
欽州は大きな街だった。
高い建物が林立し、広いとおりが縦横に走り、車が走りまわる。
しかし、観光の対象になるものがないせいでか、ガイドブックには欽州の街案内はない。

 バスのまわりには、バイクタクシーがヘルメット片手に小判鮫のように近寄ってくる。
僕は鉄道の駅を探していた。
ガイドブックには鉄道の線路が書いてある が、どうも駅はないようだ。
三輪タクシーの運転手に広州と書いて尋ねると、バスを指さした。
バスで行けということらしい。

 バスの発着所に入っていく。
切符売り場には、19時00分と21時00分の2本のバスが書かれている。
料金は160元と、べらぼうに高い。
どうやらこの バスは、欽州と広州を結ぶノンストップ高級バスらしい。
だから高いのだ。
欽州の街を歩く時間も欲しいので、遅いほう21時00分のバスにする。

 5時から9時まで4時間のあいだ街を探検しよう。
僕は荷物を一時預けに預けようとする。
しかし、一時預けは7時で閉まるから、切符売り場に荷物をまわしておく。
そちらに取りにいくように、と係りのおばさんに言われる。

 それは恐い。
もし連絡が悪かったら、荷物は一時預けに閉じこめられたままになってしまう。
そこで切符売り場のお姉さんに確認しにいく。
すると一時預けのおばさんがついてきて、切符売り場の女性たちに説明してくれる。
彼女たちも了解しているようだ。
これなら大丈夫だろうと、僕は荷物を預ける。
 
 街にでる。
欽州は大きな街だが、とりたて特長がある街ではない。
今まで歩いてきた街との違いはあまり感じない。
コンピュータの宣伝のため、キャンペーンをやっている。
ここにもインターネットがある。
中国でもコンピュータはどんどん普及するだろう。
バスの切符売りもオンライン化され、コンピュータの普及はもう始まっているといっていい。

 暗くなった歩道のうえで、若い女性が2人で盤上ゲームをやっている。
彼女たちは店の店員さんらしい。
中国将棋ではないが、明らかに論理的なゲームのようだ。

 暗くて写真に撮れそうもないが、カメラブレになってでもいい。
とにかくシャッターを切りたい。
ドキドキしながら、写真をとってもいいかと2人に尋ねると、彼女たちはたちまち店へと逃げこんでしまった。
写真に撮られるのが恥ずかしいのだという。

 若い女性が2人で、盤上遊戯に興じることはきわめて珍しい。
僕は今まで見たことはなかった。
女性が盤上遊戯を遊んでいた2例は、いずれも男性と女性の組 み合わせである。
女性だけではなかった。
だから、この写真はどうしても欲しかったのだが、何度頼んでも彼女たちはカメラの前には来てくれなかった。
本当に 残念だった。

 バス発着所の近くに戻ってきた。
もう広州へのバスに乗るだけだ。
バスに乗れば寝てしまえばいい。
目が覚めたら広州だろう。
ビールを飲んでゆっくりと食事をする。

 荷物をとってバス乗り場にいくと、バスが入っていた。
想像したとおりぴかぴかのバスで、韓国製のエアコン効きます、テレビ付きです、リクライニングしますの豪華バスだった。
女性の車掌さんも熱烈服務型ではない。
胸のふくらみを強調した赤と緑の派手な制服で、もちろんスカートである。
おしぼりとスナックが 配られる。

 定刻9時ピッタリに発車。
テレビ脇のデジタル時計が、9:00をさすと同時に発車した。
これは非常に珍しい。
いままで定刻の発車といっても、2・3分の 遅れはざらだった。
5分近く遅れたこともある。
精確な時間を守る、これも近代の習慣なのだ。
静かに走り出したバスは、広州をめざしたのであった。
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