団塊男、中国を歩く    雲南地方から広州へ  
2000.12.記
01.川崎から昆明へ 02.昆明の街にて 03.石林往復 04.大理:下関と古城
05.景洪へ飛ぶ 06.景洪からのバス旅行 07.昆明へ戻る 08.南寧から憑祥へ
09.欽州から広州行き 10.大都会の広州では 11.Kさんと広州 12.帰国すると


06.景洪からのバス旅行

 昨日までの天気がウソのよう。
雨が降っている。
しかも少し肌寒い。
昨日、飛行機が遅れたのもこのせいか。
とすれば、時間がたてば雨は上がるのだろう。

 猛混まで行ってみよう。
できればその先、ミャンマーとの国境の町である打洛まで行きたい。
打洛までは150キロくらいあるから、バスの都合次第である。
またバス発着所へと向かうが、昨日のバス発着所とは違う場所にある。

 どこのバス発着所でも、切符の販売はオンライン化されており、空席がすぐにわかる。
係りの女性が端末を操作すると、モニターのうえにバスの座席の絵がでてくる。
それには番号がうってあり、座席指定で買えるわけだ。
渡される切符には、区間、期日、出発時間、料金などがかかれ、乗る車の車体番号も印字されている。
打洛行きは30分間隔で次々と発車しているようだ。

 今度のバスは、20人乗りくらいのマイクロバスである。
ややくたびれた車体は日本製だろうか、見慣れた形である。
運転手さんらしき人が、気さくに案内してくれる。
ほぼ満員で、切符に書いてあるとおりの定刻9時に出発した。
通路には大きな荷物もおかれている。

 街中を走り、なおも客を拾っていく。
このバスには車掌さんがのっている。
途中からのった客には、車掌さんが切符を切る。
すでに立っている人もいるが、ま だ客を詰め込む。
バス発着所で手渡される切符には、座席番号が印字されているが、これはまったく無視されている。
座席は早い者勝ちである。
車体には定員も 書いてあるが、これも無視される。

 街を一巡りすると、街のはずれで車掌さんは降りてしまう。
郊外にでるとあとは運転手さんが、1人で車掌業務も兼ねるのだ。
陽気な運転手さんは、助手席に 座った客と喋りながら、快調に飛ばす。
ときどき客が乗ったり降りたりする。
だんだんと山道にはいってくる。

 道の両側には、人家はなくなった。
広かった道幅も狭まり、両側の立木は地面から1メートルくらいまで白く塗られている。
曲がりくねった道も、この運転手さんにはあまり関係ない。
対向車をかわし、遅い車を追い抜いて、スピードは落ちないのだ。

 1時間近くは走っただろうか。
1.5車線の道は、ゆるく下りながら右へとカーブしていく。
道の両側には人家が見え始めた。
向こうから同じマイクロバスが、相当なスピードでのぼってきた。
ところが、カーブの先にはジープが止まっている。
あれっ、すれ違えるのかなと思うまもなく、ドッシーンという衝撃が襲った。
僕は前の椅子へとつんのめった。

 避けきれなかったバスが、道端のジープに衝突したのである。
対向車は辛うじて衝突をかわして走り抜けたので、正面衝突という惨事にはならなかった。
しかし、ぶつけられたジープはぺちゃんこになって、道から飛びだした。
僕の乗ったバスはブレーキをかけてはいた。
下り坂で満員である。
ブレーキは利きにくい。
ブレーキのタイミングが遅れたのである。

 乗客に死傷者はいないが、おばあさんが椅子からとびだし、起きあがれずにいる。
僕が抱きかかえて椅子に座らせたが、衝突の衝撃でどこか変になってしまったようだ。
連れのおじいさんが一生懸命に話しかけているが、しっかりした返事がない。

事故で破損したジープ


 ジープに乗っていた男性が、首を押さえて降りてきた。
ゆっくりと頭を前後左右に動かしている。
むち打ちに違いない。
バスの乗客はほとんど外にでた。
事故現場には野次馬が集まってくる。
ジープを遠巻きにして、皆じっと観察している。
僕も野次馬にまじって、ジープの写真をとる。
深緑色のジープは人民軍のものだろう。
しばらくすると同じ型のジープがきて、むち打ちになった男性を乗せて走り去った。
バスは前の方が少しへこんだだけだった。

 運転手さんは顔面にいろがない。
見るのも哀れなほど慌てている。
人民軍らしき人と話をしたり、携帯電話で連絡をとったりと、事故処理に忙しそうだ。
ここは主要街道らしい。
そのあいだにも、他の車がひきりなしに通る。

 打洛と書いたバスがきた。
乗客はそのバスに乗り換えである。
運転手さんはその場で切符を払い戻している。
運転手さんが現金を持っていることに驚く。
僕も払い戻しを受け、バスを乗り換える。
11元5角で買ったのだが、12元の払い戻しがあった。

 今度のバスは、ぴかぴかの新品である。
しかも、IVOCA製のがっちりとした車体、頑丈なシートが床にしっかりと固定されている。
2台分の乗客を詰め込んだバスは、超満員である。
もちろん僕は立っている。
今、事故現場を通ったばかりだが、このバスも飛ばすのであった。

 猛海で小休止。
トイレにいく。
バスはまた走り始める。
景洪を出発してから約3時間で猛混着。
12元の払い戻しだったが、降りるときには13元取られた。

 猛混は小さな街だった。
バス通りに家が並んでいる他は、ほとんどなにもない。
バスが停まった場所が街の中心地であろう。
直角にのびる通りが市場になっている。
道の両側では近くの村からでてきたらしい女性たちが、野菜や果物を売っている。
日曜日には大きな市場になるらしい。
ところどころに屋台がまじり、食堂 も開いている。
市場を一巡したあと、僕もここで昼飯にしよう。

 市場の真ん中あたりにある屋台にはいる。
母と子の女性2人でやっている。
若いほうは娘だろう。
ここは繁盛しており、いつも4・5五人の客がいる。
あたりには同じような店があるが、繁盛しているここは美味しいに違いない。

 うどんのようにビーフンを丼に入れ、地元の人は香辛料をしこたまかけて食べる。
僕は辛いのはちょっとだけにする。
それでも汁が赤くなる。
かなり辛い。
定食もやっている。
ご飯をもらって、おかずを食べてみる。
するとお店の女の子が全部のおかずを、ちょびっとずつ味見させてくれた。

 それぞれを口に入れてみる。
硬い。
口に入れたのは肉らしいが、すこぶる硬い。
何の肉だろうか。
女の子が唇の両端に、人差し指をたてる。
猪だろう。
猪の肉はもうれつに硬い。
噛み切れずにそのまま飲み込む。

 ミャンマーの国境まで、もう50キロはない。
中国でも最も南西のはずれに来ている。
猛混はガイドブックにも、わずかに地名が記されているだけの小さな街だ。
日曜日にたつ大きな市場を除けば、ほかには何もない農村である。

 この市場にもちゃんと公厠がある。
さすがにここは水洗ではない。
無料で、それなりに清潔だった。
中国のトイレは汚く、入った人は下に見えるピラミッドの高さを、より高くするんだと聞かされてきた。
しかし、これだけ山の中に来てもそんなことはなかった。

 中国に来て初めて日本人に会った。
彼もバックパッカーである。
猛混に4泊したんだとか。
ここには何もないのにと言ったら、この街のまわりの山々には、大 勢の少数民族が住んでいると彼はいう。
その部落に遊んでいたらしい。
山のなかの部落に4日も滞在できるなんて、何と羨ましい旅だろうか。
彼は景洪へ戻るのだという。
もう少し話をしようと思っていたら、バスが来てしまった。
名前も聞かないうちに別れる。

 マイクロバスに揺られること、約1時間。
打洛に到着。
バスのまわりには、三輪自転車のタクシーといったらいいのだろうかリキシャが集まってくる。
自転車のうしろに2人分の客席をつけたインドやミャンマーで見るあれである。

 中国でも都会から離れるに従って、原始的な乗り物になっていく。
景洪ではリキシャは見なかったし、昆明ではもちろん見なかった。
三輪タクシーはまがりなりにもエンジンがついているが、リキシャは人間がペダルをふんで進むのである。

 街の様子がわからないから、まず歩くことにする。
打洛の地図はガイドブックにもでていない。
バスの発着所は街の外れだったらしく、なかなか街中らしきところへでない。
リキシャの運転手がしきりと声をかける。
すると別のリキシャが古びたカレンダーを、パンフレット代わりにもってきた。
彼はそれを指し示しな がら、1元だという。
この街には自然公園があり、そこが観光名所らしい。
そこへ案内するとさかんにいう。

 彼の熱意に負けてリキシャに乗る。
上り坂にくると、彼はサドルから尻を上げ、汗をかきながら必死で自転車をこぐ。
小さな街の中心部をとおって、右に曲が り坂道を下る。
上りも大変だが、下りはブレーキのかけ方が難しいらしく、慎重にリキシャを操る。
橋をわたる。
相当な水量である。
川に沿ってまた右に曲が る。

 200メートルも行かないうちに、自然公園の入り口である。
入園料を10元取られる。
公園のなかに入っても、上り下りは続き、リキシャをこぐのは大変そう。
これで1元とは重労働である。
入園料の10元とつい比較してしまう。

 自然公園のなかには動物が飼われ、珍しい植物もみえる。
あたりは背の高い木々が鬱そうとしげり、おそらく専門家が見たら感動するのだろうが、僕には貴重さがよく判らない。
終点まで来たらしい。
彼が降りろという場所には、建物がありさまざまな看板がでている。
中国人観光客もいるが、なにせここは国境の僻地 である。
何だか閑散としている。
しばらく歩き回っていると、ゴムボートでの川上りの案内が目にはいる。

 打洛は中国領だが、ミャンマーとの国境はほんの数キロ先らしい。
川を上ったところにミャンマー人の部落があり、ゴムボートでそこまで川上りはどうかとい うのだ。
50元という料金に躊躇する。
ここまで来ることはもうないだろう。
高いと思うが、行くことにする。

 オレンジ色のライフベストが出てきた。
少し湿っぽいけれど、それをしっかりと身につける。
茶色に濁った水は相当な勢いである。
8人乗りと書かれたゴム ボートは、木製の船と違って何だか頼りない。
ゴムボートは空気入りだから、手をつくと表面がへこんでしまう。
舟底にはベニヤ板があるが、それだってゆらゆらとおぼつかないのだ。
しかし、乗った以上そんなことは言ってはいられない。
ボートに腰を下ろし、足を踏ん張る。

 ゴムボートにはリキシャの運転手も乗り込んできた。
ボートの運転手とは、知り合いらしい。
船外エンジンをスタートさせ、岸を離れる。
少し流されるが、す ぐに舳先をたてて上流に向かう。
茶色く濁った川底の見えない水は、水の下から渦がわき上がるように巻いて流れる。
深さが判らず、不気味でもある。

 15分くらい走っただろうか、ボートが右岸による。
ここで降りるらしい。
砂地には「中国−緬旬」と書かれた、横80センチ縦20センチくらいの板が杭に ぶつけてある。
他には何もないただの河原である。
ここが中国とミャンマーの国境だろう。
運転手たちは山のほうを指さして

「メンジュン」
と言った。
中国語でミャンマーの意味である。
ビルマがミャンマーになっても、ここでは緬旬のままらしい。
検問所も国境線など何もない、実にあっけない国境である。

 川岸から500メートルも離れているだろうか。
集落が見える。
運転手たちはそこへ向かって歩きだした。
2メートルほど高くなった土手にのぼり、集落へと 近づいていく。
あたりには山間特有の風景が広がり、高曇りの空の下にはシーンとした空気だけがながれる。
バスから降りてすでに何キロ離れただろうか。
この 集落まで車の通れる道はなく、歩いてこなければならない。
ここにいるのは僕たちだけである。

 集落へとはいると、年輩の女性が子供を抱いていた。
彼女はズボンではなく、ロンジーをはいている。
高さ1メートルくらいの祠があり、その前には賽銭箱がある。
ミャンマー特有のなかが見える賽銭箱である。
寸志を喜捨する。
焚き火のまわりには小さな椅子があり、若い男性がにこにこして座っている。

 10戸くらいだろうか、電気がきている様子はない。
集落のなかを歩く。
薄暗い室内。
風呂はもちろんトイレもない。
家の前では豚が寝そべっている。
男性が 竹を割って何かつくっている。
そのまわりでは4・5歳だろうか、子供たちが5・6人真っ黒になって遊びまわっている。

 ここでは24時間が自分のもの、せわしく追いかけてくる仕事はない。
家族は全員がいつも家のまわりにいる。
ほぼ完璧な前近代の生活である。
僕のようなもの好きを除けば、観光客もここまではめったに来ない。
ゆったりとしたのどかな景色がある。

 この集落には、おそらくミャンマー政府の統治は及んでいないと思う。
カレン解放軍の支配下にあるか、他の少数民族の集落だろう。
若い男性が、小銃をもち だしてくる。
銃床が凸凹に傷付いて、長く使われているらしい。
木製の銃床が黒光りしている。
弾倉をはずす。
実弾が装填されていた。
銃から実弾をぬいて、もたせてくれる。
油で拭いてあり、よく手入れされている。
10元で何発か撃たせてくれるというが、写真だけとって丁重にお断りする。

 お茶をもらって飲む。
30分位いただろうか。
ゴムボートへ戻る。
下りは早い。
出発地点に戻る。
リキシャの彼に別れを告げて、歩きだす。
帰り道は判っているので、気が楽である。
リキシャの彼がさかんに乗れと誘うが、歩くのを楽しむ。

 兵隊が訓練中らしく、上半身は白いシャツ姿で走ってくる。
カメラを向けたら、最後からきた上官らしき男性に叱られてしまった。
こんなにのどかな国境でも、国境地帯とは緊張しているものなのだろうか。

中国将棋に興じる人

 商店の人は暇そうだ。
歩道に椅子をだして座っている人が多い。
あちこちでカードや麻雀が開帳されている。
女性も真剣に興じている。
中国将棋に興じる人もいる。
麻雀は椅子にすわりテーブルのうえで遊ばれているが、将棋は地面の上に尻をつけて遊んでいる。

 将棋盤も地面の上に直接に置かれている。
都市から離れるに従って、盤上ゲームが地面近くで遊ばれる、という僕の仮説はここでもあたっている。
しかも、女 性は麻雀には熱中しても、将棋には興味を示さない。
女性の将棋プレイヤーはいない。
それはここでもあてはまる。

 街の中心には小さいながら市場もある。
リンゴを買おうとして、1元硬貨をだすが受け取ってくれない。
硬貨ではなく、紙幣が欲しいという。
都市部では1元硬貨は受け取ってくれるから、これは地方だけの現象だと思う。

 中国政府の統治力は、このあたりの辺境地まで完全に押さえている。
支配の徹底性を感じるが、硬貨の受け取り拒否は支配力が弱いことの表れだろうか。
市場 にいるのは必ずしも中国人ばかりではなく、ミャンマー人もいるのかもしれない。
政治的な絡みがあるのかもしれず、このあたりのことはよく判らない。

 バス発着所まで歩いて、景洪行きのバスにのる。
景洪に着いたのは8時近かった。
広告

次へ