団塊男、中国を歩く    雲南地方から広州へ  
2000.12.記
01.川崎から昆明へ 02.昆明の街にて 03.石林往復 04.大理:下関と古城
05.景洪へ飛ぶ 06.景洪からのバス旅行 07.昆明へ戻る 08.南寧から憑祥へ
09.欽州から広州行き 10.大都会の広州では 11.Kさんと広州 12.帰国すると


05.景洪へ飛ぶ

 7時起床。
ちょっとあわただしい。
しかし、風呂のお湯がでない。
昨日なおしたのに、また故障である。
飛行機の時間が迫っており、営繕の人を待ってはいられない。
朝のシャワーは省略することにする。

 飛行場への路線バスやリムジンバスもあるらしいが、急ぐのでタクシーを拾う。
飛行場と書いた紙を見せる。
メーター付きのタクシーだったが、交渉になっ た。
飛行場は遠いので40元だという。
ガイドブックには30〜50元のあいだ、とあるのでOKとする。

 飛行場はたしかに遠い。
昆明の飛行場は、街に近かった。
路線バスで5つ目の停留所が街の中心だったが、ここの飛行場は山の上にある。
舗装されてはいるが、あまり車の通らない道をタクシーはのぼっていく。

 飛行所に着いたら、40元のお金がない。
100元紙幣と38元5角しかないのだ。
100元でお釣りをもらおうかと思ったが、38元5角をわたすと運転手さんは笑顔でうなずいた。
なければ仕方ない、まけておくというところか。

 急いで駆けつけたのだが、飛行機は遅れていた。
景洪の天気が悪いので、出発をしばらく見あわせている、と中国語と英語でアナウンスがあった。
地方都市間 を結ぶ国内便にもかかわらず、英語のアナウンスがあるのは驚きである。
コーヒーでも飲んで待つことにする。
インスタントコーヒーだったが、しばらくぶりの コーヒーは美味しかった。

 この時間にこの飛行場から飛び立つのは、昆明行きと景洪行きだけらしい。
昆明行きは定刻に飛び立っていった。
もう空港にはあまり人がいない。
景洪へ行く人は少ないらしい。
国内便の場合、空港使用料が50元かかる。

 30分ほど遅れて、飛行機は飛び立った。
下を見ると山また山だが、揺れることもなく順調に景洪に向かう。
たちまち降下を始める。
下は雲海で地面は見えない。
ところどころに山が頭をだしている。
なんだか雲のすぐ下に地面があるような錯覚に陥る。

 雲に向かって突入する飛行機は、雲の下の地面に激突するのではないかと僕は落ち着かない。
雲の下にまだ空があるとは思えないのだ。
しかし、雲の下にも空はあり、飛行機は無事に景洪の飛行場に着陸した。

 景洪は、西双版納(シーサンパンナ)と呼ばれるタイ人自治州の首都で、北回帰線より南側にある。
ミャンマーやラオスとの国境に近く、熱帯雨林気候に属しているので、とても温かい。
大理は寒かったが、ここは上着がいらないくらいである。

 空港ビルも何となくタイ風の感じがする。
飛行場のまわりには何もない。
ただの野原である。
タクシーもほとんど停まっていない。
リムジンバスが市内の主なホテルまで送ってくれる。
途中でお客さんはどんどん降りていく。
僕はガイドブックから1番安い版納宝館を選んで運転手さんに見せると、黙ってうなずいて版納宝館まで運んでくれた。

 1番安いといっても、版納宝館は立派なホテルだった。
かつてはこの街1番の高級ホテルだったが、今では老朽化し、他の新しいホテルにナンバーワンの座を奪われた。
そんな感じのホテルで、中庭を中心にして広い敷地のあちらこちらに建物が散在している。

 1番安いのが80元である。
2階建ての建物で、10室くらいあるだろうか。
部屋を見せてもらうが、ちょっと陰気な感じがする。
若い白人のバックパッカーが、大きな荷物を背負って隣の部屋からでてきた。
男性が1名、女性が2名のグループである。
チェックアウトするらしい。
カナダ人だと言っていた。
若いとは いえ、白人たちの荷物の大きさにはいつも圧倒される。

 ミャンマーやラオスの国境へ行くつもりだから、景洪には2泊するつもりである。
180元の部屋を120元にするというので、40元ばかり余計に払うことにする。
ここでシャツや下着・靴下などを洗濯にだす。

 今後の作戦を立てる。
23日には昆明に戻らなければならない。
昆明へ戻るにはバスか飛行機である。
バスは28時間、飛行機は1時間。
28時間のバスは身体だけではなく、時間的にも辛い。
やっぱり飛行機にする。
22日の最終便で昆明に戻り、昆明泊としよう。
飛行機の切符を買いに、航空券総合売り場へ行く。
17時40分発の切符を入手。

 これからの予定は決まった。
さあ歩くのだ。
しかし、すでに3時近いので、きょうはそんなに遠くには行けない。

 橄欖霸(がらんば)景区は、景洪の南約40キロにあるタイ人の部落である。
ここではタイ式の生活が営まれており、寺院もタイ式のきらびやかなものらしい。
しかも、ハニ人も住んでおり、蝶々が飛び交ってのどかだというので、橄欖霸(がらんば)景区へ行くことにする。

 景洪の街はヤシの木などあって南国の気分である。
日射しも強く暑い。
日陰をつたわりながら、バスの発着所まで歩く。
途中、ミャンマー人商店街を歩く。
ヒスイや黒檀細工をあきなう彼等は、ロンジーをはいているのですぐ判る。
ロンジーはミャンマー人の服装である。

 バス発着所はすぐに発見でき、切符を買う。
バスはと見ると、発着所の前庭に停まっているワゴン車らしい。
普通車クラスのワゴンを、10人乗りくらいに改造したミニバスは、埃だらけでそうとうにくたびれている。
しかも乗客は僕だけ。
僕は車内に乗って待つが、いっこうに発車する気配がないのだ。

 若い夫婦が赤ちゃんを抱いて乗ってきた。
彼等は景洪へ買い出しに来たのだろうか、新品のバケツのなかに何やらたくさんのものがつまっている。
それに手提 げにも荷物がはっているし、一抱えもある大きな袋をもってきた。
中身はお米のようだ。農村の人でもお米を買うのかな。
ちょっとした疑問である。

 袋が重くてなかなかバスにのらない。
僕も手を貸して、やっとのことで引き上げる。
運転席の後ろに袋を寄せかける。
若い2人も椅子に座った。
それでも発車の様子はない。
どうやら満員になるまで発車しないのかもしれない。

 外の空気を吸いにバスから出て、階段に腰を下ろす。
ガイドブックを開く。
読もうとして眼鏡を捜すと、胸のポケットに入れていた眼鏡がない。
眼鏡がないと、字が読めない。
これから旅行を続けるのが大変だぞ。
一瞬、焦りが走る。

 胸ポケットについさっきまであったのを思い出し、米袋をもったときに下を向いたことに気がついた。
その時に落としたに違いない。
ドキドキしながら、バスの床を調べにはいる。
あった、やれやれである。
老眼鏡なんて、歳はとりたくないものである。

 停まっていたバスが走りだしたら、スリルがたっぷりと味わえた。
このボロ車で、次々と追い越すのである。
他の車の後ろに着くのは不名誉だとばかりに、追 い越しをかける。
景洪の近くは道幅も広かったが、たちまち山道になる。
くねくねと折れ曲がり、道幅は1.5レーンしかない。
しかもカーブではもっと狭く なっている。
それでもこの運転手は飛ばす。
そして、あたりかまわず追い抜きをかけるのだ。

 瀾滄でバスを降りる。
たちまち三輪タクシーがよってくる。
オートバイの後輪をとりはずして、4人の客を乗せるように改造している。
1元で橄欖霸(がらん ば)景区へ案内するという。
中年の女性が元気よく接近してくる。
パンフレットをもって熱心に説明しているが、彼女はそのうちの1ヶ所だけを1元で行くと いっているようだ。

 全部まわるといくらかと聞くと、30元だという。
それでは高いというと、20元になった。
それで連れていって貰う。
他の運転手が、20元か上手くやったなといって、彼女を冷やかしている。
相場よりかなり高いのだろう。

 橄欖霸(がらんば)景区の入り口では入場料を取られる。
三輪タクシーの運転手さんは、係りの人に6時までだと言われたのだろうか。
もう閉まる時間が迫っているらしい。
まずタイ人の家に行く。
ほら、客を連れてきたぞって感じで、クラクションを鳴らす。
女性が1人飛びだしてくる。
彼女が自分の家に僕を連れて いく。

 中国では珍しい高床式の家でお茶を飲むのだという。
おそらく幾ばくかのお金かが要求されるか、土産物を買うよう迫られるに違いない。
東南アジアの観光地 の常套パターンである。
僕はこの家にもお茶にも興味がなかったので、家に上がらなかった。
彼女はとても残念そうな顔だが、運転手の女性は気軽に次へと向 かっていく。

 今度は歩いて行くらしい。
彼女も三輪車を停めてきた。
タイ式の寺院をめぐり、お線香をあげる。
ここのお線香売場で、初めてスカートをはいた女性を見た。
30歳くらいだろうか。
いままで中国では、女性といえども例外なくズボンだった。
ぴたぴたのジーンズで、お尻の線を強調している若い女性もいたが、セク シーな彼女もスカートではなくズボンだった。

 共産中国では、服装も男女平等かと思っていたら、スカートの人もいるのだった。
厚いタイツをはいてはいるが、スカート姿の女性が実に新鮮に映る。
しか し、スカートをはいているからといって、彼女には色気といったものはまったくない。
普通のおねえさんだった。

 野外劇場にでた。
係りの人が、もう遅いので入場できないと言っている。
中から音楽が聞こえてくる。
残念と思っていると、気が変わったのか、中に入れてく れた。
広い客席には10人も客がいただろうか。
舞台では15人ほどの女性が、布をひらひらさせながら、中国風のラインダンスのようなものを優雅に踊ってい る。

 客席の近くにはプールがあり、3人の女性が裸で水に浸かっている。
女性たちが裸であることはわかるが、客席から水の中は見えない。
どうするのかと思って いると、彼女たちは音楽に合わせて水から上がり、頭に巻いた布をしずしずと下ろし始めた。
水から上がる早さと布の降りる早さが同じで、まったく肌を見せな い。
このあたりの人々は川で水浴びをするので、巻きスカートの処理が上手いは当然である。

橄欖霸(がらんば)景区の落日


 音楽が終わり近づいたことを知らせる。
舞台の上の女性たちが、一列に並んでお辞儀をした。
お終いである。
外へでると、ちょうど太陽が沈むところだった。
部落の屋根が、ギザギザの黒いシルエットになって見える。
その向こうに太陽が沈んでいく。
手前には池があり、その水面に落日が反射して、きらきらと光っている。
太陽はほんの数分で沈んでいった。(写真

 暗くなり始めた道を、三輪車は瀾滄へと戻る。
運転手さんは途中しきりと宿の紹介をしたがる。
とあるホテルの前に三輪タクシーを横付けにして、両手を頬にあてて眠るジェスチャーをする。
僕は首を横にふる。
景洪へ戻る僕には無用の心使いである。

 瀾滄は小さな街である。
中心には市場があったが、もう店じまいし始めている。
麻雀をやっている人がいる。
女性もパイを握る。
中国ではマージンが本当にさかんだ。
カードに興じている女性もいる。
若い女性にカメラを向けると、カードをほうりだして一斉にキャーッという黄色い声。
恥ずかしいのだろうか。
思春期の女性の恥じらいは、わが国でも同じである。

 道端に停まっている軽自動車が、景洪という看板を前面ガラスに張ってある。
景洪に行く乗合タクシーだ。
わが国の軽自動車は4人乗りだが、これがアジアで は6人乗りに改造してあることが多い。
軽自動車の箱バンがタクシーになったり、乗合バスになったりと、小さくて小回りがきくせいでか、どこでも大活躍して いる。

 箱バンでも運転手を除けば5人しか乗れないから、タクシーといったほうが良いのだろう。
けれど、走る道が決まっていて値段はバスと同じことが多い。
この軽自動車も来たときのバスと同じ料金だった。

 乗合タクシーとも路線バスとも判断しかねる乗り物は、おそらく白タクというべきだろう。
しかし、こうした乗り物がどこにもあり、庶民の足として各地を縦横に走っている。
白タクだからといって、地元の人は利用しないなんてことはない。
路線上ならどこでも乗れどこでも停まるので、みな気楽に乗って、がんがん走る。
バスと乗合タクシーを利用すれば、どこへでも行けるのだ。

船着場からの客をひろう

 瀾滄発景洪行きの軽自動車は、川向こうからの船着場にいって客を拾う。
他の客を待って満員になると、もの凄いスピードで走り始めた。
路線バスのようには停まらないから、たちまち景洪に着いた。

 8時近かったが夕食にでる。
ホテルで中華の美味いところを紹介してもらおうと、フロントに行く。
何を勘違いしたのか、西洋料理の店を紹介し始める。
中華料理の店だというと、それならこのホテルにもあるという。
ホテルのレストランは高いんじゃないかと頭をよぎる。
しばらく考えるが、恐る恐るその紹介に従う ことにする。

 薄暗い中庭を横切って、指し示された方向に歩いていくが、それらしき建物がない。
明かりが見える。
その建物から人がでてきた。
ここかなと半信半疑で入った建物は、巨大なレストランシアターだった。
いかにも古い。

 体育館くらいあるレストランには、入り口の近くに舞台がある。
そして、見渡す限り丸いテーブルがならんでいる。
しかもその1つ1つが大きいのだ。
いったい幾つあるのだろうか。
奥の方は電気が消えており、かすんでいる。
なんだか妙な場所に紛れ込んでしまったようだ。

 今出ていった人たちの食べたあとらしきテーブルには、お皿や箸、湯飲みなどが散乱し、宴のあとが見える。
しかし、他には誰もいない。
ここは確かにレストランであるが、夜の8時になっても誰も客がいない。

 キツネにつままれたような不思議な気分でいると、若い女性が近寄ってきた。
ピンクの中国服をきたウェイトレスである。
街中ならこんなレストランには絶対 に入らない。
いくらとられるか判らないし、だいたい客のいないレストランなんて変ではないか。
問題ありに決まっている。

 しばらく躊躇していると、他にも客が入ってきた。
そこで、泊まっているホテルを信じて、僕もテーブルにつくことにした。

 15人掛けくらいのテーブルに、僕はぽつねんと座る。
料理をたのみ、ビールを注文して、誰もいない舞台を見る。
やがて入り口のほうで人声がした。
20人くらいの団体さんが、にぎやかに到着した。

 やっとに活気がでたかなと思うが、なにせ体育館である。
舞台際のテーブルが3つ使われているだけで、後ろには広大な空間がひかえている。
レストランの空気が動くことはない。
普通ならしんみりしがちだと思うが、隣の中国人グループは明るく元気がいい。
出てきた料理は美味しかった。
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