雨はすでにあがっている。
お腹にも入ったし、気持ちよく歩き始める。
明日の夜行でカルカッタをたち、ブッタ・ガヤの最寄り駅であるガヤーに行く予定である。
汽車の切符を買いにいく。
すでに暑くなり始めた空を見ながら歩く。
初めてインドに来るときは、カルカッタ以外の都市から入れと言われる。
あまりの混沌、そして貧乏。
初めての外国人には、カルカッタはカルチャー・ショックが、大きい過ぎるのだそうである。
けれども、今日のカルカッタは静かである。
日曜のせいだろうか、などと考えながら、地図を頼りに歩く。
露店もないし、カルカッタに有名なタフな乞食もほとんどいない。
あまりの平穏さに拍子抜けがしてくる。
立派な地下鉄の出口に感動したり、壊れてみすぼらし いバスに驚いたりする。
アンバサダーに混じってスズキのアルトみたいな車が、元気に走り回っていることに感心しながら歩く。
向こうから来る人は、全員インド人である。
もちろん、まわりは皆インド人。
インドはアジアにあるとは判っていても、インド人はアジア人の顔をしていない。
彼等は彫りが深く、眼がくぼんで鼻が高い。
丸顔でぺっちゃんこな鼻、平面的な顔というアジア人顔からは、インド人はほど遠い。
顔の骨格は白人と同じだが、 色が黒いところはまるでアラブ人である。
インドはアジアではないと、独り言を言いながら、ただ歩く。
インド には緑の窓口などないから、列車の切符を売っている場所は限られる。
目指す建物はどこにあるのだろうか。
地図によればこの近くにあるはずなのだが、近所 のおじさんに聞いてみる。
向こうだと指さしてくれた。
あまりに自信のある返事だったので、これを信じて良いのか迷うが、それに従って進む。
幸いなことに目指す建物はあった。
1階は、インド人専用の窓口である。
長蛇の列。
外国人専用窓口は2階である。
階段を登ると、大きな南京鍵がかかっているように見えた。
日曜日で今日は休みかとぎくっとしたが、南京錠は扉にはかかっていなかった。
重い扉を開けると、その部屋は窓がなかった。
窓のない事務室!
部屋の中央に、長いカウンターがのびていた。
カウンターの向こうにはインド人の男が2人、 ゆったりと座ってコンピューターの画面に見入っている。
後ろから見るコンピューターのモニターは、どうしたらこれほど汚せるのかと言うほど、褐色の埃がこびりついている。
常に手が触れるところは、まったく埃がついていない。
それどころか、手の脂でだろうとおもうが、プラスティックが底光りしている。
それ以外の所は、埃が層になってコンピューターをおおっている。
日本で僕が使っている古いほうのコンピューターは、すでに10年以上の年代物だが、これに比べるとはるかに新品である。
インドの埃は窓のない室内にも、容赦なく進入してくるらしい。
ヒゲをたくわえたインド人は、哲学的な顔で偉そうに見える。
手前のカウンターから、客が立ち上がった。
話は済んだらしい。
カウンターの中の男は、チャイを 飲み始めた。
しかし、誰もその男の前には行かない。
不思議に思って僕がその男の前に行くと、自分はインド南部を担当しているので、おまえの切符は隣だという。
その男の前にも、同じコンピューターがある。
だから、それをたたけば判るだろうにと思うが、男は悠然とお茶を飲んでいる。
何のためのコンピューター導入だろうか。
相手はインド人である。
仕方なく、すごすごと椅子に戻る。
右手には長椅子があり、待っているらしい日本人が4人と、白人の女の子が1人で座っていた。
僕もその横の椅子に座る。
順番で呼ばれるのだが、日本人だと思っていた4人のうち、最初の男女は韓国人だった。
ハングルで書かれた「地球の歩き方」をもっている。
彼等は長々と切符の予約に時間をかけていた。
待つことに耐えられない僕は、いらいらし始め たが、どうにもならない。
やっと僕の番がまわってきた。
時刻表を見ながら話をする。
乗る列車も決まり、申込書に記入することになった。
僕はボールペンを取り出し、記入する。
その記入の仕方を見て、男が間違いをなおしてくれる。
そうして、二言三言やりとりするうちに、僕のボールペンはいつの間にか男の手に握られていた。
ハウラー駅11時発のガヤー行きの夜行を予約す る。
161ルピーという。
200ルピー出したら、1ルピーはないかという。
驚いたことにお釣りが無いという。
僕はあいにく1ルピーを持っていなかった。
並んでいる日本人に、1ルピー貸してくれと頼みにいったら、快く貸してくれた。
彼も同じ列車に乗るのだろうからその時に返すというと、1ルピーくらいいいですよと笑って、若者は鷹揚なところを見せた。
切符が手に入ったので、外に出てお茶にすることにした。
すでに日が高く、暑くなっていた。
建物の間にへばりつくようにテントがさしかけられ、その下には小さなテーブルが並んでいた。
そこに座る。
「チャイ」
と 言う。
お猪口のような素焼きのぐいのみに、キャラメル色の液体が運ばれてきた。
それをまるでお酒を飲むように口に運ぶ。
トルコのチャイも美味しいが、イン ドのチャイも美味しい。
これが1ルピーである。
もう一杯お代わりする。
10ルピー札を出して、お釣りをもらう。
ぼろぼろの1ルピー札が返ってくる。
それで もお札には違いない。
さっきの若者に1ルピー返すことを思い出し、切符売場に戻る。
若者はまだそこにおり、1ルピーの借金返済に苦笑いである。
1ルピーは3.5円なのだから、日本でなら返さなくても誰も文句は言わないだろう。
だから苦笑いなのである。
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