匠雅音のインド旅行記

インドの空気と団塊男    1997.12.記
01.はじめに 02.インド到着 03.カルカッタ市内へ 04.ホテル リットン
05.カルカッタ市内にて 06.インド第1食目 07.列車の切符を買う 08.床屋さんと夕立
09.シャワーをつかう 10.イギリスの支配 11.カーリーテンプル 12.路面電車
13.カルカッタ素描 14.ハウラー駅 15.ブッタガヤの入り口 16.お釈迦さんのブッタガヤ
17.おんぼろバスの旅 18.バナラスィーにて 19.ガンジスへ 20.アグラへの準備
21.タージマハール 22.アグラフォート 23.ピンクのジャイプルへ 24.パンク! オートリキシャ
25.エアコンバス 26.国際高級ホテル 27.デリー 28.さようなら

10.イギリスの支配
ゆったりしたインドのおじさん


 気持ちよい目覚めだった。
またシャワーを浴びて、外に出る。
今夜は宿に戻らないので、荷物はすべて背負って歩く。
小さな荷物だが、カメラが入っているので重い。
ゆったりしたおじさんはインドのどこにでもいる。

 ホテルの外で、昨日、切符売場で会った韓国人の2人組を見かける。
彼等は気づかない。
もう1人の韓国人女性と話をしている。
もう1人の女性は2人と別れ、 大きな荷物を背負って、1人で歩き始めた。
20歳前後の女性だが、単独行らしい。
最近は女性の単独旅行者をよく見かける。
世の中は急速に変わってきてい る。

 アジアでは、いままで日本以外の国の庶民が、海外旅行に出ることは出来なかった。
経済力が突出した日本の庶民だけが、海外旅行を楽しむことが出来た。
アジアのどこの国も、外貨の規制をしていたし、自国民が海外へ出ることを制限していた。

 最近は、日本以外のアジア諸国も経済力が上がり、普通の庶民が海外に遊びに出ることが出来るようになった。
70年代の日本人観光客と同じように、韓国や台湾の観光客が海外を歩き始めた。
それと同時に、アジア諸国の若者たちも、バックパックを背負っての貧乏旅行を始めた。
庶民の海外旅行は、その国の経済力の反映である。

 今日は地下鉄に乗って、街の南にあるカーリー寺に行く。
地下鉄の入り口は立派な門構えだが、地下通路は何となく薄汚れている。
日本の感覚で言えば、うす暗い。
階段を降りても、ほとんど人がいない。
地下道をくねくねと曲がって出札口へたどり着く。
鉄格子の入った窓口の前にたつ。
料金は2ルピー50パイサ。
運転間隔は15分に1本と言ったところだろうか。

 反対側の電車が来た。
乗客が電車から降り、線路のしたの地下道を渡って、こちらのホームへ来た。
男性はワイシャツにネクタイ、ズボンに靴をはいている。
女性はサリーの人もいるが、男女ともに街で見かける庶民とは明らかに違う。
清潔で西欧的な身なりである。
地下鉄で通勤する人たちは、インドの新しい中流階級なのだろう。

 インドは150年にわたってイギリスの植民地だった。
インド人とイギリス人の分割支配が徹底 していたがゆえに、インド人の中にインド的なものは残ることが出来た。
しかし独立した今、近代化はインド人を心の中から西洋化させている。
我が国が着物をやめたように、インドの人々も伝統衣装を脱ぎ捨て、ネクタイをしめたビジネスマンとなっていく。

 戦前の日本人男性たちが、外では洋服を着ても自宅では着物でくつろいだように、インド人も自宅にいるときは民族衣装を着ているかも知れない。
いまはそうだろう。
しか し、日本人は自宅でもすでに着物はきない。
インド人も同じ道を歩くだろう。
たちまち自宅をジーンズが占領する。
その日はそう遠くないと思う。

 近代化はインドをも放っておかず、ここでも土着的で伝統的な生活を破壊し始めている。
武力とキリスト教による暴力的な統治は、インド人の伝統まで支配することは出来なかった。
ハードな植民地化は、現地人の心の中まで操縦することは出来なかった。
あがらいがたい近代化はインド人をして、進んで西洋文明に身も心も売らせるのである。

 日本人が競って西洋文明を取り入れ、その過程で日本的なるものを捨ててきたように、インドも急速に西洋化している。
しかも自ら好んで…。
西洋文明の柔らかい世界植民地化が、ここでも進行中である。

 武力を背景とした植民地化は、すでに過去の遺物である。
過酷な植民地化は、現地の人たちに反発心を植え付け、独立の気概を養った。
しかし、頑迷な支配者で あっても、もはやあからさまな植民地化は肯定しない。
たとえ、独立運動を呼び起こさなかったとしても、強制的な植民地化がいかに統治の上で効率が悪いか、 白人たちは身をもって知った。
だから、植民地化を肯定するものは、もはや誰もいない。

 白人国家の内部においては、武力による支配は非効率的だと、とっくの昔に捨てられていた。
しかし有色人種に対しては、暴力的な統治を続けてきた。
それが、暴力による他民族支配の効率の悪さに、やっと気づき始めた。
国内国外と問わず、強制的な武力による支配は、きわめて能率が悪い。
白人たちは人道的な理由で、植民地化を放棄したわけではない。

 進んだ工業社会に、農耕を主な産業とする広大な植民地が支配されていた。
植民地は農耕社会だった。
農耕社会には農耕社会の生き方があった。
農耕社会では、自然の恵みに従い、自然が与えてくれる物の中で生活した。
農耕社会の庶民は、貧弱な衣類しか着ていなかったかも知れないが、自然に育てられた哲学をもっていた。

 長かった農耕社会を生きる智恵の探求、それが多くの宗教を生み、哲学者を育てた。
そこにはたとえ裸足でも、高邁な徳をもった人間がいた。
しかし、近代化=工業化の始まったインドでは、裸足の人格者はもはや生存できない。
土着の根を伐りながら急速に近代化するところでは、血肉化した徳が徳たり得ず、人格が寄って立つ基盤が崩壊する。
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