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ゆったりしたインドのおじさん |
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気持ちよい目覚めだった。
またシャワーを浴びて、外に出る。
今夜は宿に戻らないので、荷物はすべて背負って歩く。
小さな荷物だが、カメラが入っているので重い。
ゆったりしたおじさんはインドのどこにでもいる。
ホテルの外で、昨日、切符売場で会った韓国人の2人組を見かける。
彼等は気づかない。
もう1人の韓国人女性と話をしている。
もう1人の女性は2人と別れ、 大きな荷物を背負って、1人で歩き始めた。
20歳前後の女性だが、単独行らしい。
最近は女性の単独旅行者をよく見かける。
世の中は急速に変わってきてい る。
アジアでは、いままで日本以外の国の庶民が、海外旅行に出ることは出来なかった。
経済力が突出した日本の庶民だけが、海外旅行を楽しむことが出来た。
アジアのどこの国も、外貨の規制をしていたし、自国民が海外へ出ることを制限していた。
最近は、日本以外のアジア諸国も経済力が上がり、普通の庶民が海外に遊びに出ることが出来るようになった。
70年代の日本人観光客と同じように、韓国や台湾の観光客が海外を歩き始めた。
それと同時に、アジア諸国の若者たちも、バックパックを背負っての貧乏旅行を始めた。
庶民の海外旅行は、その国の経済力の反映である。
今日は地下鉄に乗って、街の南にあるカーリー寺に行く。
地下鉄の入り口は立派な門構えだが、地下通路は何となく薄汚れている。
日本の感覚で言えば、うす暗い。
階段を降りても、ほとんど人がいない。
地下道をくねくねと曲がって出札口へたどり着く。
鉄格子の入った窓口の前にたつ。
料金は2ルピー50パイサ。
運転間隔は15分に1本と言ったところだろうか。
反対側の電車が来た。
乗客が電車から降り、線路のしたの地下道を渡って、こちらのホームへ来た。
男性はワイシャツにネクタイ、ズボンに靴をはいている。
女性はサリーの人もいるが、男女ともに街で見かける庶民とは明らかに違う。
清潔で西欧的な身なりである。
地下鉄で通勤する人たちは、インドの新しい中流階級なのだろう。
インドは150年にわたってイギリスの植民地だった。
インド人とイギリス人の分割支配が徹底 していたがゆえに、インド人の中にインド的なものは残ることが出来た。
しかし独立した今、近代化はインド人を心の中から西洋化させている。
我が国が着物をやめたように、インドの人々も伝統衣装を脱ぎ捨て、ネクタイをしめたビジネスマンとなっていく。
戦前の日本人男性たちが、外では洋服を着ても自宅では着物でくつろいだように、インド人も自宅にいるときは民族衣装を着ているかも知れない。
いまはそうだろう。
しか し、日本人は自宅でもすでに着物はきない。
インド人も同じ道を歩くだろう。
たちまち自宅をジーンズが占領する。
その日はそう遠くないと思う。
近代化はインドをも放っておかず、ここでも土着的で伝統的な生活を破壊し始めている。
武力とキリスト教による暴力的な統治は、インド人の伝統まで支配することは出来なかった。
ハードな植民地化は、現地人の心の中まで操縦することは出来なかった。
あがらいがたい近代化はインド人をして、進んで西洋文明に身も心も売らせるのである。
日本人が競って西洋文明を取り入れ、その過程で日本的なるものを捨ててきたように、インドも急速に西洋化している。
しかも自ら好んで…。
西洋文明の柔らかい世界植民地化が、ここでも進行中である。
武力を背景とした植民地化は、すでに過去の遺物である。
過酷な植民地化は、現地の人たちに反発心を植え付け、独立の気概を養った。
しかし、頑迷な支配者で あっても、もはやあからさまな植民地化は肯定しない。
たとえ、独立運動を呼び起こさなかったとしても、強制的な植民地化がいかに統治の上で効率が悪いか、
白人たちは身をもって知った。
だから、植民地化を肯定するものは、もはや誰もいない。
白人国家の内部においては、武力による支配は非効率的だと、とっくの昔に捨てられていた。
しかし有色人種に対しては、暴力的な統治を続けてきた。
それが、暴力による他民族支配の効率の悪さに、やっと気づき始めた。
国内国外と問わず、強制的な武力による支配は、きわめて能率が悪い。
白人たちは人道的な理由で、植民地化を放棄したわけではない。
進んだ工業社会に、農耕を主な産業とする広大な植民地が支配されていた。
植民地は農耕社会だった。
農耕社会には農耕社会の生き方があった。
農耕社会では、自然の恵みに従い、自然が与えてくれる物の中で生活した。
農耕社会の庶民は、貧弱な衣類しか着ていなかったかも知れないが、自然に育てられた哲学をもっていた。
長かった農耕社会を生きる智恵の探求、それが多くの宗教を生み、哲学者を育てた。
そこにはたとえ裸足でも、高邁な徳をもった人間がいた。
しかし、近代化=工業化の始まったインドでは、裸足の人格者はもはや生存できない。
土着の根を伐りながら急速に近代化するところでは、血肉化した徳が徳たり得ず、人格が寄って立つ基盤が崩壊する。
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