匠雅音のインド旅行記

インドの空気と団塊男    1997.12.記
01.はじめに 02.インド到着 03.カルカッタ市内へ 04.ホテル リットン
05.カルカッタ市内にて 06.インド第1食目 07.列車の切符を買う 08.床屋さんと夕立
09.シャワーをつかう 10.イギリスの支配 11.カーリーテンプル 12.路面電車
13.カルカッタ素描 14.ハウラー駅 15.ブッタガヤの入り口 16.お釈迦さんのブッタガヤ
17.おんぼろバスの旅 18.バナラスィーにて 19.ガンジスへ 20.アグラへの準備
21.タージマハール 22.アグラフォート 23.ピンクのジャイプルへ 24.パンク! オートリキシャ
25.エアコンバス 26.国際高級ホテル 27.デリー 28.さようなら

28.さようなら
 このホテルは、350ルピーの朝食が料金に含まれている。
ヴァイキング形式で、各種果物のジュース、コーヒー、オムレツ、卵焼き、ソーセージ、各種のパン、果物が大きなテーブルに盛られ、自由にとれる。

 豪華なコンチネンタル ブレックファースト。
もちろん、常にボーイさんが手助けしてくれる。
カップにコーヒーがなくなれば、注ぎ足してくれるし、目があうだけで用事を聞きに来てくれる。
何不自由ない贅沢。

 350ルピーの朝食代は、いままで僕が街で食べてきた値段の15倍以上である。
このホテルの料金自体も、インドの庶民には天文学的な数字だろう。
全館に空調をかけ、インド的でない物を食べる。
その土地の風習を無視して、自然を離れることは、実にお金がかかることである。

 今日はタクシーのストライキも終わっていた。
ホテルの玄関の前からタクシーに乗る。
昨日のストライキの目的は、賃上げと待遇改善だと運転手は言う。
ニュー デリーの駅前で降ろしてもらう。
紛らわしいことに、ニューデリー駅はニューデリーにはない。
ニューデリー駅もオールドデリー駅も、オールドデリーにある。
たちまち客引きが寄ってくる。それを無視して歩き始める。

 ニューデリー駅前から、パハール・バンジ通りがまっすぐに延びている。
朝まだ早いせいか、店は完全に開いているわけではない。
ゴミとほこりが、通りをおおっている。
道ばたにしゃがんで用を足している男を見ても、もう何とも感じなくなった。

 パハーン・バンジを抜けて、小さな公園に出る。
そこでサイクルリキシャを拾って、オールドデリー駅まで頼む。
しかし、このサイクルリキシャはニューデリー 駅まで戻っただけだった。
オールドデリー駅へは行かないと言う。
デリーは大きな街で、サイクルリキシャによっては遠くまで行きたがらないようだ。
他のサイ クルリキシャを捜す。
オールドデリー駅まで30ルピーで交渉成立。

 デリーもカルカッタと同じように人が多い。
道路には、人、車、荷物を満載したトラックやリヤカー、サイクルリキシャと様々な物が動いている。
僕の乗ったサイクルリキシャは、その混雑を右に左に分けて走る。
道路の中央分離帯には、布を売っている人が列をつくっている。
あんなところで商売になるかと思うが、あれだけ人が並んでいるのは、やはり商売 になるのだろう。

 オールドデリー駅につく。
あたりを探検。
その時、トイレが必要な気配がしてきた。
とうとう 僕も下痢のようである。
僕の旅行は、地元の人と同じ生活を心がけている。
どこに行ってもそうしてきた。
宿にこそ泊まるが、地元の人たちと同じ物を食べ、同 じように水道の水を飲み、同じように歩く。
やはりインドでは、それは少し無茶だったかも知れない。
列車に乗るわけではないが、駅のトイレを使わせてもら う。

 ホームから待合室にはいると、右手にトイレはあった。
想像したほどは汚くはなかったが、コンクリートの床は水に濡れ、上から水滴が常に落ちていた。
水滴を右手で受けながら、腰をおろす。
さて問題は、用が済んでからである。

 水道の蛇口をひねって、手桶に水をくむ。
ところが意外に簡単だった。
下痢だったせいかも知れないが、それほどお尻を濡らさずに済んだのである。
僕もインドに馴れたらしい。
それでも、そのままズボンを上げる気にはならず、ティッシューで軽く水気をとる。

 用を済ませたあと、水でお尻を洗う人たちは、世界中にいる。
むしろ紙を使う人の方が少ないかも知れない。
最近日本でも、水でお尻を洗うようになったので、 水でお尻を洗うことが進んでいるように言われることがある。
けれども、現代日本の最新型便器のように、水だけでことが済むなら良い。

 インド人のように、空き缶一杯程度の水でお尻の始末をし、そのあとに残った水で汚物に触れた左手を洗う。
それでだけでは、決して清潔にはならない。
慣れれば水で洗っただけで、便は落ちるかも知れない。
しかし、この程度の水洗いでは、左手に付いた細菌や寄生虫は落ちるはずがない。
それが他について、また人の口に入ることは十分に考えられる。

 習慣の問題としてではなく、手でお尻の始末をすることは、衛生の問題として改善すべきだろう。
用便後のインド的な処理を、一部のインド通たちは称賛するが、これは決して肯定すべきことではない。

 農耕社会ではどこでも、排便から再び細菌や寄生虫が、人の口に入る循環が断ち切れない。
習慣が支配する農耕社会では、細菌や寄生虫の回路が科学的に探求されない。
工業社会からは想像もつかない迷信がまかり通っている。
少し昔のことを考えて見れば、日本も同じだった。

 戦前には多くの日本人が、お腹に寄生虫をもっており、日本人の健康状態は現在とはまったく異なっていた。
実現された工業社会の基準を当たり前のものとし、農耕社会の生活の一部を讃美する姿勢は、子供の戯言としか思えない。

 西洋近代が行き詰まったたと言われる現代日本では、日本的なるものや農耕社会の見直しが言われる。
しかし、古い時代を讃美する人は、不衛生で因習に満ちた農耕社会に、庶民として生活する姿を想像したことがあるのだろうか。
古き良き社会より差別の少ない工業社会が、どんなに非人間的であろうと、農耕社会より はるかに優しい。
時代が下るに従って、人間的であることは間違いない。

 自然の支配する農耕社会から、人為的 な工業社会への変化の流れを肯定した上に、すべての議論を始めるべきである。
平均寿命が短く、女性の地位が低い途上国を歩くたびに、いつもそう思う。
しか しそうは言っても、すべてのインド人が用便後に紙を使い始めたら、その膨大な消費量によって、環境破壊は一層激しくなるか。むー…。

 また街に出て、あてどもなく歩き始める。
どのくらい歩いただろうか、デリーは歩くには広すぎる。
かなり歩いたつもりでも、地図の上では、ほんの少し移動しただけである。
帰りの飛行機の時間が気になる。
暑くなってきたので、オートリキシャをひろってホテルに戻る。

 インド門を見たり、風をあびて快調に走ってきたが、オートリキシャはホテルの門の中には入れない。
門の外で降ろされ、歩いて坂道を登る。
ホテルの駐車場には、インドで初めて見るSクラスのメルセデス・ベンツが停まっていた。

 空港へ行くにはまだ時間があるので、チェックアウトを延長してプールに行く。
白いバスローブのままでエレベーターに乗ると、プールに行くのかと、白人客からうらやましそうに聞かれる。
彼等は仕事でインドにきているのだろう。

 アスレッチク ジムの受付では、すでに僕の名前を覚えている。
昨日チップを渡さなかったせいでか、昨日ほどのサーヴィスではない。
プールには誰も現金をもってこない。
それとも2度目だから、判っていると見ているのか。
彼等は、昨日と同じように笑顔で応対している。

 誰も泳いでいなかったが、プールサイドには3人の先客がいた。
水から上がると、本をもって横になる。
今日も暑い、雲が流れていく。
僕のインド旅行も終わり。 

 ホテルの玄関に出る。
インドのタクシー・アンバサダーで空港に向かう。
タクシーにはメーターがあるが、料金改訂にメーター調整が追いつかない。
そのため、 表示された料金の1.7倍を支払うことで、現状にあわせている。
ホテルから空港までは、250ルピーと決まっているらしく、ホテルのドアマンから金額を教えられた。
しかしこれも、外国人向けの高級ホテル価格であろう。

 空港に近づき、国際線出発の階へと、僕の乗ったアンバサダーは螺旋状のスロープを登っていく。
道路が円を描いて空港玄関に到着する直前、下に見える広大な土地の上には、大量生産された同じ形のア ンバサダーが無数に、しかも整然と停まっていた。
インドは今必死で、工業社会の空気を作り出そうとしている。
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