1時間ほどでブッタ・ガヤにつくと、オートリキシャの彼は、ここでは日本語を 話してはいけない。
韓国人だと言えと言う。
日本語をしゃべる強引な押し売りがいるらしい。
少し緊張する。
オートリキシャの運転手は、入り口で待ってくれ る。
僕だけブッタ・ガヤの中心マハーポーティ寺院に入る。
カメラの持ち込み料をとられ、靴を脱がされる。足の裏の水膨れが痛い。
インドはすでに仏教国ではない。
そのために、ほとんどのインド人は、ブッタ・ガヤには興味を示さない。
参拝に来るのはスリランカ人、それにチベット人が多いそうで、修行中のお坊さんもチベット人だった。
チベット人は日本人とそっくりである。
そこで修行中のお坊さんも、「鈴木です」と名乗れば、僕は彼を日本人と信じただろう。
顔かたち、体つき、身のこなし、我々はまったく良く似ている。
境内の中央にある仏塔に は、改修中のため足場が組んであった。
飼われたインコしか知らない僕は、野生のインコが飛び交っていたのに驚く。
木陰で法話をきいている人や、スリランカ からの参拝客を見ながら、正方形の境内を一回りする。
きれいに手入れをされた境内は、たかだか40メートル四方くらいである。
人間だったお釈迦さんが歩き、瞑想にふけった場所として、その狭い面積に納得した。
仏塔や菩提樹がある地面が、まわりより低いのは不思議。
まだ陽が高くなっていないせいでか、ブッタ・ガヤの空気はすがすがしかった。
僕は宗教にはまったく興味がないのだが、そこで祈る人にはすこぶる興味がある。
一心に祈っている人たちは、何を考えているのかと想像すると、近づいて聞いてみたくなる。
お釈迦さんが悟りを開いた菩提樹に、額をつけて祈るチベット人のおばさんは、何を祈っているのだろうか。
人は仏に何を託すのだろう。
無宗教の僕が、信仰の聖地を踏み歩いて許されるのだろうか。
判らない。
しばらくそこに座っていた。
境内から出ると、白いインドの民族衣装を着た男が近づいてきた。
美しい日本語で彼の店に誘うのだが、 彼の言葉には抵抗しがたい宗教的な雰囲気がある。
これが忠告の男かと思うが、僕に宗教は無縁である。
丁重にお引き取り願う。
帰り道、オートリキシャの運転手さんは、近所のセーナー村に行こうと薦める。
時間はいくらでもあるから、即決である。
ガイドブックによれば、修行が明けたお釈迦さんが、お粥を食べた村だそうである。
すでに陽は高く、今日も暑い。
オートリキシャで村までいける、と思ったのが甘かった。
川の手前で降りて、橋を歩くのである。
日本からの援助で出来たその橋は、完成しているのに、バリ ケードがあって車は通れない。
仕方なしに橋を歩いて渡る。
どこからともなく子供たちが集まってくる。
一緒に橋を渡る。
どこの国でも、子供たちは見知らぬ外国人に、とても興味がある。
外国人の仕草、持ち物、言葉、何でも笑いの種である。
すれ違う人と、目で挨拶する。笑顔がかえってくる。
子供だけではなく、大人が合流してきた。
運転手の知り合いらしい。
イスラムだという。
すかさず結婚しているかどうか尋ねる。
24才で結婚しているという。
奥さんは何人いるか尋ねる。
1人だとの返事。
なぜ1人なのか、僕は不思議だと尋ねる。
もっと奥さんを貰うつもりはないかと尋ねる。
力がないから、1人だけ という返事。
なぜと重ねて尋ねると、黙って下を向いてしまった。
1人しか奥さんがもらえないことは、 小さな男らしい。
ビッグマンがどう意味なのか判らなかったが、さかんにビッグマンになると、うつむいて繰り返していた。
イスラムの彼は、カタコトの日本語が判る。
「見るだけ」
と言う。
彼は土産物屋の経営者だったのである。
靴をはいている。
時計もしている。
彼は裕福なのである。
買い物に来たのではないから、僕は店には興味がないという。
「見るだけ」
と繰り返す。
「見ない」
「どうして」
「見ても買わないから」
「見るだけ」
「見ない」
「数珠は軽い。良いお土産だよ」
「数珠は家にたくさんある」
「ブッタ・ガヤの数珠はありがたいよ」
「友達に貰ったよ」
「友達がブッタ・ガヤに来たのか」
「そう」
「友達にやれば喜ぶよ」
「僕はブッダを信じてないから。でも聞くけど、イスラムがなぜ数珠を売るの」
「…」
しばらくの沈黙がある。
僕が口を開く。
「あなたはお金持ちだね。僕の靴より良いよ」
「そんなことはないね」
と言っているが、着ている物は、汗まみれの僕より彼のほうが遥かに清潔だった。
「見るだけ」
「見ないよ」
「見るだけ」
「見ないよ」
と言った会話を繰り替えしながら、オートリキシャまで戻ってきた。
土産物屋に行かなかったので、 リベートが入らなくて残念と思いきや、運転手さんは片言の英語で
「彼等はカネカネカネで、好きじゃない」
と言う。
「おいおい、あんたが連れてきたんだろう」
と思いながら、相づちを打つ。僕はなんていい加減だろう。
そのあとで運転手さんは、イスラムの大きな屋敷に連れていってくれた。
中庭のあるたいそう立派な屋敷だった。
中にはいると、案内の人がでてきて、屋敷の隅 々まで見せてくれた。
屋敷の隅にある美味しい水も飲んだ。
当然のこととして、最後にバクシーシ、お心付けが要求された。
ところがその時、僕は小さな札を切 らしていた。
すると驚いたことに、運転手さんが10ルピーを立て替えてくれたのだった。
帰路に向かったオー トリキシャは、ガソリンが無くなったという。
近くのガソリンスタンドに向かった。
オートリキシャは、2サイクルエンジンだから、オイルとの混合である。
小さなお猪口にオイルを入れ、そのあとでガソリンを3リットル入れる。
その請求書が僕に差し出されたが、75ルピー。
1リットル25ルピーである。
インドではガソリンは高いと知った。
ガヤー駅まで送ってもらって、100ルピーを払って、笑顔で別れる。
100プラス75マイナス10で、結局165ルピーだったのである。
切符を買いにガヤー駅へ行く。
出札口は午前11時から12時までと、午後5時から7時まで、3 時間しか開いてないと判る。
夕方になってしまったら、今夜の夜行の切符を手に入れるのは無理だろう。
食事をしながら、今後の作戦をたてる。
予定外だが、こ こで1泊することにした。
宿を決めてから、夕方になって駅へ行く。
長い列ができており、最後尾につく。
割り 込む奴を排除して、やっと窓口にたどり着く。
それでも両側から次々に手がのびる。
肩でそれを排除する。
ところが何と、列車は満席だという返事。
明後日まで 次の列車はない。
どうしよう。
そう思って考えていると、たちまち列から追い出された。
隣の窓口に聞いても、 返事はなし。
その窓口で一番高いクラス、エヤコン付きの1等寝台と言ってみる。
すると、空きがあるという。
ガヤーからバラナスィーまでは3時間くらいだ が、500ルピーだという。
しかもこの列車は、バナラスィーまではいかない。
その手前ムガル・サライ駅でわかれてしまう。
仕方ない、あとはバスで行こう。
列車内で扇風機にあたったまま寝たせいか、体がだるい。
宿に戻って、寝ることにする。
部屋ではヤモリが壁に這いつくばっていた。
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