ニューデリーの多くの高級ホテルの例にもれず、オベロ イも郊外にある。
デリーの街中へ歩いて行くには、遠すぎる。
ところが、今日はタクシーの運転手がストライキである。
足がない。
しかも、東南アジアの高級ホテルと同様、サイクルリキシャやオートリキシャは、ホテルに乗り入れ禁止である。
コンセルジュが、ホテルのヴァンを300ルピーで使わないかという。
やってきたのはスズキの箱形の軽自動車だった。
後ろのシートを、対面式に改造した軽自動車は、ひときわ軽快に走った。
オールドデリー市内に入る。
ムガール帝国の宮殿ラール・キラーに行く。
ラール・キラーの前には、ツケヒゲ売り、アイスクリーム売りなど、物売りが歩きまわ り、観光地らしき気分が漂っている。
入場シール売りの女が近づいてくる。
入場券売場がすぐ近くにあるのに、だまされる人がいるのだろうか。
入場券を買っ て、歩き始める。
最初の門を入ると、中にはまた門がある。
中の門は複雑に装飾が施されている。
中の門は美し くはあるが、防御性に乏しいらしく、門としては欠陥品である。
そのため、その前に新たにもう1つ門を造られたのだそうで、現在のように2つの門が連続することになったとか。
左右には小さな土産物屋が、ぎっしりと詰め合っている。
たくさんの人だかり。
間口は狭いが、中に入ると意外に奥は深い。
2つの門を抜け、サッカー場が入ってしまいそうな広い中庭に出ると、中央に高い建物がある。
高い建物には登ってみたい僕は、インド人と一緒になって登る。
中は歴史博物館になって、武器がたくさん展示されている。
インド人にとっては、なじみの歴史だろうが、僕にはあまり関心の湧かないものばかりである。
デ リーに来ると、誰でもここラール・キラーには来るらしく、外国人の姿も見える。
次にイスラムのお寺・ジャ マー・マスジットに行く。
車で走るから、どんなに暑くても体は楽だが、街の空気に触れる距離が遠い。
モスクのまわりは、1坪ほどの露店がひしめき、お祭りのよう。
鳩がたくさんいる。
ジャマー・マスジットは時間制で、イスラム教徒以外の立ち入り禁止。
中へ入れなかった。
1坪の露店は、地面のうえに店開きしているのではない。
腰のあたりまで床を上げた高床式である。
それが、すべて木工や金工の道具と部品をあつかう金物屋である。
あたかも秋葉原電気街が、金物屋に変身したような感じである。
金槌、ペンチ、スパナ、ジャッキ、万力などなど、同じような店が延々と続く。
その露店 には、1軒1軒に哲学的な顔をした店員が、必ず立て膝で座っている。
雨期が明けたせいか、デリーでは埃が粘っこくないように見える。
建物の壁、窓、車、サイクルリキシャ、すべてのものに埃が張り付いていることは、デリーでも変わらない。
この露店も、もちろん埃まみれである。
しかしインドの埃は、はたいても舞い上がらないし、取れることもない。
すでに物の表面に染み込んでしまっている。
こすっても取れない。
だから本当のところ、それは埃ではないのだが、目に入る物すべてが、土色のフィルターがかかったように見える。
そのため新品も、ただちに中古に見える。
これはインドにいるあいだ、とうとう解けない疑問だった。
羊の骨付き肉の煮込みで食事。
2センチはあろうかという、ひときわ長いお米がお皿に山盛りになってくる。
煮込みは、ブラウンソース風の色だったので、カレーとは違う味を期待したが、やっぱりカレー味。
金属のコップで水を飲みながら食べる。
もう生水も気にならない。
カレーの量にたいして、ご飯が異常に多い。
大量に米を食べる、白米大食。
戦前までは日本もそうだった。
我が国では食生活の改善が叫ばれて、いまでは米の消費量が低下した。
しかし、近代化が庶民層まで普及していないインドでは、ほんの少しのおかずに大量の米を食べる。
女性も大量にお米を食べる。
それはそれは見事である。
とうとう僕はご飯を食べきれなかった。
車を待たせているので、貧乏性の僕はなんだか落ち着かない。
インドには、時間はたくさんあると判っていても、運転手を待たせながら自分が観光することには、どこか心の痛みがある。
車へ帰る途中で、落花生を食べているおじさんと目があった。
すると、おじさんは僕に幾粒か差し出した。
食べろということだろう。
ありがたく頂戴する。
それを食べながら歩く。
カラはそのまま下へは公衆道徳違反。
田舎では許されても、都会でこれをやると、街が汚れるばかりである。
都会は自然が掃除してはくれな い。
が、インド人を見習ってしまった。
味は日本の落花生とほとんど変わらない。
なかの実がやや小さい。
ホテルに戻って、エレベーターに乗る。
6階について、エレベーターから降りたとたん、
「グッド アフターヌーン ミスター ○○○」
6階の従業員は、すでに僕の名前を記憶していた。
ルームサーヴィスを頼もうと、電話をとる。
「グッド アフターヌーン ミスター ○○○」
と言う声が返ってきた。
これがインドの高級ホテルが考えるサーヴィスなのだろうか。
ホテルとは、平等な匿名性が売り物のはずである。
もちろん常連の客の名前は、自然と覚えてしまうだろうが、それを口にしないルールが近代のホテルではないか。
個人名で呼ばれることになれていない僕は戸惑った。
ふんだんに人手をかけ、痒いところに手が届くようなサービスを提供する高級ホテルでも、建物の工作精度となると低いといわざるを得ない。
外壁が微かに波 打っていたり、タイルが貼られた面の平滑さが悪かったり、建具の開閉が渋かったり、カーペットの張りが甘かったりといった繊細な部分の不都合は、
我が国で なら竣工検査を通らないだろう。
最もお金をかけたはずの高級ホテルでの不都合は、その国のすべての象徴なのである。
他の部分たとえば軍隊だけが、それとはまったく違った高度な基準をもっているということはあり得ない。
建築に限らず、総合的な施工技術が要求される工業製品は、その国の全体的な工業力が現れる。
物を完成させ、事を維持する感性は、どんな領域にあっても共通である。
民間領域では無力だが、軍事的な面だけが、突出して優れていることはない。
民生品の施工技術が甘いところでは、軍需製品も同様で、インドや中国それに北朝鮮のミサイルは、実戦で使えるか疑問である。
モスクワの空港の椅子が壊れたり、トイレが壊れたりといった、故障が放置され寂れ果てた風景から、ソビエトの崩壊は予測できた。
建物の壁面の平滑さが甘いことを許す体質は、国民共通の体質的なものである。
そうした甘い感性は、どんな分野でも見られるはずで、しかもその感性が、無意識のうちに国民的に肯定され、共有されているはずである。
高度な工業製品を生産するためには、ミクロン単位の精度が要求される。
それに従事する人間の神経 が、その精度に対応していないと、製品は完成しない。
大雑把な人間は大まかな物をつくり、繊細な人間は細かい物をつくるように、体質の使い分けは出来ない。
意識された感覚の変更はたやすい。
無意識の感性の変革を要求されるから、国や大きな組織の変革は時間がかかり、大きな困難をともなうのである。
工業化とは、国民すべてが工業製作に従事出来る次元の感性を持つことである。
一部のエリートだけが、先進国と同じことができても、その国の国力は農業社会の次元に留まっている。
途上国においても上流階級では、女性の社会進出は日本以上である。
しかし、それはその国全体の話ではない。
同じように、路上に唾を はく感性が通用する限り、工業化した社会にはならない。
なぜなら、唾をはく感性は、精密な工業製品をつくるには合わないのである。
工業社会とは、物をすべて平均化し、同じ物はすべて等質に見る社会である。
部品の中に欠陥があってはならないし、突出した性能も要求していない。
工場から 生まれた同じカローラは、優れていることも劣っていることもあってはならず、すべてが同じ性能であることが要求される。
平均化・等質化が、工業社会を支配 している。
それをつくる人間をも、必然的にすべて等質なものと見なす。
農耕社会の気まぐれな自然から離れ、 等質な社会になってこそ、工業社会が実現できるのである。
それゆえ工業社会には、人間が質的に違うという身分制は、あってはならないものである。
強固な身 分制が、どれだけ工業社会の妨げになっているか想像もできない。
インドが先進国の仲間入りするのには、まだまだ時間がかかりそうである。
ビールを飲んで、眠りに落ちる。
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