翌日はホテルで朝食。
何か頼むと、
「イエス、サー」「ノー、サー」
と言う返事。
ここで使われる「イエス サー」は、平らなイントネーションではなく、語尾が下がる。
「かしこまりました、旦那様」という響きを込めている。
人間の本質的な上下関係の違いを表している「○○サー」である。
アメリカの軍隊などで聞く、職制に対して使われる記号としての「イエス サー」ではない。
人間的な上下の質に対してのへりくだりが、サー付きの対応なのである。
僕より年のいったボーイさんから、サー付きで対応されると、なんだか居心地が悪い。
ホテルの人に、ニューデリーへのバスの切符を頼む。
15時発だと、ニューデリー到着が夜になってしまうが、エヤコン・バスは1日に1本しかない。
すでに普通のバスには乗ったので、エヤコン・バスに乗ってみたかった。
250ルピーも払って、エヤコン・バスを予約する。
しかもホテルの手数料を100ルピーもと られた。
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ピンクシティの交差点 |
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バスの発車時間まで、100ルピーでオートリキシャを借りきって、市内見物をする。
ジャイプルは旧市街全体が、赤茶っぽい建物で出来ており、ピンクシティとも呼ばれている。
まず、市内の中心地へ。
3階建ての屋上に登ると、ロータリー式の交差点を行き交 うサイクルリキシャやオートリキシャが良く見える。
ここでは外国人のみ、2ルピーとられる。
近くに見える山の頂のガラタにある、俗にモンキー・テンプルと呼ばれるお寺にいく。
参道の下でオートリキシャを降り、暑いなか山道を登る。
猿がたくさんいる。
その餌を売っているのは、どこでも同じである。
道は山の中腹を、ジグザグに登っていく。
石畳の道だが、ここもフンだらけ。
途中の峠には、修行僧が住んでおり、大音声の業中だった。
頂上の小さな寺院は、 靴を脱いで入る。
家族が生活しているらしく、女の人が2人昼寝をしていた。
ゆったりと昼寝をしているのが、とてもインド的で良い。
街の見晴らしが素晴らし い。
オートリキシャのおじさんが、工場へ連れていくという。
買い物をさせたいらしい。
工場ではなく、ジャイガールへ連れて行ってくれと交渉する。
ジャイガールは遠いから、オートリキシャではいけないと言う。
それでも行けと言うと、200ルピー追加という。
それを100ルピーに値切って交渉がまとまり、ジャイガールへ向かう。
街道から別れ、細い山道へはいる。
くねくねとUターンの多い山腹を登るが、オートリキシャはローに落としてあえぐ。
途中で、エンジンを休めるために休憩。
イスラムが支配していた時代、ジャイガールはジャイプルを統治していたスルタンが、夏のあいだ使った別荘で、ジャイプルの街が一望に見渡せる。
建物の間取りは、中庭を持った長方形をしており、スルタンの部屋の正面には正婦人の部屋がある。
両側には、同じ形をした部屋が、4つ並んでいる。
そこには、それぞれ女性が住んでいたという。
つまりスルタンは、ここに9人の奥さんを持っていたらしい。
頼んだわけではないのに、立派な紳士が説明してく れる。
案の定最後になって、バクシーシと言う。
10ルピー出したら不足顔、もう10ルピー出せという。
それを無視して、男から離れる。
オートリキシャの運転手と、ジャイガールにあるレストランでお茶にする。
珍しくビールがある。
ロイヤル・ピジョンという軽いビールを注文する。
僕の隣に妙な女性たちが、座っているのに気がついた。
サリーを着ており、ちょっと見には女性である。
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裕福そうなヒジュラ |
しかし、どうも体が大きく、女性にしてはごつい。
ウォークマンをした女性は、コードが太ったあごに食い込んでいる。
痩せた人は、背が高くばかに骨っぽい。
色の黒い人は、体ががっちりしている。
彼女たちはヒジュラだった。
ヒジュラは男性器を切り取って、女装している人たちである。
神事に仕えた半陰陽の人間が起源で、彼等の集団が歌舞音曲を、特権的におこなってきたという。
それが今では第三の性と名乗って集団をつくり、特殊な生活をしているらしい。
性にまつわる集団であるため、インド人はヒジュラについて話たがらない。
オートリキシャの運転手は、僕がヒジュラについて質問しても、クールな顔をしていた。
僕は興味津々だが、ことがことだけに質問に戸惑う。
写真を撮らせて貰うだけ。
彼女たちを近くで見ると、たくましい筋肉、ごつい骨格、いかにも男性である。
いくらか胸はでているが、決して女性的な体型ではない。
4人のヒジュラたちは、裕福そうだった。
着ているものも高価そうだったし、ウォークマンをして、1人はカメラも持っていた。
最近は、男性器を切りとらずに、女装だけするヒジュラがいると言うから、ひょっとすると彼女たちはそうかも知れない。
あまりにも男性的な体である。
しか し、男性器を切りとったかとは、聞くわけにはいかない。
貧しい人が多いインドで、正業を持たないだろう彼等が、なぜ裕福なのか。
疑問はそのままになった。
ジャイガールからの帰り、オートリキシャがパンクした。
そのうえガス欠になった。
パンクは仕方ないとしても、プロの運転手がガス欠とは。
しかもスペアタイヤを積んでない。
驚いていても仕方ない。
降りて押す。
下りで良かった。
それほど力を入れなくても、オートリキシャは自然に走る。
暑い陽のしたで、オートリキシャを押す。
考えてもいなかったことである。
街の入り口にたどり着いたが、運転手はタイヤをはずすと空のペットボトルをもって、市バスに乗っていってしまった。
しかも僕から100ルピー前払いさせて。
10分で戻るから、待っているようにと言っていたが、イン ドの10分はあてにならない。
バスの時間があるから、独力で帰ることにする。
近くにオートリキシャやタクシーはない。
市バスに乗って、町中まで行く。
市バスは頻繁に走っており、すぐに乗れた。
ほっとして、料金はと聞くと、10ルピーだという。
地下鉄だって2 ルピー50パイサである。
そんなに高いはずはないと思いながら、10ルピーを出してしまった。
気がつくとまわりの乗客も、おかしいという顔をしている。
しかし、10ルピーを受け取った車掌は、何食わぬ顔で向こうへ行ってしまった。
料金はおそらく1ルピーだろう。
腹がたった。
判っていながら、みすみすカモられた自分が、とても腹立たしかった。
10ルピーが惜しかったわけではない。
疲れて注意力が散漫になり、相手の言うことをそのまま信じてしまった。
相手の言うことを鵜呑みにするのは、外国旅行で最もまずいことなのだ。
そうした姿勢は、必ず大事故につながる。
外国では誰も助けてくれない。
常に自分の基準を持ち、それを現地の基準とすりあわせ、自分で判断しなくてはならない。
自分の決断の結果は、自分で責任をとる。
自分の利益になるように、誰でも行動している。
完全な善人がいないように、完全な悪人もいない。
それが判っていれば、状況に流されることなく、判断を自覚的にすることが大切なのである。
言われるままに10ルピー払ってしまった僕は、明らかに状況に流されていた。
街の中に入ってきて、バスが停まったので降りる。
不愉快な場所にいたくなかった。
オートリキシャを拾って、ホテルまで戻る。
ホテルに預けた荷物をとって、 バス停に向かおうとすると、さっきのオートリキシャの運転手が、こちらにやってきた。
彼はにやっと笑って、手を出した。
僕は仕方なく100ルピー出し、バ ス停に向かった。
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