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ガヤー駅の物売り |
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ブッタガヤ近郊 |
ガヤーには、定刻六時に到着。
陸橋を越えて駅前にでる。
たちまち客引きが寄ってくる。
次の街バラナスィーへの切符を買いたかったが、出札口が開いてない。
戻ってから切符を買うことにし、ブッタ・ガヤに行くことにする。
オートリキシャの運転手と往復100ルピーで交渉成立。
まだ目覚めてない駅前の街を通り抜け、オートリキシャはブッタ・ガヤへ向かう。
ここは小さな街で、牛もゆったりと歩いている。
オートリキシャは狭い道を巧みに動き、牛や人をかわしながら、やっと郊外にでる。
緑の田園が拡がり、田植えが済んだばかりの田圃は実に美しい。
カルカッタやガヤーの街の汚さと比べると、本当に目を洗われる思いがする。
流れる空気も、清潔な感じがする。
昔ながらのインドの生活は、田舎にあるのだろう。
そう思えば、道路に物を捨てることだって、道ばたにタンをはくことだって、道ばたで大小をすることだって、自然の中ではまったく当たり前のことだった。
人間の排泄物に限らず、生活から排泄される物はすべて自然が飲み込み、無害にしてくれた。
だから人間は自然のことなど、何も心配する必要はなかった。
自然と戯れ、自然にすがり、自然の恵みの中で、人間は安心して生活できた。
自然の摂理に逆らいさえしなければ、人間も自然の一部として、平穏な生活が営めたのである。
人間が都市で生活をするようになって、自然は人間を助けなくなった。
それは当然である。
都市とは人間が自然から離れ、自然と関係なく造った人工の空間である。
だから、そこには自然の定めとは反対の秩序が生まれざるをえなかった。
人間が自分たちから好んで自然を 離れたがゆえに、人間が自分たちで生活の場を管理しなければならなくなった。
最初は都市の管理に失敗し、ど この都市でも環境が悪化した。
近代化の初期には、環境の悪化はロンドンでもパリでも東京でも、否応なくすべてが経験させられた。
その克服には100年以上かかった。
インドでは、国民レベルではいまだ近代化に踏み出していない。
都市環境が悪化したままであるのは仕方ない。
都市では公衆道徳とやらを、うるさく言われるようになった。
公衆道徳を守らないと、都市生活が出来ない。
田舎には田舎の道徳があったが、それは都市生活者のそれとは異なっているのだ。
田舎の自然にあふれた生活を忘れて、都市生活が主流になりつつある。
多くの人が都会に来る。
都市生活が身に付かず、田舎の生活を都会へ持ち込んだ人は、田舎者と馬鹿にされるのである。
わが国でも、都会の真ん中で金魚を飼う人が総理大臣だったのは、つい最近のことであった。
農耕社会では許された生活習慣が、近代化にともなって許されなくなった。
田舎では道ばたで、唾をはこうとも、手鼻をかもうとも許された。
しかし、人は簡単に生活習慣を変えることは出来ない。
その国が農業を主力の産業とする限り、農耕社会の生活習慣がその国を支配する。
一部の開明的なエリートが、近代化した道徳や生活習慣の普及を訴えても、それが主流になることはない。
我が国で、駅のホームからタン壺が消えたのは、1960年を過ぎてからである。
つまり、開国後100年たってからである。
農業従事者が10パーセント近くにまで減らないと、農業つまり自然が教える生活習慣から、逃れることは出来ない。
インドにはミサイルもあるし、核武装もしている。
近年には、コンピュー ターのソフト産業もさかんである。
しかし、国民の過半数が農業従事者である限り、農耕社会の生き方が本音である。
そこでは近代的な生き方は、建前に過ぎず、自宅に帰れば脱いでしまう洋服のようなものである。
近代産業の従事者も、内心では田舎の人を馬鹿にしながら、自分も建前としての近代しか体現できない。
近代化とは国全体のことなのだ。
心地よい風を浴びながら、オートリキシャはブッタ・ガヤめざして走る。
途中で、火葬場によってくれる。
ここで死体を焼くのだと言って、連れていってくれた所は、見晴らしの良い川のふちだった。
彼等にとって、死は隠すべき ものではないらしい。
頭髪を切って、荼毘にふすのだと言う。
2・3日前に荼毘がおこなわれたらしく、切られた髪の毛が、固まりになって地面に落ちていた。
それが、馬鹿に生々しかった。
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